第三十九話

 今夜の晩餐会は、あのロバートセシルが、家族や親族と女王への挨拶に訪れているからか、一際客人が多い。


「ロバート、おまえがヘッドヴァン邸を勧めてくれたおかげで、楽しい時を過ごせている」

「それは良かった、陛下が心穏やかでいられるのが何よりです」


 女王との挨拶を終えたロバートは、晩餐会の間、常にジャンを側におき、ダンスもジャンとだけ踊る女王の様子を見ていたのか、女王が他の挺臣の挨拶を受けている合間をつくように、ジャンに声をかけてきた。


「すっかり陛下に気に入られたようですな」

「いえそんな、少し前までは目も合わせて頂けなかったので、今がまるで夢のようです」


 セシル家とは昔から家族ぐるみの付き合いではあるが、年の離れたジャンは、ロバートと面と向かって話したことはない。


『お兄様、僕あの人怖いよ、背中にコブがある』


 ただ、はるか昔、子ども特有の残酷さでそう言った時、兄に厳しく諭されたのを覚えている。


『ジャン、人の見た目を怖いなんて言ってはダメだ。彼はとても努力家で美しい心を持っている』


 あの時は自分の言動を心から反省したが、ロバートと間近に対面し、やはり自分は、この男が苦手だという気持ちを新たにする。見た目云々ではない。ジャンは、和かにしていながら、目の奥が笑っていないロバートが怖かったのだ。そんな心の内を隠し和やかに談笑していると、父フランシスと母リディアが、グリーンのドレスに身を包んだ、洗練された佇まいの年配の女性と、まだ少女のようなあどけなさが残る若い女性と共にやってくる。


「ロバート、今日は家族で我が家を訪れてくれてとても嬉しいよ」

「この間はご挨拶できなくてごめんなさいね、でも今日は久しぶりに皆とお会いできて嬉しいわ」

「私も、今日はリディア夫人にも、ご子息のジャン殿にもお会いできて嬉しい限りです」


 父も母も、ごく親しげにロバートに語りかけ、ロバートは、二人の女性達をジャンに紹介する。


「ジャン殿とお会いした事はなかったかもしれませんね、妻のエリザベスと、娘のキャサリンです」

「初めまして」


 ジャンが二人に挨拶をすると、エリザベスは笑顔で答えてくれたが、キャサリンは戸惑うように俯きジャンから目を逸らしてしまう。


(この少女が兄の婚約者だったキャサリンか)


 そこまで考えて、ジャンはふとこの状況の意図を理解する。


(俺とキャサリンを引き会わせたかったというわけか)


 結婚が政治的な意味合いを持つのは、貴族にとって当然のこと。一回り以上年の離れた兄とキャサリンの婚約が、セシル家とヘッドヴァン家の関係をより強固にするためのものだったのは想像に難くない。しかしジャンは、兄の代わりにロバートの娘と結婚する気は全くなかった。とりとめのない世間話をしながら、どうにかこの輪から抜け出せないか考えていると、女王が、自分の側へ来るよう促していることに気がつく。


「申し訳ありません」


 話しの最中、ジャンがその場から離れる事を告げると、ロバートもフランシスも分かっているというように頷き、ジャンは急ぎ足で女王の元へ向かった。



「おまえも、存外心を隠せない人間のようだな。あの場から抜け出したいと顔に書いてあったぞ」


 女王に近づくとすぐに確信をつかれ、ジャンは苦笑いする。


「そんなにわかりやすかったですか?」

「ああ、だから助け船を出してやったのだ」

「ありがとうございます」

「ロバートの娘との結婚は、ヘッドヴァン家にとって良い事だと思うがな。

おまえは私が、おまえにも愚かな男になるような相手がいるのか聞いた時否定したが、本当は誰かいるのだろう?貴族の男が妻以外に愛人を持つのは珍しい事ではない。キャサリンと結婚し、その女を愛人として囲えばよいではないか?」


 ホッとしたのも束の間、今度は女王からの質問攻めにあいジャンは困惑したが、女王に適当な誤魔化しは通用しないと観念したジャンは、正直な気持ちを打ち明ける。


「国家を背負う陛下から見たら、甘ちゃんと思われるかもしれませんが、私は、自分の気持ちに嘘をついて生きていきたくないのです。

それに私が妻なら、誰より愛する者が他にいるのに、仕方なく自分と結婚した男と一緒にいたくはない。妻として側にいながら愛されないというのは、心で想像するより辛い事ではないでしょうか?」


 すると、呆気に取られたよう表情で女王に見つめられ、そんなおかしな事を言っただろうかとジャンは不安になる。だが、やがて感心したように頷き女王は言った。


「自分が妻の立場だったならなどと考える男は初めてだ。そうか、おまえは劇作家だったな。

劇作家は時に女性の心情も代弁する。なるほどな」


 女王の言葉にジャンが一安心しているところへ、若い給仕がやってくる。


「先程陛下の衛兵が、ジャン様に客人が来ていると伝えに来ました」

「誰だ?」

「ジャン様の劇団の人間のようです」

「なんだって?」


 給仕の言葉を聞き、ジャンは思わず声を上げた。


「わかったすぐ行く、陛下、少し席を外します」

「ここへ連れてくれば良いではないか?」

「え?いや、しかし」

「御前公演は明後日だというのに今日やってきたということは、何かあったのだろう?

構わぬ、ここへ通せ」


 ジャンが迷っている間にも、女王は給仕に命令し、ジャンは気が気ではない思いで給仕の後ろ姿を見送った。フランシスが御前公演を承諾した事で油断していたが、女王の言う通り、わざわざ今日ここへ来たという事は、何か深刻なトラブルがあったに違いない。

 不安と焦燥で、無意識に床をブーツでコツコツと打ち鳴らし待っていると、衛兵がトーマスを先頭に晩餐室の中へ入ってくる。次にオリヴァー、最後にはロイが続き、ジャンは狼狽した。


(ロイ!?)


 よく考えれば、オーク座の中、ここへ来た事があるのはロイだけなのだから、共にくるのは当然だった。しかし思いがけず、ずっと恋焦がれていた人間が目の前に現れ、ジャンはひどく動揺してしまう。そんな場合ではないというのに、ジャンの視線はロイに定まり、心が自然と華やぐのを抑えられなくなった。


「陛下、この者達は一体…」


 異変に気付いたフランシスの言葉を、女王は黙っていろというように手を翳し遮り、三人は女王とジャンの前に引き出される。トーマスは緊張の面持ちで、スゲーと言いながらキョロキョロするオリヴァーの頭を無理矢理下げさせ、自らも礼をした。

 ロイも同じく、この状況に緊張しているのか、ただでさえ白い肌が蒼白に見える程だったが、下げた頭の両端に見える耳元の赤みが、感情の息吹を表しているようだった。


「おまえ達の公演は明後日だったはずだが、なぜ今日ここへきた?」


 女王の威厳ある声に、トーマスは震えながら顔を上げ答える。


「申し訳ありません。実は今、オーク座に不測の事態がおきまして、ジャン様に、どうすべきか意見を伺いたくやってきました」

「不測の事態とはなんだ?」

「あの、主演俳優が、その…」


 女王陛下に強く聞かれ混乱したのか、トーマスは言葉に詰まってしまう。


「う、あの…」

「事情があり、主演俳優が御前公演に出演する事が難しくなってしまったので、ジャン様にどうすべきか助言を頂きたく参りました」


 ロイの言葉を聞き、ジャンは素知らぬ顔で立っているフランシスを見やる。


(そういうことか)

 

 思えばこの、自らの願望を果たすためなら手段を選ばない父が、そう簡単に御前公演を実現させてくれるはずがなかった。


「御前公演直前に主演俳優が降板するなど、陛下に対する侮辱も同然だ。陛下、この者達に陛下の前で公演する資格はないかと」


 フランシスが女王に向かって、公演を取りやめるように促したが、黙って考えこむ女王に、ジャンが声をあげ懇願する。


「お待ちください陛下!私に案があります。

明後日の御前公演までに必ず陛下の心に届く演劇を観せますので、どうかご決断を早まらないでください」


 実際まだなんの案も浮かんではいなかったが、ここで引き下がるわけにはいかない。


「…わかった。フランシス、私はジャンを信じる」

「ありがとうございます。女王陛下!」


 女王に心から礼を述べ、ジャンはフランシスをきつく睨みつける。フランシスは、どうにかできるものならやってみろとばかりに、不適な笑みを浮かべていた。


(くそ!絶対に、父の思い通りにはさせない)


 悔し紛れにフランシスからを視線を逸らすと、気遣わしげにジャンを見上げるロイと目が合う。その瞳に、久しぶり会えた懐かしさと愛しさを覚えたジャンは、ロイを安心させるように、深く頷きロイを見つめた。

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