第106話 モブ令嬢と一つの決着(後)

「それにしてもリュート君、よく我慢してくれた。この男からはまだまだ聞き出したいことがあるのでね。……だが、それが済んだらアンドゥーラ卿の言った通り、この男は間違いなく公開処刑されるだろうね」


 ヲルドを名乗る兇賊たちを捜査局の兵たちと縛り上げたライオット様は、リュートさんに近付くとそのように仰いました。


「アンドゥーラ先生からの言葉がなければ、きっと手に掛けてしまっていたと思います」


 手に握ったままの抜き身の剣を目にして、リュートさんは静かに仰いました。

 ライオット様は、彼の肩を優しくポンポンと手を置くと、彼から離れて私たちへと向き直りました。

 私は、こちらへと視線を向けたライオット様を、不満顔で迎えます。


「結局、我が家は王家の茶会の後も、ずっと囮として見張られていたわけですね」


 クラウス様が貴宿館に入居して以来、殿下をお守りする為、我が家には近衛騎士が常時二名常駐しております。

 そのため捜査局は、バレンシオ伯爵の脅威が去った我が家から、常時の監視を解いたと伺っておりました。


「いやいや、まあまあ、機嫌を直してくれないかエヴィデンシア夫人。あの後よくよく考えてみたのだがね、あのような輩たちにも、その世界での矜持プライドというモノがあるのだよ。あのように一方的に隠れ家アジトを急襲されて、幹部を初め多くの手下を捕らえられたのだ。此奴らも、我らに一矢報いなければ、今後……まあ、ろくでもない世界だが、その中で肩身が狭くなる」


 ライオット様は、肩越しに背後の賊たちに視線を一度向けて、言葉を続けます。


「まあ――そのような訳でね。此奴らが白竜の愛し子や聖女様、さらにはクラウス殿下を拐かす機会を狙っているかも知れないと、影ながら見張っていたのだよ」


「まさか貴様、我らを囮にしていたというのか!?」


 賊が拘束されたのを確認した後、ライオット様に声を掛ける為でしょう、レオパルド様を伴ってやって来たクラウス様が、いまの会話を聞き咎めました。


「いやいや、申し訳ございませんクラウス殿下。しかしこのように、玉体には傷一つ無く、オルトラントの闇で悪事を働いていた奴儕やつばらを一網打尽にできました。これは、殿下の御身にそれだけの力がある証拠。殿下にはこれから先そのお力を高め、国の為、民の為に生かしていただきたく存じます」


 ライオット様は、大仰にクラウス殿下に礼をいたします。

 ……それにしましても、このお言葉と態度……クラウス殿下はライオット様が第二王子ライオス殿下であると知らないのでしょうか?

 もしかして……ライオット様……このお姿も変装なのですか!?


 考えてみますと、ライオット様が私たちにご正体を打ち明けた時、クラウス殿下は王宮の奥へと待避しておられました。それ以前の会場でも、クラウス殿下たちが会場から去る前は、ライオット様は変装して潜んでおりました。

 それとも……王宮の奥で静養なされていると言われている、その時のお姿が変装なのでしょうか?

 行動なされている時間を考えますと、そちらの方が納得いきますが……。

 それに、元々クラウス様に貴宿館へ入居することを仄めかしたのも、ライオット――ライオス様であったはずです……。

 おそらく初めは、捜査局の負担を減らす為に状況を利用したのでしょうが……、ライオット様のお考えは深すぎて、いつもその真意に気付くのは、既に事が起こった後です。

 いまも剽げた様子で仰っておりましたが、彼の頭にはあの茶会の日に、先ほど捕らえたヲルドの首領たちを取り逃したと報告を受けた後から、きっとこの可能性を考えておられたのでしょう。


「いやいやしかし、本人たちが王都の中には居らず、手下に探らせておいて隙を見て貴宿館を襲うのでは? と考えていたのだよ。何とっても、表向き館を守っているのは近衛騎士二名だからね。しかしまさか――聖女様や殿下たちがあのように朝早く、馬車で城壁外へと出るなど想像もしていなかった。我らは、彼らがいつか動くにしても夜中だと睨んでいたのでね。待機させていた人員を解散させようとしていたら、そう報告を受けてどれほど驚いた事か、おかげで我々は出足が遅れてしまった。まあそれを此奴らが絶好の機会と捉えてくれたおかげで、首領のバルデスとあのシェリルという女が出てきたのだ。これは我々にとっては思いも掛けない幸運であったよ」


 ライオット様は上機嫌でそのように仰いますが、白竜の愛し子であるリュートさんや、七竜教の聖女マリーズ、さらには弟であるクラウス殿下まで囮としようと考えるのは、この大陸西方諸国でもこの方くらいしかおられないのではないでしょうか?


「それで君たちがやって来るのにあれだけの遅れが出たわけか……まったく! 私が居なかったらどうなっていたか分かるのかね?」


 アンドゥーラ先生も、彼の無謀さに怒っておられるのでしょう、軽くライオット様を睨み付けています。

 ですが、ライオット様はいつものように、剽げた雰囲気を貼り付けた笑みを崩しません。


「いやいや、こちらこそ。近衛がクラウス殿下を逃す為にどこかで迎え撃とうとするとは考えたが、まさか君たち全員が馬車を止めて迎え撃とうとするなど――そう気が付いたときの私の心労が君に分かるかね。あの時点では、我々は前を走る馬車の中に君がいるとは知らなかったのだからね、アンドゥーラ卿」


 ライオット様がそう仰ると、一人の近衛騎士が僅かに恐縮した表情をいたしました。

 これは、まさか! ……あの方はライオット様の目論見を知っておられたのでは? だとしたら、興に入ってしまって私たちを追いかけたというのは……故意に行われたのでしょうか。

 アンドゥーラ先生も私と同じ事に気が付いたご様子です。ライオット様を軽く睨んでいた視線から熱が抜けて、冷え冷えとした視線へと変わりました。


「なるほど、そういう事か……」


 アンドゥーラ先生の視線と、いまの言葉の意味。

 それは、クラウス様を逃がした後、近衛のお二人が命を賭して、ライオット様たちが追いつく時間を稼ぐ事を意味するからです。

 一人の近衛騎士の方は、ライオット様と通じておられるご様子ですので、初めから覚悟が決まっておられるでしょうが、いま一人の方は巻き込まれたようなものです。

 正直、そのような事態にならなかったことを心の底から、七大竜王様にお祈りしたい気分です。

 アンドゥーラ先生は、まだ何かライオット様に言い募りたいご様子でしたが、これ以上何か言うと余計な事を口にしてしまいそうだと思い直したのでしょう、代わりにクラウス様へと向き直って口を開きます。


「クラウス殿下。貴男たちは捜査局の連中と一緒に王都へ戻りなさい。馬車の中で話したとおり、我々はれっきとした理由があってトライン辺境伯領へと向かうのだ。貴男は王都にて自分がこれより、どのような道を歩いて行かなければならないのか、今一度考え直したまえ。君にはまだまだ時間がある、どこかの御仁のように捻くれることなく、まっとうに成長することを願っているよ」


 先生がそのように仰いますと、クラウス殿下は真剣な面持ちで口開きます。


「一ついいだろうかアンドゥーラ卿。レオパルドを伴ってくれないか。此奴は、こと戦いにおいては現役の戦士以上の力量を持っている。きっと貴女たちの役に立つだろう。ライオットと言ったか、彼が言っているとおりならば、我の身辺はこの先の貴女たちよりもよほど安全であろう。それにレオパルドも、クルークの試練に挑めるとなれば戦士として本望であろう」


 レオパルド様が、殿下の突然の申し出に驚きの表情を浮かべました。


「殿下、私は……」


 レオパルド様が口を開こうといたしますと、殿下は手を差し出して止めます。


「レオパルド……。我を守る友はクルークの試練達成者だと是非自慢させてくれ」


 クラウス殿下がそのように仰って、笑みを浮かべます。

 そのお言葉を受けて僅かに瞳を潤ませたレオパルド様は、その視線をクラウス殿下に真っ直ぐに向け、握った左手を真っ直ぐに腰の横に付けて、握り込んだ右の拳を胸の中心にドンッと当てて、敬礼をいたしました。


「ハッ! 必ずや皆様の力になって見せます!」


「いや二人とも、盛り上がっているところ申し訳ないがね。我々はクルークの試練で発生する迷宮の調査に向かうのであって、攻略しに行くわけではないのだがね……」


 アンドゥーラ先生にそのように言われて、物語の一場面のように盛り上がっていたお二人は、興を削がれたような、なんとも情けないお顔をいたしました。ですがクラウス様は、すぐに表情を改めて仰います。


「だとしても、戦力は必要であろう、クルークの試練では何が起こるか分からぬと聞いている。調査に赴いて試練の守護者と戦う羽目になるかも知れぬ」


「……うむ、まあ、確かに……そのような事もあったね……」


 アンドゥーラ先生が歯切れ悪く仰います。

 先生がクルークの試練達成者になられた経緯がまさに、そのような異常自体だったのですから仕方ないのかもしれません。


「ふむふむ、なるほどなるほど、いまの君たちの話を聞いた限り、アンドゥーラ卿。君はまたクルークの試練に関わろうというのだね。いいではないかね、レオパルド君は我々の耳にも届く王国でも期待の騎士候補だからね。それこそクルークの試練は何が起こっても不思議ではない。俺も捜査局長などという役職でなければ力を貸してやりたいところだが、流石にいまの立場ではそれも叶わない。ただしそうだね……一つだけ君たちに忠告してあげよう。銀竜王クルーク様は、思いのほか意地悪だからね。それだけは忘れてはいけないよ」


 ライオット様は最後の忠告を、剽げた笑みを浮かべて仰いました。


「さて、そろそろ準備は出来たようだね。我らは王都へと戻るよ。君たちがトライン辺境伯領に到着する頃には、既に新政トーゴ王国との戦争が始まっていることだろうからね、十分に気を付けて行きなさい」


 そのように仰るとライオット様たちは、拘束したヲルドを名乗る賊の一団を引き立てて、王都へと戻って行かれました。

 クラウス様と供の近衛騎士二名も、捜査局の方々とご一緒です。


 これから先、トライン辺境伯領へと向かうのは、アンドゥーラ先生と私、メアリーとアンドルクの三名の男性。そしてアルメリアに、リュートさんとマリーズ、供のリラさんとミームさん、さらにレオパルド様の総勢十二名という大所帯になってしまいました。

 もちろんそれ以外に遠距離行路の為に御者の方がおられますが、彼は計算に入れてはおりません。ちなみにマリーズたちの馬車は、リラさんとミームさんが代わる代わる御者を務めるそうです。

 私たちの乗ってきた幌馬車は一〇名ほどの定員ですが、荷物がございますので乗れるのが八名ほど、マリーズの馬車は六人乗りの馬車で、懸架装置が幌馬車とは違い最新式のものです。ですから皆で、代わる代わるマリーズの馬車を使わせて頂く事になりました。

 正直、幌馬車の振動を受けて、延々とトライン辺境伯領まで向かうのを考えると、気の遠くなる思いがしておりましたので助かりました。


 それにいたしましても……三十年以上に亘ってしまった、バレンシオ伯爵に関係した長い長い事件は、これにて一つの決着を見たのではないでしょうか。

 今この場に旦那様がおられないことが悔やまれます。彼がこの場に居られれば、私は大きな感慨にふけることもできたでしょう。

 しかし、今の私にとって最も大事なのは旦那様のお命です。

 私は心新たに、トライン辺境伯領へと続く空を見上げました。

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