第92話 一応命を懸けました

 刃が交差するたびに火花が散る⋯⋯という表現では足りないだろう。

 サルマンドラを憑依したグレイとブラックが剣を打ち合うたびに、周囲には猛烈な熱火と衝撃が荒れ狂う。


 周囲のものは吹き飛び、焼け、岩が砕ける。

 あっという間に彼らの周りだけ何もない真っ平らな試合場バトルフィールドと化した。


「ふむ、確かに精霊が表に出れば少しはやれるようだ」


「涼しい顔してんじゃねぇ! おら、もっと熱くなれよぉ!」


「残念だがお前の火はそれほど熱くない」


 鍔迫り合い、お互いの顔が近づく。その瞬間サルマンドラの腹を蹴り付け数歩たたらを踏む。

 その隙を見逃すはずもなく、ブラックは追い討ちを掛けるように剣を振り猛攻を仕掛けた。


「だぁクソッ、ほんと人間やめてんな!」


「お前がそれを言うか」


 数撃を辛うじて防ぐものの、勢いを殺し切れず不意に剣が下がる。それを畳み掛けるようにブラックは一閃し、サルマンドラの手から焔剣を弾き飛ばしてしまった。


 弧を描き遠くへ刺さった焔剣はその熱で地を焼きながら、次第に火の勢いを衰えさせ鎮火する。

 無手になったサルマンドラは、それでもニヤけた笑みを消さなかった。


「あ〜、やっぱ剣はダメだ。やるならやっぱこっちだよなぁ!」


 そう言った次の瞬間、両の手から炎が噴き上がる。肘の手前まで燃え上がった火はやがて不定形ながら形を整えていく。

 炎の手甲を纏ったサルマンドラは軽く素振りをすると納得するように無言で頷き、再びブラックへと疾駆し詰め寄る。


「やっぱ漢は拳だろぉ!」


 高熱を帯びた乱打がブラックを襲う。本人の言う通り剣はあまり得意でなかったのか、手数も激も勢いを増す。


「素手のほうが強いとは」


「ははっ、こっちのほうが楽しいよな!」


 ブラックの剣を時に受け、捌き、その隙間を縫うように拳を突く。剣の時とは見るからに動きが変わりブラックの身体を打ち据えていく。


 しかしそのどれもが急所を外し――――いや、外されて決め手にはならない。

 サルマンドラは歯痒く思いつつも笑みを絶やさなかった。


「聞きたいのだが」


「何だぁ!」


 目にも止まらぬ横薙ぎを寸でで躱し、しかしアルマンドラは間合いを取らざるを得なくなる。

 二人の間に数秒の沈黙が続いた。


「⋯⋯なぜ、そこまでソレに力を貸す?」


 話がしたいというように、ブラックは剣の切っ先を下げた。


「あぁ? そんなの簡単よ。コイツは俺らに世界を見せると、その身を対価に望むことをさせると言った」


「そんなことは貴様らには不要だろう。この世のあらゆる場所に存在する精霊ならば」


「そんなこたぁ無ぇ。どんな場所に存在してもそれらに己の意思として、肉の身として触れることはできねぇ。ま、童心に返るってやつか?」


 サルマンドラも構えを解き、拳に燻る炎にフッと息を吹きかけて揺らめかせる。


「ならソレでなくても良いだろう。憑こうとすれば適材な人間もいるはずだ」


「確かにいなくはねぇ、ただコイツ以上もいねぇ。お前なら分かるだろ? 人間なのに俺らをここまで使えるコイツ⋯⋯グレイの異常さが」


「だがソレは貴様らの嫌うあの女が御膳立てしたものだぞ?」


「ん〜、半分正解。半分間違いだ」


 会話が退屈なのか、準備運動するように忙しなく関節を伸ばす。早く続きをと催促するように。


「あの糞女はきっかけを早めただけに過ぎない。一生のうちでいつかは分からんが、何れコイツは俺らを使ったね。なんなら感謝しているくらいだ、こんな活きのいいうちにこれだけの事を出来るようになってんだからな。爺になってたらそれこそやりたいことも出来なくなっちまう」


「だから貴様ら精霊は、あの女に与すると?」


「当然。この身体が、契約者の意思こそが我らの総意」


「己を消そうとする存在に手助けするのか」


「だからなんだ? 俺らはコイツを好きに使う。コイツは俺らを好きに使う。それ以上でも以下でもねぇ、それが原初から在る俺らの意思だ」


「⋯⋯精霊の意思というには些か乱暴だな」


「それもコイツの影響さね。生死の概念がない俺らにとって幾万の時を経たこの出会いの感動は、たかだか数百年しか生きてないオメェには分からんだろうなっ!」


 炎拳が舞う。神速の一撃はしかし寸でで剣に防がれる。だがその刃をサルマンドラはがっしりと掴んだ。

 ブラックがしまったと気づく時にはもう遅く、グッと引き寄せられ首を鷲掴みにされた。


「俺の火が熱くないと言ったなぁ? もうちっとばかし試してみろよ」


 掴んだ首元から炎が躍る。これまでの真っ赤な陽炎ではなく、妖しげに揺らめく蒼炎。それは確実にブラックを焦がし、ブスブスと煙が上がり肉の焼ける匂いが鼻腔を突く。


「が、ぁぁっ!」


「おらぁぁっ、まだまだ上がるぜぇ! これでも熱くねぇってか!?」


「は、なせ――――」


 ここにきて初めてブラックの顔が歪む。引き剥がそうと踠き、しかし竜の顎が如きサルマンドラの手は決して離れなかった。


「この⋯⋯⋯⋯いい加減にしろっ!」


 ブラックが声を荒げた瞬間、彼の背中から何かが飛び出した。衣服を突き破り、刺のような角のようなものが見えたかと思うとそれが発光する。


 光と共に高周波のような甲高い音が周囲に響く。それと共に彼の青い瞳が深紅の輝きへと変化する。

 燃え盛るサルマンドラの腕を取ると、炎を打ち消すように魔力の篭った冷気が漂い、氷結を始めた。


「――――っ!? へへ、ようやく本気かな?」


 ほんの一瞬で手をはなし距離を取ったサルマンドラの腕は、蒼炎を消されて代わりに分厚い氷に覆われていた。


「こんなところで――――力を使わされるとは思わなかった」


 ゆらりと、ブラックが紅に染まった視線をサルマンドラに突き刺す。

 背中から生えていたのは、まるで鳥の翼のような骨格、その一部分だった。そこから目には見えぬ力の奔流――――膨大な魔力が吐き出されているのをサルマンドラは感じ取った。


 そしてもう一つ大きな変化がある。先程まで金糸のように揺れていた髪が、真っ黒に変わっていったのだ。まるでグレイが精霊を宿す際に髪の色を変えるように。


「精霊相手にしてその言葉は傲慢じゃねぇか」


「貴様が本体であれば、な。そんな半端者の身体で操られる力にコレを使うのは――――屈辱だ」


 メキメキと音を立てながら背後の骨格が蠢く。やがてピンと先を立てると、不可視であった魔力の塊が形を持ち空へと拡がった。


 それは、黒く大きな翼であった。鴉のような光沢のある艶やかな羽、しかしその巨大さと威圧感はさながら竜が翼を広げているようにも見える。


 その異様さは、彼の整った顔立ちも相まって寧ろ神々しくもあった。この世界に天使という存在があったならば、それはまさしく彼のことだろう。残念なことにその背にあるのは清き純白の翼ではなく、禍々しい黒き堕天のしるしであったが。


「さぁ、これで満足か火の精霊。宿主が死なぬよう、精々気張れよ」


 ブラックがスッと手を掲げれば中空に無数の氷の刃が乱立する。その一本一本が最高位の氷結魔法と同じ威力があり、それが天を埋め尽くしていた。


「――――来いやぁぁっ!!」


 ブラックが腕を振り下ろし、氷刃が一挙に放たれる。そのどれもが一撃必殺。それをサルマンドラは笑みを浮かべながら全身に炎を纏い打ち砕いていく。


 超高熱と極低温のぶつかり合い。それが数分にも渡って続いた。

 朦々と立ち込める水蒸気が視界を奪い、しかし先程まで続いていた拳撃の音はピタリと止んでいた。


 山頂に緩やかな風が吹き、立ち込める霧を少しづつ散らしていく。そこから次第に浮かび上がったのは、血塗れになり身体中に氷柱を生やしたサルマンドラの姿だった。


「グ、ふぅ⋯⋯大した、こたぁ⋯⋯⋯⋯ねぇな」


 そう呟くが、その姿は誰が見ても満身創痍であった。震える手で肩や脚に刺さる氷柱を引き抜き、その度に苦悶の表情を浮かべる。それをブラックはつまらなそうに眺めていた。


「見事だ、火の精霊。しかし戯事はもう充分だろう」


「ハ、ハッハ! 戯事か、そうだな⋯⋯こいつは誰が見たって戯事だ。だけどよぉ」


 傷口から血を溢れ零し、それでもサルマンドラは拳を構えた。


「うちのやんちゃ坊主は、まだやれと宣いやがる。普段それほど戦いに興味もねぇくせに、困ったもんだ⋯⋯ま、動かなくなるまで付き合えよ」


「⋯⋯私はこれでも忙しいんだが」


 溜息と共に、再び氷柱の雨が山頂へと降り注いだ――――。


◇◇◇◇


 結論から言えば、それはもう大惨敗。泥臭いを通り越しいっそ清々しいくらいにあのブラックには敵いませんでした。

 サルマンドラさんの憑依も既に解けて、自分は無様に地面に転がっています。


「ァ――――ぐ、カハッ」


 血塗れになった身体を起こそうとして、喉に溜まった血が一気に口から吐き出されました。鉄臭い。

 視界も霞み、サルマンドラさんの力でようやく動けていた身体はもうちっとも言うことを聞きません。


「⋯⋯ようやくか。ここまでされると流石に褒め言葉の一つも送りたくなる」


 呆れ顔で自分のことをブラックが見下ろしています。って言うかこの人、羽とか生やしてるけど人間じゃなかったんですか? 髪とか眼の色とか変わってるし――――それは人のことを言えませんね。


「負け――――ました」


「当然だ。先程までは殺そうと思っていたが⋯⋯一つ条件を飲めばこのまま生かそう」


 はは、めっちゃ上から目線。これだからエリートは。


「⋯⋯聞、く、だけ⋯⋯聞きましょ、う」


「ここまでされたのに妙に反抗的だな、まぁいい。グレイ・オルサム、私の配下となって我が手足となれ」


「あのツムラのようになれ、と?」


「アレは金で動いているだけだ、大した力も持っていない。お前には真の意味で私のために――――そうだな、私の野望を成就するための仲間になってほしい」


 仲間、と⋯⋯それは随分と耳障りの良い言葉ですね。


「これからそう遠くない未来、世界は争乱の渦へと転がり落ちる。その時のために準備をし、その時のために私と共に力を蓄えろ――――ただし」


 ブラックの赤い瞳が、スッと細くなり自分を射竦めます。そんな目しないで、力も入らないから簡単にちびっちゃいそうです。


「ただし、ルルエ・ラ・ヘインリーとの縁を切れ。アレと決別するのが大前提だ」


「⋯⋯一応、理由を聞いても?」


「ヘインリーは私の野望にとって障害となる存在。彼奴の力を削ぐと言う意味でも、お前は私の側で動いてもらいたい」


「――――――――はは、お断りします」


 震える腕を必死で持ち上げ、中指を立てる。おお、めっちゃ怖いです。目力だけで止め刺されそう⋯⋯。


「そうか⋯⋯まぁ何となく分かってはいた。アレは本性さえ露わにしなければ中々に小気味良い女だからな。お前が懐くのも分かる」


 ルルエさんの本性かぁ、見たくないなぁ絶対怖いし。


「では残念だがここでサヨナラだ、今更だが中々に良い腕だった。少しだけ楽しかったぞ、翠の勇者グレイ・オルサム」


 地に伏す自分に向け、ブラックが剣を高く振りかぶる。あの腕なら首を撥ねられても、そんなに痛くないかな⋯⋯。


 そう思いながら、最後に見納めになるだろう高い空をボーッと見上げます。青く広い空は雲一つなく、とても綺麗な透き通る色。


 あぁ⋯⋯せめて最後にみんなとちゃんとお別れしたかったですね。そう思っていると、青一色の視界の隅に黒い染みが現れました。胡麻粒ほどだったそれは瞬く間に大きくなり、たちまち眼前を埋め尽くしていきました。


 その黒いものが何か気付いて焦った頃にはもう遅く、突風を伴っては舞い降りました。


「ぐれーをっ! いじめるなぁあああああああああああっ!」


 巨体を自分たちの間に割って入るように叩きつける。地響きと共に舞い上がる砂埃で視界は奪われ、だけどその巨大なシルエットだけでも誰かはすぐに分かります。


「⋯⋯なんで来ちゃったんですか、クロちゃん」


「だって、ぐれーがピンチだって、るるーが言った! だから、クロが助ける!」


 雄々しき黒竜(だけど雌)はチロチロと口から火を迸らせ、怒りの眼光をブラックに叩きつけました。

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