第039号室 住民戦力調査 ①

 刺すように凍てつく乾いた空気に満たされた北欧様式のリビングは、部屋の隅が見通せないほど薄暗く、奥の壁に埋設された暖炉は、静かに燻る残り火の灯火で、老婆の横顔を僅かに照らしていた。


「おお、お嬢ちゃんよく来てくれたねぇ〜外は寒かったでしょう?早く、こっちにいらっしゃい。今暖炉に薪をべるから、一緒に暖まろうねぇ〜」


 フード付きのダウンコートに、ミトンの手袋とムートンの履き物でぶくぶくに着膨れした老婆は、エビのように腰を丸めて、今にも転んでしまいそうなおぼつかない足取りで暖炉に向かい、後ろ手でランドセルの少女を手招きした。


「おばあさん、それ、あぁん………」


 小夜の制止は老婆の耳に届くことはなく、消毒用のアルコールジェルが容器ごと暖炉に投げ込まれ、爆発的な燃焼を始める。


「おやまあ………よく燃える薪だこと………!」

「ええ、本当に…」


 お菓子を食べる前にお手手を消毒しましょうねと薪を寄越す老婆、小夜は半目でありがとうと受け取り、その薪で飛び散ったジェル容器と灰を暖炉に掻き込んだ。


「こら!悪い子だね!暖炉の火で遊んじゃいけないよ!こっち、こっちおいで!!」


 強く促されるままに霜の焼けついたテーブルと椅子に腰掛け、初めから湿気っているらしい柔らか煎餅や室温のゼリー、個分けチョコレートアソートのアソートと、一息で飲み干せてしまいそうな容量で、茶色のガラス瓶に入ったエナジードリンクを飲まされる。


「おばあちゃん、今度、団地でひと騒動起きそうなのよ。………もし良かったら一緒に居てくれない?」


 老婆は小夜の問い掛けに直ぐには返事を返さず、素人目にも違いの分かる宇宙船のような高級コーヒーメーカーで、ビールジョッキ並みのマグカップに並々とコーヒーを注ぎ、溢さないようにプルプル震えながら席に着くと、マグカップに視線を落とし、暫くコーヒーから登る湯気を哀しそうに眺めた。


「………また、戦争するのかい?」

「………またって、戦争なんて私はした事ないし、今度のだって、そんな大袈裟な事じゃないのよ?」


「戦争は嫌いよ。いっぱい苦しいことが起きて、お腹も空いて、みんな悲しい気持ちになって、たくさんの人が死ぬ。何をするのかは知らないけど、きっとろくな事にならない。今からでも遅くはないでしょう?でみんなで楽しく暮らしていきましょう、ね?」

「………フフン………私は嫌よ、元の世界に帰りたいもの………諦めてぇ?ここでぇ??楽しく暮らしていきましょう???ババア、あんたもう、死体と変わんないわね」


 冷凍食品の満載されたコンテナがうずだく重なり、冷凍マグロと人の凍死体が川の字で並ぶ。室温を氷点下に保とうとする冷却装置は、シベリアの白魔女の築いた安全地帯のコテージから、外へと飛び出した小夜へ、冷ややかな風を送り血の上った頭を冷やして、濡れた睫毛を白く霜立たせた。


 冷凍倉庫の二重扉を抜けて外へ出る。真昼間のはずの団地の空は厚い雲に覆われ、風が吹いて枯れ葉やゴミを巻き上げ、カラカラと小夜の足元を横切って行った。



---



 安全地帯の図書室でシスターは、回収してきた空の薬莢に精密測定機器ノギスをあてて、歪みの度合いを調べ選別し、手製の雷管と火薬を計量しながら注意深く詰め込むと、最後に非人道的な形状をし、神聖な刻印の施された弾頭をえて固定する。


 現代の聖職者や祓魔師の間では、近代兵器を改造して悪魔祓いエクソシスムに用いる事は、ごく自然に一般的かつ、とてもありふれた方法であり、シスターに際しても状況が許すなら、手っ取り早く機関銃マシンガンしたい!な性分だった。


 弾薬の準備を一通り済ませ、背伸びをひとつ。眼を強く瞑り天を仰ぐと両人差し指の第ニ関節で眉間を挟み揉みほぐして一息、次は銃の手入れに取り掛かる。シスターはテーブルに置かれたアサルトライフルをいっとき見つめ、眉間にシワを寄せて首を傾げた。


「どうやって、分解するのだったかしら………?」


 別にやらなくてもいいかと考えながらも、まあ、何とかなるだろうとあれこれ弄り始める。マガジンや照準器を取り外していると、頭ははっきりしないが体が覚えているらしく、それなりの手付きで分解を続け、我ながら流石などと自惚れた拍子にパーツが四散、テーブルの上から転がり落ちる。そのパーツをキャッチしようと反射的に手を伸ばし、袖口から透明な糸が飛び出したのが見えて、手を引っ込めった。


「はっ………!!?」


 シスターは袖から射出され、ライフルのパーツに貼り付き、空中で保持する蜘蛛の糸を眉を寄せて見つめ、蜘蛛の異形デスパイダ夫人に着せられたこの修道服が、ただ頑丈で破廉恥なだけでは無い事を察した。



ーーー



 団地の地下に埋め隠されたゲームセンターを訪れた小夜は、そこの住民の変わり様に失望を隠さなかった。


「背の高い、シュッとした細マッチョのイケメンお兄ちゃんを探してんですけど?」

「誰だそれ?「お前だったんだよブタぁあああ!!!」」


 小夜に応えた青年は、よく肥えた豚が立ち上がり、服を着ているかのような佇まいで、皮脂油でテカテカに輝く伸び放題の髪をなびかせ、3つのチョコレートバーの梱包を、一切の無駄なき洗練された手捌きで外し、続け様にほとんど噛まずに飲み込んだ。


(1つくらいくれるのかと思ったわ)「1つくらいくれるのかと思ったわ」

「え?……なんで??」


 罵倒を忘れた小夜の心の内と実際の発言が一致する。小夜は初めて出会った時の、健康的肉体に健全な精神を持ち合わせ、輝くほどに笑顔の眩しい好青年の姿と、目の前に鎮座する利己的な脂肪の塊りを重ねて、今一度このブタオタクゲーマーがその青年の成れの果てだと同定すると、一緒にゲームしながら口汚く罵った。


 格闘ゲームで見せ技を使われK.O、台に拳を叩き付けて「舐めたマネすんなぁああ!!」レースゲームでゴール寸前に赤い何かが背後から命中、側面に吹き飛び谷底へ、堪らず飛び上がり「ッざっっけんなぁあああ!!」コインゲームではなんの盛り上がりもなく財産を溶かし「」「」2人とも魂が抜ける。ガンシューティングは小夜ばかりコンテニューを繰り返し「ちょっと、背中撃ってない?」まるで協力プレイをしている気がしない。


 ダンスゲーム、小夜の得意分野である。身体の中心から指の先までキレッキレの小女的ガーリッシュ強調コンシャス官能美センシュアル些か下品エキセントリック足技ステップ多用フューチャーしたWAACKワックスタイル衝動リビドーは、豚になったお兄ちゃんのゲームの筐体フレーム身体ボディ支えリフト脚部トンそくのみを高速で稼働クイックムーブさせる神速の歩法ゴッドドライブに敗れ去った。「………っ、ナイスグルーヴ」「ザコかよ!」「このブタめ!!リスペクトが無い………!」


 それでも下半身は動けていたように思う。この調子で身体を搾り、元の体型を取り戻したなら戦力になるだろうか?小夜はそんな事を考えながら、肩で苦しげに呼吸し、汗を拭う手間を惜しんで、2リットルボトルのコーラを吸収する豚人間を見下して考えを改め、ダメでしょうねぇと鼻で嗤った。


「まずは痩せて、次に人の心を取り戻して。あなたそのままじゃ喋るブタよ」


 隙を見てくすねたクレーンゲームの景品であるスナックをかじりながら地上へ戻る。地下の平穏とは打って変わって、地上を吹き荒れる風はいよいよ勢いを増し、稲光から雷鳴の轟く間隔は狭くなり、嵐の近づく足音とも息遣いとも感じられた。


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