第119話 ペルゲン辺境伯の陰謀

「罪人は連れてこられなかっただと、ふざけるな!!」


 高級そうな厚い絨毯の敷かれた広い一室に怒号が響く。

 声の主は、背が高くギラギラと獣のような眼をした男だった。纏う衣服は誰が見ても一級の品で、しかしその逞しい身体には些かサイズが小さくも思える。


 胸筋が膨らみボタンが今にもはち切れそうな程に力を込め、ペルゲン辺境伯領領主、ピリシアガ・ペルゲンは高級そうなテーブルを壊すのも厭わず拳を叩きつけた。


「⋯⋯申し訳ありません」


 抑揚のない声でそう答えたのは、白虎騎士団団長、ルーメス・トロント。

 今の彼は正直に言ってとても不機嫌であった。目の前で目を血走らせている主君よりもずっとだ。


 理由は簡単。竜人の里で得た内通者グアー・リンの手によって、ピリシアガの求めた物の半分は手に入った。そして残り半分は残念ながら取り返された。


 しかしその対価が、あまりにも大きすぎたのだ。


 今回派遣させた部下は三十名。白虎騎士団の中でも夜の活動に特化した者たちを選りすぐり、対応に向かわせた。

 その三十名が、今は廃人のようになってしまっている。


 彼らを見つけたのは、予め先遣隊が戻らぬ際に用意していた後詰めの部隊だった。

 戦闘の跡があり鎧は酷く斬り刻まれ、剣は血糊に塗れていた。本人たちにも出血の跡があったが、何故か傷はない。まるでやられた傍から治癒の魔法でも施されたかのように。


 そして敵対したと思われる相手の死体は何処にもない。一体何と戦っていたのか⋯⋯。


 戻った彼らは皆正気を失っていた。怯え、震えて、中には幼児に退行してしまったかのように鼻と涎を垂らして笑う者もいた。


 まともな会話が出来る者は、ほとんど残っていなかった。

 一体何が起こったのか、まだ話の出来る者も混乱と恐慌を起こしていて支離滅裂だった。


 ただ部隊を率いた騎士の一人が、震えながらも今回の任務の成果を持っていてくれたことだけは救いだろうか。

 いくつもの紙束、冊子、帳簿。そして分厚い一冊の本。


 それを受け取ったピリシアガが、乱雑に確かめていく。


「ふんっ、それでクルーカはどうした。まさか此処におらず、しかも生きているとは言うまいな!」


「クルーカ・キンリは強襲されたその場で首を刎ねたそうです。辛うじて口の聞ける部下からも複数証言を得ています。間違いなく始末しました」


「よし。セレスティナを向こうに取られたことが悔やまれる⋯⋯が、隷属の書はこちらにある。これで何とかなるであろう」


 未だ不愉快そうにピリシアガが持つのは、隷属の書と呼ばれる隷属魔法を行う際に使われる触媒、魔法具の一種だ。


 隷属契約された者は、その書に名を記される。そこから名前を消されない限り、死ぬまで奴隷として魔法を施した主人、或いは任意に譲渡された買主の言いなりとなる。


 その書の中には、ズルーガ国内、中でも取り入りやすい南部地域の貴族諸侯を纏めている人間たちの名もあった。


 自らの娘セレスティナが作り出した物であり、途中からはクルーカを使い自分に有利な手駒を揃えさせた。

 これこそが、ピリシアガがこの血生臭い辺境から脱するための鍵なのだ。


 そして大罪の証でもある。これが露見すれば――いやこれだけではない。これまでクルーカを通じて行ってきた事が王族に知れれば、自分は爵位の返上どころか処刑されるだろう。


「ひとまず最悪の事態は免れたが⋯⋯ルーメス、貴様は今後どう事態が動くと思う?」


「は。セレスティナ嬢とこれまで領内に隠していた奴隷たち。それらがあちらの手にあるならば、閣下が王宮に召還されるのはほぼ間違いないでしょう」


「であろうな。くそ、たった一日であれだけの数の奴隷をどうやって移動させた!」


 自領内の各地で分散して保管していた約三百名の奴隷たちは、ほんの一日で姿を消した。見張りをさせていた兵の口からは、魔女が現れ連れ去ったという眉唾な報告が上がってくる始末。


 テーブルの傍らにあったガラス製のグラスに、乱暴に酒を注いで一口で煽る。

 喉にひりつく熱さはいつもなら悩みを一時だけ振り払ってくれるのに、今日はそういかなかった。


「攫われた方法は不明ですが、居場所は割れました。どうやら領内ではなく隣の伯爵領に避難させられているようです」


「ほう、早いな。さすがは「私の」白虎騎士団だ」


 その言葉を聞き、ルーメスはミシリと歯を食いしばった。

 貴様に忠誠を誓ったわけではないと、声を張り上げて叫びたかった。しかし騎士として、そして部下を持つ者として、それは決して許されない。


「準備はさせているな?」


「はい、こちらでは第一、第ニ師団は既に行軍準備を終えさせています。我ら含め騎士団もいつでも動けます。流石に砦を空けるわけには参りませんので、第三から第八師団は国境沿いに配備。南部のカービンス侯爵からも、一部反対する諸侯を除いて概ね準備は整っているとのことです」


 辺境伯領国境守備軍。八つの師団に分かれ、総兵数は十万を超える。中でも精鋭の白虎騎士団が率いる第一、第二師団は、攻めも護りも完璧にこなすズルーガ国内最強の兵力。


 それをピリシアガは動かそうとしている。一体何処に向かって?


「予定では侯爵領を通って王領へ侵攻する気でいたが⋯⋯アレノフ伯爵の領地から直進したほうが早いか」


「距離としてはそうですが、もう少し慎重に進めた方がよろしいのでは?」


「此度はどれだけ早く駒を進められるかが鍵となる。であれば、我らに目を引き付けて南部からの援軍と合流するのも悪い手ではあるまい」


 大国の中で最も北に位置するズルーガの冬は厳しい。南部地域は貴重な穀倉地帯、一部では「食糧庫」と呼ばれている。

 しかしその扱いは、南部の貴族諸侯にとって屈辱以外の何者でもなかった。


 最北は北方の壁、或いは「ジェリコの壁」と呼ばれる人類未到の山脈。そこに住まう魔王の警戒のために兵力を割かれ、西は辺境伯のもとスルネア遊放国を常に牽制している。


 東には小国郡とギネド帝国。こちらも多くの兵力を割いている。


 そして南部はアルダ王国とほぼ隣接している。

 ただ彼の国は侵略意欲というものがないのか、こちらが攻めることはあっても向こうから侵攻してきたことが一度もない。


 したがってズルーガ国内では、南部地域は戦域のない安全地帯。悪い言い方をすれば「緩い」貴族が住まう場所と認識されていた。


 その扱いに南部に住まう貴族たちは不満を持っていた。

 自分たちは戦力ではなく食糧庫扱いされている。かつてまだ辺境伯領が置かれる以前は、西側を守護していたのは南部貴族の勇猛な諸侯たちであったのに。


 それが今はまるで農奴のような扱いを受けている。

 その鬱憤は、長い年月をかけて大きく膨れ上がっていった。


 そこに針を刺そうという男がいた。

 それが西を守護するペルゲン辺境伯だと分かった時、南部諸侯は怒り狂ったが、その南部を取り纏めるカービンス侯爵家が待ったをかけた。


 辺境伯は我ら南部の誇りを取り戻すために尽力しようというのだと。

 そしてカービンス侯爵は南部の主要な貴族を集めた会議の場で、ある秘密を打ち明けた。


 それを不敬だと怒るものもいたが、長年溜まった王家への不満がそれを押し流してしまう。


 かくして、ペルゲン辺境伯へ協力する形で南部貴族たちは「謀反」を起こす事になった。

 ペルゲン辺境伯が王位を簒奪するための駒として⋯⋯。


 その裏で数名の南部貴族と、特に発言権の強いカービンス侯爵がピリシアガに隷属しているとも知らずに。


「南部はどれほど集まりそうなんだ」


「侯爵閣下のお話では、総数でおよそ四千と」


「⋯⋯まぁ、そんなものか」


 辺境伯領からは第一、第二師団で総勢一万ほど。これが大々的に兵を募る事ができればもっと膨れ上がるが、流石にそこまで表立った行動はできない。


 王都ですぐ集められる敵兵力は多く見積もっても六千ほどだろう。北や東から援軍が駆けつける前に勝負をつけたい。そのためには迅速に王都を制圧しなければならないのだ。


「では予定を変え、第一第二師団は領内を南ではなく東に進軍。カービンス侯爵にも合わせて動くよう伝えろ、「大規模演習」の成果に期待する。なんなら伯爵領に頭を突っ込んでおいても構わん。ついでに持ち出された奴隷を始末していけ」


「⋯⋯⋯⋯⋯⋯」


「なんだ。その眼は」


 侮蔑とも憐みとも取れる視線をルーメスは自らの主君に向ける。


「騎士ルーメス、お前は父の代から我が家に忠義を尽くしてくれている。私はそれをとても嬉しく思っているんだよ。だからルーメス、虎狩りティガー・ハント。また孫に会いたいなら、きちんと協力してくれ」


「⋯⋯⋯⋯⋯⋯もちろんです、我が君」


 そう言いながら、視線は先程とは打って変わり殺気を帯びる。まるで自分が狩るはずの虎のような眼に。




 その一週間後。ピリシアガ・ペルゲンは王都へと召還され、玉座に座す王に跪いていた。

 これから引き摺り下ろされる哀れな獲物に、彼は恭しく首を垂れるのだった。

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