第048号室 ナイトクルーズ 支配触

 支配触マジェスティーの放った星喰うグランギニョル怪星・スフィアに曝露された雨粒は、瞬時に蒸発して体積を増し、大気を押し退け巨大な風を創り出す。嵐雲まで穿ち臨界を迎えた光球は、連鎖的に雲を霧散させ、地平の果てまで続く嵐の空の中心に、恣意的しいてきな台風の目を拵えた。


 咄嗟に顔を背けて遮蔽物へと飛び込んだ教授とダヴィ、そして初めから照らされない位置にいた小夜であったが、玉虫色の怪光は触手のようにあらゆる物を反射して這い寄り、閉じられたまぶたさえこじ開けるようにのたうって、異次元の彩色を網膜へ焼き付け、一時的にとは言え団地の住民達の視力を奪い取った。


「きっ………つ〜〜〜………!」


 辺りの天候を一変させるほどの光球によって、吹き飛ばされた空間を埋め戻すように風が吹き戻し、猛烈な低気圧の中、小夜は身体が浮き上がるのを舵輪にしがみついて堪える。


 次第に回復してきた視界の端では、太陽のように波紋を立てる光球が、団地の天上で加速度的に消えて逝き、かたや団地の地平線から微かに顔を出した本物の太陽が朝日を投げた。


 完全に乾燥した空気が下降気流を伴って吹き抜け、分裂触クラスターの粘液に覆われた操舵室を瞬く間に乾燥させる。オブラード状に乾燥した粘液は、剥がれて桜吹雪の如く巻き上がり、美しくも禍々しく空間を歪曲するダイヤモンドダストが、神殿のようにそびえ立つ団地の蜃気楼を朝焼けの空一面に映し出した。


 怪光に犯されたせいか瞬きする度、目蓋の裏がやすりのように瞳を削り酷く痛む。


 乾いた空気のせいか呼吸する度、舌がひりつき喉が枯れ、砂利を口に含んでいるのかと錯覚する。


 低い気圧のせいか耳鳴りと頭痛がさいなみ、邪神のささやきが如く意識を蝕む。


 身体が乾燥していく感覚を鮮明に、生命の危機を覚えるほどに知覚して、とにかく乾いた喉を潤そうと、小夜はランドセルから水筒を取り出しコップを使わず仰ぎ飲んだ。


「すまねえ………」

「うん!?………まあ、しょうがないわね………」


 断りを入れるが早いか、ダヴィが小夜から水筒をもぎ取り残りを飲み干す。


『………大丈夫ですか!?小夜ちゃん!!?』

「フフン………………」


 ノイズ混じりの無線越しに、教授の切羽詰まった声が響く。


「………む『よし、大丈夫ですね!「まだな」作戦変更です!!「ちょっと」今すぐダムの水「あの」全部抜きますよ!!!』

「…?……!?………なぜ???」


『ダムが干上がってきてる!』

「…?……そ?………れで???」


『干上がってきてますが、流石に完全に水が無くなるとは思えません!これはがダムの貯水量を調整する為の行動でしょう!!決壊の危険水位にまで水が貯まったら、奴が出て来て蒸発させる!こうしてダムの水位を正常に保っているのです!!つまりっ!このダムは今以上に、貯水量の多い状態にはならないでしょう!!いいですか〜〜〜!??』

「…………は〜い………」


 教授は既存の生物学の枠に収まらない支配触の巨大さと、気象をも変化させるほどの力、そして何より高い知性を感じさせるその行いに、こちらの作戦が看破され、破綻するのも時間の問題であると恐怖していた。


『これから、小夜ちゃんにはその船で団地に突っ込んでもらいます!!』

「………さぁっき、突っ込んでも意味ないって言わなかったかしら?」


『ダムでは無くて、水を溜めた高層マンションに当てるなら話は別です!間違いなく崩せます!』

「ホぉントに?いィいの!??」


 教授からの実行指令に、小夜の感情が高ぶり声が上ずっていく。


『先程、君、突っ込むって言ってましたよねえ???』

「まぁ~あね?そ〜ゆ~のは得意だもの」


 収まる気配の無い下降気流に後押しされて巨大客船がゆっくりと加速して行く。前方で佇む高層マンション群は、乾いた風の中にあっても壁面から染み出す仄暗い水滴に苔生こけむして覆われ、固着生物の浸水痕跡がダム湖の沸き立つように下がる水位を浮き上がらせる。


「今思ったのだけれど、何だか目の前のマンション、ボウリングのピンみたいに並んでな~~い??」

『………確かに、おあつらえ向けですねえ』


 放熱の為、半球状の胴をダム湖に沈めて湯気を立てる支配触が身動みじろぎ回るのを、遠く離れたマンションの一室から望んでいた教授は、ふとと視線が交わったかのような感覚を覚え悪寒が走った。


『やはり、中止しましょう。危険過ぎます』


 上がる小夜のテンションに反比例して冷静さを取り戻した教授の言葉に対して、小夜は震えるように弾む動悸と含み笑いで応え、今更止められるような精神状態では無くなっていることをうかがわせた。


「今さらやめろって言われてもねぇ~?あなた、どう思うぅうう??」

「んなもん、しっかり掴まっていれば大丈夫だろう」


 舵輪を両手で抱えるように掴んだ小夜が、首を傾げて振り返りダヴィに問い掛け、血の気の多いダヴィは小夜の意見に同調する。もし、この二人が冷静であったとしても、マンションとの激突により船にどれだけの損害がもたらされるか計算できるはずもなかった。


『ん!?小夜ちゃんの他に誰かいるんですか??』

「そ~~れ!!突っ込めつっこめぇ~~~!!!」


「………………!………………!!………………!!!」


「………………?………………??………………???」


「………………………………いぃや、これはダメ………!」


 間近に迫る高層マンションの迫力に気圧され小夜が舵輪を離し後退る。僅かな後悔と生存本能に発狂した精神が正気を取り戻し、マンションに背を向け船の進行方向とは逆に走り出す。しかし、時は全く遅すぎて、巨大な客船は高層マンションの側面へ抉り込むように衝突し、船首をもたげて次のマンションへ突き刺さった。


「ぎゃあああああああ………………!!!」


 小夜が悲鳴を上げて背面へ吹き飛びランドセル受け身、ダヴィは床と制御盤の隅に挟まって慣性に押し潰される。巨大な客船に押し倒された巨大なマンションが、これまた巨大な後方のマンションをなぎ倒し、将棋ドミノ倒しのように連鎖が繋がる。


 小夜達の仕込みと工作により一つ一つが規格外の巨大な貯水槽と化していた高層マンション群は、ほぼ全て同時に倒壊すると粉塵と水飛沫で辺り一面の視界を隠し、水中で泡とコンクリートと鉄骨のぶつかり合う轟音をとどろかすと、土石流と呼ぶには余りにも甚大じんだいはなはだしい団地津波となってダム湖へと雪崩なだれ込んだ。


 突然に現れた瓦礫の津波に支配触が触手渦巻く瞳を見開きしばたかせ、人の目から見ても明らかな驚愕の意を示したのも束の間、半球状の支配触の胴が薄く朝日を受けて湾曲し、見渡す限りの空間から灯火が失われ、荒唐無稽グランギニョルに渦巻きうごめき逆巻いては深淵の底へと光をおとしめ放たれた”星喰う怪星”は、朝日の栄光さえ相対的な明るさの光の闇で喰らい尽くした。


 怪光を受けマンションの瓦礫を含んだ濁流の津波が瞬く間に蒸発し、硝子や鉄骨が融解を飛び越して気化する。よく熱せられた鉄板に水滴を垂らした際に鳴るような金属音が空間を埋め尽くし、水と石と鉄の塵と蒸気が朦々もうもうと立ち込める。塵と蒸気の厚い壁に阻まれ威力の減衰した光球が消え入り、苔茶色の煙の奥からいななし切れなかった瓦礫を含む濁流の近づく気配が迫る。


 支配触が粉塵を嫌うように身体を震わせ無数の瞳をしばたかせ、煙霧の抜こう側から迫り来る一際大きな轟音に気付いて意識を向けた。


 支配触は一瞬の逡巡しゅんじゅんののち身体を震わせ臨戦態勢を取ろうと触手を広げたが、もう一度、怪光を放つ程の余力も時間も残されてはおらず、煙霧を掻き分け現れた超巨大豪華客船は後部甲板の上部を光球によってごっそりと失い、船首に傾き濁流に呑まれて逆立ちするようにスクリューでもって鎌首を擡げると、狙い定めたかのように支配触の頭頂部に振り下ろして体表を削り取り、触手を巻き込み、瞳を切り裂いてその肉に分け入り、超性能の撹拌機ミキサーとなって内臓を切り刻み穿航せんこうして行く。


 光球により中心部を吹き飛ばされた団地津波であったが、両翼に広がるその濁流はコンクリートの巨大な塊やひしゃげた鉄骨を含む大質量の土石流であり、ただただ巨大で広大なだけの触手達ダゴン特性のダムの底を抜くには十分過ぎる災厄であった。


 団地ダムの決壊する様は水の流れと表現するには余りにも言葉が足らず、俯瞰ふかんして見たならば超弩級の泥ゼリーの塊が大地を滑り落ちて、平らに潰れていくかのような情景で、その最中さなかにあっては人などもちろん、何者にも、団地ダゴンの頭目でさえ逆らう事など、触手一本、指先一つ、視線一目、意思を持って動かす事、到底敵わなかった。


 本体を破壊されながらも意思を持つかのように客船へ纏わりつく触手が、立ち上げるように船体を軋ませ抱え込み、スクリューが深くめり込むほどに力を増してねじ切り状に硬く巻き付くと、やがて貫通し水底の硬い岩盤にスクリューが掛かり、豪快な火花と過負荷でエンジンから白煙が上がり、巻き付く触手の圧力に耐えかね爆発炎上、流れ出した大量の燃料と支配触の亡骸を糧として、ついにさらわれたダムの底で燃え上がり、その炎を無念の恨みと呪いを込めて触手のように揺らめかせた。

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