第四十二話

「おいジャン!起きろ!おい!」


 頭の中で直に響くトーマスの大声から逃れようと、ジャンは寝返りを打つ。


「ジャン、起きてください」


 だが、後から聴こえてきたロイの声に、ジャンは驚き目蓋を開いた。目の前には、心配そうにジャンを見下ろすロイの顔があり、今自分がどんな状況なのかわからなくなる。

 

「何やってんだよおまえは!エマが俺らを呼びに来てくれなかったら、オーク座のみんなに醜態さらすとこだったぞ!」


 ロイの隣りに立つトーマスが、怒りもあらわに捲し立て、ジャンはようやく全てを思いだした。ジャンは昨日、エリックの説得に失敗したのだ。絶望を紛らわすようにいつものパブへ立ち寄り、酒をあびるように飲んで…。そこから先の記憶はあやふやだが、途方もない無力感に襲われた事だけは、はっきりと覚えていた。


「もう聞かなくてもわかるけど、説得できなかったんだな!」


 トーマスに確認され、ジャンは呆然としたまま頷く。


「…ああ、どうしよう…」

「もういいからとりあえず行くぞ!ほら立て!ロイも手伝って!」

「はい」


 ジャンの腕をトーマスとロイが掴み、ふらつく身体を二人がかりで支えられ、どうにか立ち上がる。


「二人が来てくれて本当に助かったわ!もう全然起きないからどうしようかと思ったのよ。昨晩はやけに荒れてていつものジャンらしくなかったけど、私はあなた達の成功を祈ってるからね」

「ありがとうエマ!」


 店の前まで出てきて手を振るエマにトーマスが礼を言い、ジャンは引きずられるように歩き出した。




「みんなが集まるまでまだ時間あるから、少しでも休んで酒を抜いとけよ!」


 インに到着しベッドに寝かされたジャンは

部屋から出て行くトーマスの声を聞きながら、情けない気持ちで目を瞑る。今までも飲み過ぎることはあったが、こんな酷い酔い方をしたのは初めてだった。オーク座が窮地に立たされているというのに、自分は現実から目を逸らすために、酒に逃げたのだ。と、突然額に冷たさを感じ目を開けると、そこには、濡れた布をジャンに押し当てるロイの姿があった。


「ごめんなさい、冷たかったですか?汗をかいて辛そうだったので、冷やせば少し楽になるかと思って」


 ジャンのために、インの従業員から借りてきてくれたのだろう。そんなロイの優しさは、弱っているジャンの心を包み込み、いくらか気持ちを軽くする。


「ありがとうロイ、すまないがこのまま側にいて、手を握っていてくれないか?」


 いつもの自分なら意識しすぎて、こんな大胆な事は頼めなかったかもしれない。しかし今ジャンは、ロイに縋らずにはいられなかったのだ。ロイはジャンの額の汗を拭きながら、もう片方の手でジャンの手を強く握る。

 ロイの手の温もりに、無力感に覆われていた心がみるみる癒されていき、その心地よさに導かれるように、ジャンは再び瞳を閉じる。

 状況は最悪でしかないのに、ジャンはこの時、愛する人に触れられる幸せを噛みしめていた。

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