第86話 エルヴィンの憂さ晴らし
長身の
「まったく、どこで何をしているのかと思えば、碧程度のパーティにいるなんてなぁ? かつての蒼の勇者が落ちぶれたもんだ、なぁ? エルヴィン」
煽るように投げかけた言葉はしかし、眼前のロングコートを着た男――――エルヴィンには大して意味もないようだった。いや、昔から何を考えているかわからなかったし、内心歯噛みしているに違いないとクルーカはクイと口角を持ち上げる。
「俺らのパーティが解散してからペデンドに声を奪われたそうじゃないか。今は魔法も使えず何をやってる? 荷物持ちの雑用か?」
エルヴィンば答えない。当然だろう、声を失い勇者の資格を失った奴が首も降らず肯定も否定も出来るはずがない。
クルーカは昔からエルヴィンのことを嫌っていた。態度は鼻持ちならず、一言二言の指示で自分をこき使う。
斥候として一番パーティに貢献していたのは自分だったはずなのに、分け前は等分。色など付けられたこともない。
その点今いるパーティは金回りも良い、待遇は雲泥の差だ。
「⋯⋯まぁいい。昔の馴染みだ、殺さないでおいてやるよ。ちょっと痛い目は見てもらうが、なぁっ!」
背に掛けた弓を素早く構え、腰の矢を番う。さて、まずは肩からかと狙って放てば、深々と刺さるはずの矢はキンと音を立てて見えない壁に弾かれた。
「――――あ?」
なんだと訝しみながら次の矢を放つ。すると同じように弾かれてしまう。
「これは⋯⋯防御の魔法具か? なんだ、安全対策だけはバッチリってわけか」
フンと鼻で笑う。しかしクルーカには魔法対策もある。少し値は張るが魔力無効の加護がかかった矢を番え、今度は一度で無力化出来るよう急所を狙い、放つ。
今度は弾かれた地点でも何事もなく矢は飛んでいき、エルヴィンの胸に突き刺さるその直前、エルヴィンの手が素早く動き矢を鷲掴みにされてしまった。
「なっ!?」
その動きにクルーカは驚く。エルヴィンは事もなげに右手で握った矢を一瞥すると、それを見せつけるようにペキリとへし折り、大きな溜息を一つ吐いた。
「クルーカ」
それにまたも驚愕した。今のは正真正銘、エルヴィンの声だった。奴はもう喋れないはずなのに、なぜその苛立たしい声をまた耳にするのかと。
「斥候ならもっと警戒心と観察眼を持て。相手の自衛手段や対抗手段が何もないとなぜ思う? お前はそういうことを最も警戒しなければならないポジションだろう⋯⋯何も変わっていないな」
「お、まえ、喋れるのか」
「あぁ、さる御方に治して頂いた。まぁこんなもの、喋れなかった時でも対処できたがな」
そう言って矢を放る。そして左手からも、何か木片のようなものが捨てられた。
それはエルヴィン自作の魔法を込めた木札だった。
エルヴィンは敢えて喋らずクルーカを撃退しようと考えていた。しかし色々と言われっぱなしなのも癪に感じ、結局言葉を交わしてしまった。
声が戻ってから少々口数が増えてしまったかと、エルヴィンは内心自嘲する。
「糞が!!」
クルーカは気に食わないとばかりに二矢三矢を番え放つが、その尽くをエルヴィンは叩き落とした。
屈辱だった。ただの魔法士如きに素手で防がれるなど思っても見なかったのだ。それが堕ちた勇者であるエルヴィンなら尚更だ。
「無駄だ。お前の腕程度では一本も当たらん。思えば、何故お前のような奴を俺はパーティに入れていたんだろうな」
さもクルーカがいないとばかりに物思いにふける。そうだ、こいつは確かペデンドに言われて嫌々ながらに迎え入れたんだったと至り、エルヴィンはまた嫌そうな溜息を吐いた。
「なんで⋯⋯なんで防げる!」
「分かるだろ、お前が弱いからだ」
エルヴィンが悠然と歩き出す。てっきり魔法が飛んでくると思ったが、奴は接近戦を選ぶつもりだ。あろうことか魔法士如きが!
「ふざけるなぁ!」
ジリジリと下がりながら更に矢を放つ。しかし結果は先ほどの繰り返しだった。七本目の矢をへし折られた時、エルヴィンが飛ぶように走り出した。
近付かれればやられる。無意識に飛び退こうとするのを、クルーカは屈辱に思い脚を止め短剣を抜く。しかしその一瞬の迷いが致命的だった。
既にエルヴィンは懐に潜り込み、腕を振り上げ掌底を顎に叩き込まれた。
衝撃で脳が震え視界がぶれ、短剣を手放してしまう。徒手空拳の魔法士と侮っていた相手に、クルーカは無様に地へ転がる様を晒した。
「そう言えばお前もペデンドも魔法士は近づけば何も出来ないとよく蔑んでいたな。どうだ、今の気分は?」
たった一撃で地面に伏すクルーカにそう吐き捨てる。
そもそもエルヴィンは魔法士であるが、仮にも一度は蒼の勇者まで登り詰めた男だ。専職には及ばずとも、当然それなりに剣や格闘術は使えるのだ。それをクルーカは知らなかった。
「あの後調べたんだが――――ペダンドに俺を襲うよう唆したのはお前だと聞いた」
倒れるクルーカの胸に思い切り脚を落とす。ウッと呻き見上げれば、エルヴィンは冷え冷えとした笑みを浮かべていた。取り落とした短剣を手にしてだ。
ペダンド――――かつて蒼の勇者であったエルヴィンを謀り死に追いやって、彼の持つ高価な魔法具を奪おうとした哀れな男の名だ。
「俺から奪った魔法具を裏で売り払う算段だったらしいな。自分で実行しないあたりはお前らしい」
「ち、ちがっ! 俺はそんなこと言ってねぇ! 何かの間違いだ!?」
嘘である。斡旋先は用意すると唆し、頭の足りないペダンドを手足にして襲わせたのだ。
それも失敗に終わりエルヴィンからの報復に警戒したが、暫くしても何もなかったのでてっきりバレていないと思っていたのに。
「まぁあの後の俺は完全に無気力で特に仕返ししようとも思わなかったが、今はそうでもない」
シュッと風切る音と同時に投げられた短剣がクルーカの右肩に刺さる。
「いぎぁぁっ!?」
「人間、気力というのは大事だな。今のお前の顔を見ていたら無性に殺したくなってきた」
「やめ、許してっ、そ、そうだ! これからはまたお前に従う、アキヒサを殺せばかなりの金が転がり込むぞ!」
苦し紛れにそう言ったが、その言葉はエルヴィンを更に不快にさせた。冷笑は失せ、ただ無機質な視線が刺さる。
「――――屑が」
エルヴィンは短剣を引き抜き、今度は左肩に全力で突き刺した。さっきよりも深く抉られ、流れる血が地面に池を作っていく。
「ぎぃひっ!? い、いだぁっ、し、死にたくなっ、許してっ!?」
「安心しろ、殺さない。だが、ちょっと遊ばせてもらう」
それからは中々に凄惨なものだった。クルーカを突き刺し切り裂いては、傷を癒す。それを何度も繰り返した。始めこそ活き良く泣き叫んでいたが、暫くして失禁しながら意識を手放した。
クルーカの股間が濡れ、地面に血溜まりとは違う池が広がる。エルヴィンはそれを見て顔を顰めた。
「まったく⋯⋯この程度のこと、グレイ様なら軽口程度で耐えられるというのに情けない」
普段の鍛錬でクレムに手足を切り飛ばされても、治されればすぐ剣を振り始めるグレイを思い浮かべてそう呟く。
しかしこの屑と素晴らしき自分の主人を比べるのは酷かと、エルヴィンはまた小さく溜息を吐いた。
だが、若干でも胸はすいた気分だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます