なんか、姉ちゃんが傷を負う
「なあ、女子の先輩が呼んでるぞ」
昼休み、クラスメートに肩を叩かれて振り返ると、教室の後ろの扉から覗き込むようにして、
「誰?誰?彼女?じゃないよな?」
「めっちゃ可愛いじゃん!」
「知り合いだよな? 知り合いって言えよ」
「前髪整えんな、キメーんだよ」
男子の嫉妬と羨望の眼差しを浴びながら歩く教室は、さながらレッドカーペットだ。ぐるり二、三周したい気持を抑えて戸口に向かった。
「弟くん、久しぶりー。ちょっといい?」
返事を待たずに執行さんは歩き出す。揺れる三つ編みを眺めるまま、階段の踊り場へと導かれた。
「あの、お姉ちゃんのことなんだけどさあ」
やっぱりか。
姉ちゃんの数少ない友達である執行さんの用件は、もちろん姉ちゃんがらみに決まっているが………。
「ちょっと聞きにくいんだけど、その、変な意味じゃなくて………変な意味じゃなくてね、もしかして、家で何かあったり……した?
「はあ、何かって言うと………?」
「……………」
「………アザのことですかね?」
執行さんはもう笑っていなかった。
「いや、あたしも大したことじゃないとは思うんだよ。でも、あの子に聞いてもはぐらかされるばっかりでさ、気になるっていうか………わかるでしょ?」
「はい……」
「痛くはなさそうなんだけど、場所が場所じゃん?」
「はい……」
「顔、じゃん?」
「…………」
「弟くんは何か知ってるんだよね?」
「えっとー……」
「聞いてもいいよね?」
「あー、でも………」
「うん」
「いや、ホントに、マジで大したことじゃないんですよ」
「もしそうなら、あの子は話してくれると思うんだ………うちらそういう感じだから」
口調は穏やかだけど、執行さんの目は一切の誤魔化しを受け付けないと言っている。
さあ、困ったぞ。困ると僕は、つい癖で額に手を当ててしまう。
「あれ、弟くんも同じところにアザ出来てるじゃん!」
そして、目ざとい執行さんはそれを見逃してはくれない。
「いや、違うんです!ホント!なんでもないですから!大丈夫ですから!」
僕はもう、ろくに目も合わせられないまま、ほうほうの体で逃げ出すしかなかった。
「ただいま」
家に帰ると、今日も姉ちゃんは定位置のソファにいた。
右手に文庫本、左手には保冷剤を包んだガーゼを持ち、額にあてがっている。
「今日の昼休み、執行さんが来たよ」
「…………そう」
「心配して事情を聞きに来たっぽい」
「………何か言ったの?」
「なんも……」
「そう」
そう言うと、姉ちゃんは文庫本から視線を上げた。室内用の物干しロープに引っかけられたバスタオルが物悲しげに揺れている。
「絶対に言うなよ」
リビングを出ようとする僕の背中を、姉ちゃんの声が小突いた。
「わかってるよ」
言えるわけないだろう、こんなこと。
物干しロープをくぐるように身を屈めて、リビングを出た。
青いビニール製の物干しロープ。
両端が缶バッジ程の大きさの吸盤に繋がっており、どこにでも簡単にくっ付けられる物干しロープ。
その吸盤をオデコにくっ付けて、姉弟で引っ張り合って遊んでいたなんて、口が避けても言えるわけない。
戦績は五回勝負で僕の五連勝。想定外に盛り上がった代償として、僕達の額には鈍器で殴られたようなクッキリとした内出血の痕ができていた。
マジでこれ、いつ消えるんだよ。
この遊びを考案したのは姉ちゃんなので、
やっぱりうちの姉ちゃんは、変だと思う。
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