第93話 一応何かが起きました。

 こんにちは、勇者です。

 ブラックへの敗北、そして死を覚悟した自分の前に現れたのは擬態を解いて黒竜の姿で舞い降りたクロちゃんでした。


「なん、で⋯⋯来ちゃったんですかクロちゃん」


 自分の呟きはあまりにもか細すぎて、クロちゃんには届かなかったようです。今も怒りの眼で低く喉を鳴らしブラックを威嚇しています。


「黒竜がまだこの地にいたのか⋯⋯あぁ、お前はあの時逃げた幼竜だな?」


「グルルルゥ――――あの時?」


 一瞬、クロちゃんの視線がブラックの後ろに逸れました。その先には、クロちゃんのお父さんであった無残な亡骸が横たわったままで⋯⋯。


「お、とう、さん⋯⋯?」


 ヒュッと大きな金色の瞳が見開き、暫く唖然と口を開けていました。鱗をカシャカシャと擦れさせながら、クロちゃんは小さく震えているようです。


「なに⋯⋯え? おとうさん、それ――――おとうさん?」


「此処を住処にしていた黒竜がお前の父ならば、そうだろうな」


「っ!! おまえがっ、やったのかぁ!!」


 怒りを形にするように放った業火のブレスは、瞬く間にブラックを包みます。数十秒ほどで勢いが収まると、焼けた地面の中心で事もなげに立つブラックの姿。火傷はおろか、服さえも焼けた様子もありません。


「まったくどいつもこいつも⋯⋯忙しいと言っているのに」


 ふうと溜息を吐くブラックに、クロちゃんがその巨体の自重を無視するかのように一瞬で襲いかかります。しかし爪も牙も振るう尾も、彼には一切触れられない。


「このぉ、こいつっ! 死ね、死んじゃえ!」


 ガキンッ! と鋭い牙の生え揃った顎がブラックの頭を食いちぎろうとし、しかし口の中にはなにも残らない。何度も何度も噛みつこうと首を素早く動かしますが、その一切の動きを読んで退屈そうにブラックは身を翻して避けていきます。


 何度目かの噛みつきを避けた時、彼は億劫そうに手を振り上げクロちゃんの顔を叩きました。それだけであの巨体がぐらりと揺れタタラを踏みました。


「う、うぅぅっ!」


「身体は父親より成長しても、動きは短調だな」


 続け様に二撃三撃と蹴りを入れ、クロちゃんが堪らず尻餅をつく。

 脳震盪でも起こしているのかヨロヨロと立ち上がるけれど、それでも眼の奥にある殺意と闘志は朽ちていないようで、ギッとブラックを見据えています。


 まずい⋯⋯このままじゃクロちゃんまでブラックに殺される! ルルエさんはなんでクロちゃんを起こしてここに来させてしまったんですか!?


 震える脚に喝を入れ、なんとか立ち上がる。身体中に空いた穴から血がボタボタと溢れていくけれど今はそんなの気にしていられない。


 腰の小雑嚢ポーチから自分の魔力の詰まった魔鉱石を取り出し、回復する。

 しかし魔鉱石に残っていた魔力は微々たるもので、精霊憑依を行うにはまったく足りません。


「ぐ⋯⋯せめて、撹乱だけでも――――蜃気楼アバターミラージュ!」


 空精の力で幻の分身を何体も作り、ブラックへとけしかける。

 一瞬はそれに反応したものの、すぐに偽物と看破されジッとブラックに睨まれました。


「こんな小手先で私を欺けるとでも?」


「もちろん思ってませんよ――――常闇迷宮ダークラビリンス


 そう唱えると、分身たちから黒い霧が吹き出し周囲の視界を奪っていきます。

 風が吹いても払うことが出来ない魔力の霧。


 本来は自分を発生源としてしか使用できないオリジナル魔術ですが、実は蜃気楼アバターミラージュの分身でも使用可能。これを使えばかなりの広範囲に霧を広げることが出来ます。


「クロちゃん! 今しかない、逃げますよ!」


「でも、でもコイツが!」


「敵はあとで必ず取ります。今の自分たちじゃ到底敵わないんです、お願いだから⋯⋯!」


「⋯⋯わかった。乗って!」


 クロちゃんが低空で身を翻し自分の元へ飛んでくると、殆ど動けない自分を優しく咥えて背中に乗せてくれました。


 偉い人は言いました。逃げるが勝ちと!


 そうしてグングン高度を上げ一目散に空へ逃げ出すと、地上で眩い閃光が膨らんで黒霧が消し飛ばされるところでした。


「⋯⋯ふぅ、どうやら逃げられたみたいですね」


 そう呟いた瞬間、頬に当たる風が一瞬乱れました。


「そんなわけがないだろう」


 その声は、今この場で一番聴きたくない音色。慌てて視界を正面に戻すと、いつ追い抜かれたのか目の前に大きく翼を広げたブラックが腕を組んで浮かんでいました。


「⋯⋯うそ」


「私は正直がモットーなんだ」


 そう言って、手に持つ剣で空を切った。

 瞬間、ガクンと衝撃が伝わって身体が浮遊感に包まれました。


 どうなっているのか分からず周囲を見回せば、血を空に撒き散らすクロちゃんが見えました。その背中にあった一対の翼の片方が無く、視界の端でヒラヒラと舞っている――――。


 強い衝撃が身体中に襲い、一瞬意識が刈り取られる。暗闇を払うようにゆっくりと眼を開けると、自分はクロちゃんに抱き抱えられ地面に落ちたのだと状況を理解しました。


「ク、クロちゃん! クロちゃん大丈夫!?」


「う、うぅぅ、痛い⋯⋯」


 片翼を奪われ、地に落ちてなおクロちゃんはまだ生きていました。本当によかった⋯⋯。


「まったく、あまり手間を掛けさせるな」


 そう言って、ブラックがゆっくりと空から舞い降りてくる。その姿だけならばとても神秘的なものを感じさせるはずが、今は恐怖でただただ震えるばかり。


「ぐ、ぐれー、逃げて」


「!? そんなことできるわけないでしょう!」


「クロ、もう飛べない。それにコイツは絶対許せない、だからクロが最後までたたかう」


 よたよたと起き上がり、ブラックと自分の間に立ち塞がる。

 地面に叩きつけられた衝撃で内臓に傷を負ったのか、口から血が垂れています。それでもクロちゃんは威嚇するように首をもたげ、一つになった翼を必死に大きく広げています。


「良い忠誠心だ。その黒竜は貴様の従僕か」


「クロちゃんは自分の家族です! 従僕なんかじゃない!」


 そう叫ぶと、何故かクロちゃんが驚いたように振り向いて眼をまんまるにしていました。


「かぞく⋯⋯クロ、ぐれーと、かぞく?」


「そうですよ! なに今更驚いた顔してるんですか!」


 今はそんな場合じゃないでしょう! そう叫ぶけれど、クロちゃんは何処か嬉しそうに喉を鳴らし、一度自分に頬擦りして再びブラックに向き直りました。


「かぞくは、守る。おとうさんはクロを守ってくれた。だから⋯⋯」


 メキメキと、クロちゃんの身体から音が響く。鱗が逆立ち、そこからこれまで感じたことのない膨大な魔力を発して肥大化しているようでした。


「ぐれーはかならず生きて、るるーたちの所に帰って?」


 竜の姿なのに、ニコリと微笑んだのが分かる。

 その笑顔がまるで――――今生の別れのような。


「その忠義、しかと見届けよう。来い」


 何か感じるものがあったのだろうか。ブラックはこれまでの何処か飄々とした態度から一変し、剣を正眼に構えクロちゃんと対峙しています。


 相手を敵と認めた真剣な視線。それは殺気を伴いながらも、真剣な空気を放っています。


「私はブラック・レギアル。故あってお前の父を殺した。謝罪はしないが、奪ったお前の父の命は無駄にはしないとだけ言っておく」


「⋯⋯クロは、クロ。おとうさんのむすめで、ぐれーのかぞくだ! あやまったってゆるさない!」


「それで良い。いつでも参るがいい」


 二人の間で魔力が膨れ上がっていくのを感じる。二つの力がぶつかり合い、摩擦を起こすようにパリパリと空間が揺れて火花が散っています。


 どちらもすぐには動かない。その張り詰めた時間はピンと張った糸のようで、キリキリと今にも千切れそう。


 数えればものの数秒。しかしそれは何十倍にも引き伸ばされたように神経をすり減らします。

 最初に動いたのはクロちゃんでした。


 極限まで細く絞った炎のブレスが、刃物のようにブラックへ振り下ろされました。

 直線上の岩や地面は軽々と溶断し、しかしブラックは剣を盾のようにしてブレスの被害から掻い潜る。


 ブラックがガードするその刹那の間にクロちゃんは躍り出て詰め寄り、鋭利に伸ばした鎌のような爪を横薙ぎに振り抜きました。


 しかし⋯⋯。


「⋯⋯見事だ、黒竜の娘クロ。グレイの元に居なければ私が欲しかったほどに」


 爪は素手の左手一本で防がれ、しかしその接触面からは一雫の血が流れていました。

 サルマンドラさんでさえ斬れなかったブラックの肌を、クロちゃんの渾身の一撃は見事に傷つけたのです。


「さらばだ。勇ましき黒竜」


 そして右手に握られた剣は、巨大な剣圧を伴ってクロちゃんの身体を斜めに斬り裂きました――――。


「ギャッ――――――――――――ッ!!」


 短い断末魔。それが自分の耳に延々と木霊する。

 ゆっくりと大きな影が横たわるのを、自分はただ呆けながら見ているだけでした。


 やがて地面に赤い水面みなもが広がり、ようやく目の前の出来事が現実だと頭が理解します。


「ク、ロちゃ⋯⋯」


 近づいて鱗に触れる。いつもはひんやりとした感触なのに、戦いの直後だからか手が火傷するほどに熱い。

 その痛みもそっちのけで必死に身体を揺するけれど、クロちゃんはなにも答えてくれない。


「お、起きて? ルルエさんたちのところへ帰るんでしょ? 寝てちゃダメです」


 顔を覗き込んでも眼を瞑ったままで、鋭い牙の生える口からはダラリと舌が垂れて吐息も感じません。

 胸からお腹にかけて、たった今つけられた大きな一筋の傷が痛々しく奔り、そこから止め処なく血が溢れています。


「――――――――高等治癒ハイアドヒール! 高等治癒ハイアドヒール! 高等治癒ハイアドヒール!」


 頭が真っ白になりながら、その傷に沿って治癒を施します。だけど、血は止まらなくて⋯⋯ただ手が汚れていくだけ。


高等治癒ハイアドヒール! 高等治癒ハイアドヒール! ハイアド⋯⋯」


「無駄だ、もう死んでいる」


 ブラックの一言が、スッと脳に刺さる。


「その黒竜の勇敢さに免じて、と言いたいところだが。やはり貴様はここで処分する」


 なにを、いって、いるんだ?


「まったく⋯⋯こんな胸糞悪い展開になるならアキヒサになど任せなければよかった」


 さっきから、こいつ、うるさい。


「まぁどちらにせよ、お前とはいつか出会って選択を迫る予定だった。それが少し早まっただけのこと」


 うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。


「お前が素直に俺の言うことを聞いていればそうならなかった。その事を悔やんで死ね」



 う   る   さ   い   。



「ああああああああああああああああああああああああぁぁぁっ!!」


「っ!?」


 あつい。


 せなかが、すごく、あつい。


「馬鹿な⋯⋯純魔石オリジナルコアも無しに顕翼器官を発生させるなど!」


 あぁ――――なんか、ちからが、あふれて――――これなら、こいつを――――。


「ころしてやる、ころしてやるころしてやるころしてやるころしてやる!」


 ころしてやる――――。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る