第068号室 蟻地獄
団地に夏が来た。
道端には片方だけのサンダルが転がり、ひび割れた側溝の隙間から雑草が青々と茂る。街路樹や錆びた金網はセミの抜け殻に覆い尽くされ、夏の虫が指揮者のいない狂騒曲を掻き鳴らす。
マンションの一階に埋め込まれた無人のコンビニから陽炎揺らめく灼熱の店先へ、自動ドアを跨いだ小夜の足が茹だるような熱気に撫でられ停止した。
全ての毛穴から汗が吹き出し半袖のブラウスを染め、てらてらと水模様を反射する。犬のように呼吸が浅くなり小さな胸が小刻みに上下すれば、額と首筋に張り付いた黒髪が川筋を造り、汗を滴らせて肌をくすぐる。
原色鮮やか
ゴムのようなハムを吐き捨て代わりにカマボコ風のカニ、
「………味はカニカマなのね」
\ぱらぱら~♪…はい…団地を
コンビニラジオから流れ出した声量低めのソヒィちゃんの声を聴き、小夜がしまったと思いちょっとアヘ顔になる。
\…本物のカニはいわゆるがに股なんですが、この
原材料を確認しようとポイ捨てしたパウチを探して見渡せば、真っ赤な蝶ネクタイをしたよく伸びる黒猫の異形がパウチを咥えて、小走りに角を曲がるのが見えた。
\…それでは試食させていただきます。うん、うん………味はカニカマなのね???/
先の小夜の発言を復唱するソヒィちゃん、小夜は夏の暑さに正常な思考力を奪われ考えるのを止める。
\…それではまたね!
気を取り直してデザートの卵状のゴムに入ったアイスクリームへ吸い付くも、予想以上の溶け具合と勢いに咥内に含み切れず、黄白色の液体がゴムから暴発し小夜の顔を汚す。
「んん~……最悪………」
深く息を吐いて苛立ちを抑え込み、足元で連なるアリの群れに八つ当たり。先程捨てたハムに群がるアリを一匹箸で摘み上げ、赤茶けたマンホールの中心に離してあげる。
「………フフン⤴︎」
真夏の太陽に焼き焦がされた鋼鉄の円盤は、人であっても火傷を負うほど熱く熱せられており、揺らめく空気の靄にアリの動きが加速する。
「うん、はやい、はや〜い!」
影間を行くアリの隊列とは倍近い速さでマンホールの上を走り回り、縁を跨ぐ前に小夜の割り箸に妨害されて反対側へ走り出す。
「ほらほら、が〜んばれ♡」
マンホールは哀れな犠牲者を炙り続け、ものの数秒で体液を沸騰させるとタンパク質を不可逆的に焼き固め、人の焼死体と同じように六本の脚を畳み身体を丸めて絶命させた。
「はぁ………ざこ………」
暫く経つと気化した体液により、ポンと腹が弾けて焦げた臭いが立ち込め、小夜の五感を楽しませた。
小夜の浮ついた口角を伝う汗の雫が、焼けたマンホールに落ちてジュッと音を立てる間も、次々とアリ子達が焼かれていく。
やがてマンホールは干からびたアリの死骸に覆われ、灼熱のアリ地獄と形容するに相応しい有り様となった。
---
「あ、逃げた………」
どれほどの時間、どれほどのアリを殺し続けたのだろう。遂に1匹、仲間の死体を踏み付け鉄を躱し、マンホールから逃れた者が現れ小夜の顰蹙を買い、割り箸で粉になるまで、何度も何度も入念に突き潰される。
「はぁ………つまんないわねぇ〜………」
粘度を増して額を這う汗を拭い、温くなった炭酸飲料を飲み干す。仰ぎ見た空に夕焼けを見て時間の流れに気付き、焼けていたはずのマンホールを触った。
「フフン、この温度じゃ何も焼けないでしょうね」
「そうお?じゃあ、貰っていくわね?あは、」
突然、成り立った会話に小夜が驚き立ち上がる。
自分と同じくらいの背丈に、出すこと出したロウスクールファッション、地面に引き摺るほど長く伸ばした空色の髪の合間から嫌らしく上目遣う少女が、マンホールの蓋をいとも容易く引き剥がしたのを見て、反射的にマンホールを踏みつけた。
「あいたたた!何すんのよおおお!!」
取り落としたマンホールに指を挟まれ相手が悲鳴を上げる。
「そっちこそ、何なのよいきなり出て来て!誰だよ!?「ホーリエよ!」小夜よ!!勝手なマネすんなよな!!」
「別にコレあなたのものって訳じゃないでしょう??寄越しなさいよ!!」
ホーリエが再びマンホールを持ち上げ、小夜が反射的に反対側を掴む。
「離して!!」「うわ!!?」
ホーリエの無造作な横振り、小夜の身体がマンホールの蓋ごと宙に浮き穴の上を通過、小夜の頭に上っていた血が一気に冷め入り、鋼鉄の塊と人間の子供を同時に持ち上げるその怪力に、相手が人外と悟り即座に手を離した。
「早く、離ぁわぁああああ………!!!」「もう、離したわ???」
マンホールをもぎ取る為ホーリエが渾身の力で身体を捻るも、小夜は既に手を離しており勢い余って一回転、止まれず二回転も止む無しで踏ん張り切れずに三回転、それは、それは綺麗にマンホールの奥底深くへ落ちていった。
「あああぁぁぁ………」
「ええぇ、ウソでしょ………」
マンホールに反響しフェードアウトする悲鳴をバックに小夜は、ホーリエが引いて来たらしいマンホールの蓋が山積みになった手押し車を見て首を傾げた。
「………何だったのかしら?」
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