第035号室 ダム 屠殺

 ダムの中に埋設され、暗く湿気の篭った家畜舎の階段をダゴンの長兄、指揮触リーダーと末妹の生存触テイカーが連れ立って降り、家畜の中へ分け入っていく。穴という穴を塞がれ触覚以外の感覚を完全に遮断された大型の動物達は、それでも僅かな気配を感じ取り、震える脚で遠ざかろうと動き出し、お互いに身体をぶつけては恐怖と驚愕で跳ね上がり互いを蹴り付け、更に奥へ部屋の隅へと押し込み合っていく。


 触手に気取られぬよう、抜き足差し足で教授が等間隔で建てられた柱の陰に隠れながら進み、先程、触手の降って来た階段を登る。半ばまで来たところで上階の暗がりから、ドレッドヘアーのようなバネ状の触手に全身を覆われた工作触メイカーがゆっくりと姿を現した。


「………っ!!?」


 あわや鉢合わせと言ったところで一瞬早く相手の存在に気が付いた教授は、危機的状況に肉体が自身の年齢を忘れ、若さ溢れる動きで手摺りを飛び越え、下段に飛び降り着地音を盛大に響かせた。


(しまった………!しまった………!?)


 物音に指揮触と生存触が振り向くよりも早く、階段の物陰に教授が転がり込む。同時に階段を軋ませ這い寄る工作触が訝しむように鎌首を擡げて階段を見下ろし、前髪のような触手を掻き分け不揃いな大きさの眼球を覗かせ、足元に何があるのかと触手を伸ばしいじり這わせる。徐々にバネを伸ばし手摺りの付け根を抜けて階段の裏側にまで伸ばし教授の鼻先を掠めたところで、指揮触の明滅が工作触へ向けられる。


 教授の立てた音を愚弟が立てたものと認識した指揮触に促され、工作触が何処か釈然としない態度で索敵を切り上げると、豪快に階段を軋ませながら降り、他の2体の元へ向かって行った。


 すんでの所で助かった教授は、階段が開くや否や流行る気持ちのまま脇目も振らずに昇り出し、後残り数段といったところで、工作触の這いずりにより耐久限界を越えていた踏み板を踏み抜き、下階へ落下、振り出しに戻る。


「…………!!!!??」


 スーパーヒーロー着地で膝を痛める教授、一斉に注目の注がれる階段、振り返る工作触の肩越しに身体を歪曲させて、指揮触と生存触が覗き込む。階段へ這い寄ろうとする工作触の背中を指揮触が『遂に壊したな?』とでも言うように小突く。


 反論しようとした工作触であったが教授落下の衝撃を床伝いに感じ取り、平静を失った家畜達が一斉に暴れ出したお陰で、混乱が混乱を呼ぶ事態の収集に追われ、音の発生源を特定する余裕は直ぐに無くなった。


 目隠しをされたまま暴れる牛の角をいなし、馬の蹴りを躱して、豚の群れを押し退ける指揮触に反して、家畜の波に呑まれる生存触と工作触、ついでに巻き込まれた教授が転がるように家畜達の足元を潜り抜け、家畜の影に隠れて触手達の死角に入り続ける。


(ん〜困った!下手に動けない!あー………ウシに、牛に踏み殺される!)


 家畜の床を踏みつける蹄の音だけが反響する中、ほとんど身動きせずにその場に立ち尽くし、病的なまでに痩せ細り肋骨あばらの浮いた馬を見つけ、近づいた指揮触がその馬の首に触手を巻き付け工作触の元へ引いていく。工作触は折り重なった触手の隙間から、ガスボンベにチューブで繋がれた拳銃と電動ドライバーを合わせたような見た目の道具を取り出すと、その銃口を馬の額に押し当てると同時に引き金を引いた。


 銃口から打ち出された鉄杭は、大きく乾いた音を家畜舎に響き渡らせると共に、馬の額を砕いた。脳に致命的な損傷を負った馬は、すぐさまその場に崩れ落ち、脚をピンと伸ばして仰向けになる。


(今のは、牛の屠殺に使う屠殺銃ボルトガンか?なぜ……?触手が………??ボルトガンを???)


 続けて倒れた馬を生存触が8本のナイフを使って手際よく解体していき、更に次の獲物を捕らえて来た指揮触が工作触に屠殺させ、また生存触が解体する。


(家畜の中から弱った個体を選んで潰しているようだな?)


 ならばと教授は大きく腹の膨れ、色艶の良い、健康そうな牛の陰になるように移動し逃げ出す隙を窺う。


(何故、腹が膨れているのか分かりませんが………いや、まあ、想像通りの理由なのでしょうが、それなら、こういった生産性の高そうな個体はまだ潰されないでしょう。無理に動かず、このままこの牛の陰に隠れて、気付かれ無いようやり過ごすのが賢い選択かも知れませんね)


 4頭程の家畜を殺し、死体を枝肉にまで加工したところで、触手達が会話するかのように体色を小刻みに変化させた。次第に工作触と生存触が同調して特定のパターンで体色を変化させ始め、ほとんど意に介していないようだった指揮触が、根負けしたように一度だけ体色を白く変化させると、生存触が人の目から見ても歓喜している事が分かる程の素振りを見せ、最も肥え太った牛へと向かい、スキップ混じりに触手の脚をなめらかにすべらせた。


(ああ〜〜〜………これは1番良いやつを解体バラすパターンですね!?まずい、こっちに来る!!)


『おむすびコロコロ、どんぐりコぉ、どうしっておっなか〜が減ぇるのっかな?どじょうが出てきてこんにちは、そ〜ぉよ、かぁ〜あさんもな〜がいのYO〜〜〜♪』


(ふぁああああああああああ〜〜〜!!!しゃべっっったぁああああああ〜〜〜〜!!!!)


 唐突に人語をかいし、デタラメな童謡を歌い上げた生存触のまるで産まれたばかりの赤ん坊が、流暢に言葉を操り歌うかのような、無邪気で愛狂おしくも、淫婦の色香を奥底に秘めた不自然極まりない声色は、相手が言葉を話す事など無いだろうと、思い込んでいた教授の度肝を抜くには十分過ぎる狂気であった。

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