第60話 困ったときの仲間

 それは、時間にして5分ほど。


 個室に入ることで幾分落ち着きを取り戻したそらは、重い足取りで自室へと向かっていた。


「はぁ……」


 自室の扉の前で足を止めると、そらの口からは思わずため息が漏れ出る。


「ダメダメ、こんなんじゃ……頑張らないと。せっかく、ここまで来れたんだから」


 呪文を唱えるようにそう言い聞かせ、そらは自らを叱咤しったする。


 そして最後にパンと両の太ももを手ではたいて気合を入れると、大きく息を吸ってドアノブをひねった。


「――よし、やるぞっ!」


 部屋に入るなり、そらはヘアゴムで髪を縛ってポニーテールにすると、パソコン前へと戻り、マイクをオンにする。


「どうも、お待たせしました。最近冷えてきてるからなのか、お手洗いが近くて困りますね」


 気負っていることを悟られないようにと、そらは軽い調子で視聴者たちに語り掛ける。


 すると、視聴者たちからもすぐさま反応が返ってきた。


 ――おかえりなさい。


 ――思ったより早かったね。


 ――無理はしなくていいから。


のどのケアのために頻繁ひんぱんに水分をってるから、そのせいかもしれないですね」


 うしろを心配するコメントが目につき、感情がたかぶりそうになるも、何とか感情を圧しつぶし、その手のコメントをスルーして、そらは会話を続ける。


 しかし、その強がりを隠し通すには、そらはあまりにも純情過ぎた。


 ――ちょっと休んだ方がいいんじゃない?


 ――本当に、無理はしないで。身体が大事だから。


 ――ライブのためなら俺たちも我慢できるから。


 揺らいだ心に寄り添うような、ファンの言葉。


 それを真に受け、ずっとこらえていたうしろの言葉は、詰まってしまう。


「みんな……ごめんね、ありがとう……」


 放送では泣くまいと決めていたそらであったが、その最後の防壁も今にも崩れ落ちそうなまでに、感極まり声が震えていた。


 そんな中、唐突にアプリケーションから通話を求めるアラームが鳴った。


「えっ? なに?」


 突然のできごとに、半ばパニックになったこともあり、うしろは通話相手を確認することもなく通話を繋いだ。


 すると、うしろの耳と、配信画面に、聞き覚えのある、甲高い女性の声が響いた。


『うしろちゃん! そんなつまんないことで泣いてちゃダメよ! うしろちゃんが悲しんでる姿なんて、一部の特殊性癖の人くらいしか喜ばないんだから!』


「特殊……へっ? その声、りーや……さん?」


 声の主が発覚し、幾分理性を取り戻したそらは、通話相手の名前をようやく確認する。


 そこに表示されていた名前は以前にも共演したことのあるバーチャルアイドルの一人、『石川いしかわりーや』に違いなかった。


『あ~っ、もうっ! 本当に困るわよね、こっちはこっちで色々やってるってのに、何も知らないくせに突っかかってきてさ――』


「あの、りーやさん……放送に声、乗ってますけど」


『そんなのわかってるわよ。だって放送を見て電話したんだから』


「そうなんですか?」


『そうよ。それでさ、もう我慢できなくてね、こんなにうしろちゃんはいい子なのにって思ったら、ついカッとなって電話しちゃった』


「私のために、わざわざありがとうございます、りーやさん」


『お礼なんていいのよ。それに、最近騒いでることなんて気にしなくていいんだからね。まぁ、それができないような優しい子がうしろちゃんで、そこが好きなところでもあるんだけど』


「……はい」


『それに、同じVの仲間なんだし、会社とか気にしないで声かけてもらっていいんだからね。みんなが思っているよりずっと、バーチャルアイドル界隈は仲がいいんだからさ』


「――はい、ありがとうございます。りーやさん」


『ふぅ、だてにお姉さんしているわけじゃないからね。一応、ウチの視聴者たちのも変なことで騒がないよう注意はしておくけど、何か言われたらすぐに言いなさいよ。すぐに助けに行くから』


「はい、それじゃあ早速なんですけど、お願い、いいですか?」


『んっ? いったい何かしら?』


 そこでうしろは一呼吸を置いた後、口を開いた。


「――画面に表示する立ち絵の方、いただいてもいいですか?」


『あぁ、もうっ、あんなのいくらでも持ってっていいわよ。というか、うしろちゃんのお願いなら送るわ、すぐ送る!』


 りーやのテンション高いトークに、沈みかけていた放送の雰囲気は息を吹き返し、笑いのコメントで沸き立つ。


 そして、最後にはうしろも笑顔のまま、放送を閉じることができたのであった。

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