第85話 クレムの成長

「まさかこんなところで史上最年少の白金勇者に出会うとは思わなかった、とても嬉しいよ」


 大柄な男――――グアンター・ロンドは、自らの腰元ほどしかない小さな子供に向かい不敵な笑いを浮かべた。

 白磁のような柔肌。金糸が如き艶やかな髪。そしてあどけなさの残るその顔を見て、ベロリと大きく舌舐めずりをした。


 彼は小さいものが好きだった。脆く壊れやすいそれを、少しずつ壊していくことにこの上ない悦びを感じる異常性癖者。それがこの男の本質だ。

 子供の頃は人形の手足をもぎ取るのが好きで、十代になるとその矛先は小動物への虐待に向けられた。


 そして成人した今は人間の――――。


「しかし、あのクレム・ロウ・ハイエンがまさかこんな可愛い女の子だったとはなぁ」


「いえ、僕は男ですよ?」


 まるでドングリのような丸い目をパチリと瞬かせる。しかし性別などグアンターには関係がない。要は細く華奢で小さければなんでもいい。痛みを与えたときに良い声で鳴くならばなお良い。この子はどんな苦悶の表情を見せてくれるのかと、彼の頭はそれだけで一杯だった。


「そうかい。ならなんでそんな格好をしている?」


「えっと、お兄様が可愛いと言ってくれるので!」


 そう無垢に笑う顔を、早くグシャグシャに歪めたい。鼻を折り歯を抜いて頬骨を砕き歪ませ、血と涙に濡れることを想像するだけで自然と口角が上がる。


「お兄様⋯⋯あぁ彼か。中々に良い趣味を持ってるんだな」


 あのグレイ・オルサムとかいう新参の勇者に少しばかり関心を持つ。自らの壊れた趣向に多少なりとも近しい存在なのかと興味が湧いた。

 だが残念ながらもう言葉を交わすことはないだろうと高を括る。何せ転生者であるアキヒサにあんな言葉を吐いたのだ。今頃はもう生きていないだろうと。


「ではこの辺で始めようか、クレムくん」


 アキヒサ・ツムラの弱肉強食レベルダウナーの有効範囲からは充分に離れた。周りには誰もいないので、たっぷりと楽しむことができるだろう。


「はい。でも良いんですか? 僕のことを知っているなら、その実力もお分かりかと思うんですが」


「あぁ、勿論。アルダ王国の御前大会での武勇伝は遠くスルネアにも届いている。ついでに君の弱点もね」


 そう言うと、クレムの顔にほんのりと恐怖が浮かぶ。

 彼は知っている。例えその強さを踏まえ特例として白金等級として認められたとしても、この子供には致命的な弱点があると言うことを。そして自分はこの子にとっての天敵なのだということも。


「君は魔物が怖い、そうだろう?」


「――――それが何か? しかし対人戦なら貴方など秒殺できます」


「そうだろうねぇ、そうだったんだろうねぇ〜!」


 抑え込んでいた興奮が一気に膨れ上がり、グアンターの顔がいやらしく歪む。醜い笑顔の口元には巨大な犬歯がギラついて、吐き出す息はまるで獣のように臭い。


 メキリ、と。


 グアンターの身体から異音が響く。その音とともに彼の巨躯はさらに肥大化し、纏っていた粗雑な鎧のベルトが弾ける。衣服までもパツパツになって遂には破れ、その中から獣のような分厚い体毛がザワザワと広がる肉体が露わになる。


「へひゃっ、げはヒャハハッ!」


 それなりに凛々しかった顔立ちもまるで粘土を捏ねるように形を変え、鼻面は伸び、耳も大きくピンと尖り、鋭い牙が剥き出しになる。獣の体毛はすでに全身へと生え揃い、その姿はまるで二本の脚で立つ狼のようだった。


「な、なに? なにが起こってるんですか!?」


「俺はなぁ! 人狼なんだよ! 怖い怖ぁい狼なのさ、魔物と似たようなものなんだよ!」


 魔物、と言う言葉を殊更に強く言い放つ。そうクレムに刷り込めば、彼は更に怯えることだろう。

 元の二回りは大きくなった巨体で、一声吠える。人狼グアンター・ロンドはここに自らの野生を開放した。あとは目の前の柔らかなものを思うがままに貪るだけだ。


 さぞ恐怖に打ち震えているだろうと目を細めてクレムを見遣り――――しかしそこには期待通りのものはなかった。


「はぁ〜、亜人の方だったんですね! すごい、初めて見ました!」


「――――――――え?」


 目の前には瞳をキラキラと輝かせ、好奇心に包まれた楽しそうな子供の姿。そこに恐怖の欠片など一片もなく、むしろワクワクという擬音が聞こえてきそうなくらいにジッとこちらを見つめている。


「あ、の⋯⋯⋯⋯怖く、ないのか?」


「え? ちょっとビックリしましたがそこまで怖くないですよ?」


 その言葉に、グアンターは焦りを見せる。この姿になれば絶対に恐怖に慄き、震えて逃げ惑うのを楽しく追い回せると思っていたのにその目論見が外れた。これは一体どういうことだと混乱する。


「き、君は魔物が怖いんだろう! ほら見ろ! 俺はもう魔物みたいなもんだぞ!?」


「ん〜、確かに魔物っぽいけどこうしてお喋りできますし。それに、最近は少しずつだけど魔物にも慣れて戦えるようになってきたんですよ!」


 まるで褒めてくださいと言わんばかりの語気に、グアンターの頭は真っ白になった。

 拙い、と身を震わせる。この姿になれば楽に白金等級も狩ることが出来ると目論んでいたのに、それが根本から崩れ去ってしまった。


「いやほら、ちゃんと見て! この牙とか凄く魔物っぽい! 怖くない? 怖いよね!?」


 そう言い聞かせるように言葉を放つが、それは全て自らに翻ってくる。クレムではなく、必死に自分に言い聞かせているのだ。


「確かに凄い牙ですけど、クロちゃんに比べれば何でもないです!」


 クロちゃんて誰!? 突如名前が出てきた知らない人物に恨みを送る。その当人はいま夢の中でバリボリと大好物の羊を貪っているのだが⋯⋯。


「あ、え、あ⋯⋯ま、待とう。少し待とう! やはりこの戦いはフェアじゃない、一対一ではなくパーティ戦に変えてもらおう!」


「フェアじゃないってなんですか?」


 ニコリと笑ったまま、クレムが闘気を剥き出しにする。たったそれだけの事で全身が総毛立ち、ガタガタと震えが込み上げる。


「どんな戦いがフェアなんでしょう? 貴方たちは何もしていないクロちゃんのお父さん――――黒竜を寄って集って殺した。それはフェアな戦いだったんでしょうか?」


 シャラリと、剣の抜く音が響く。闘気は殺気に変わり、クレムが一歩踏み出すだけで心臓が押し潰されそうになる。


「お父さ⋯⋯?! 待って欲しい、俺は、俺は大して何もしていない! そうだ、殆どは勇者の、アキヒサや西の英雄――――ブラックがやったことだ! だから!」


「うるさいなぁ」


 気が付けば、小さな身体が目の前から消えていた。そのあどけない声は、何故か自分の真下から聴こえてくる。震えながら見下ろせば、そこには笑顔の消えた熟練の戦士の顔がある。


「怒っているのはお兄様だけじゃないんですよ」


 鳩尾に蹴りが突き刺さる。たったそれだけで自慢の巨体が吹き飛び、地面を何度も転がって土を舐めた。ようやく自分が攻撃されたと気付いたとき、腹の痛みが後から襲う。


「げぇぁっ、が、がっ――――!?」


 血の混じる吐瀉物を撒き散らし、グアンターはなお混乱した。今まで潰してきた小さいものたちはこんな恐ろしいものではなかった。何なのだ、目の前にいるアレは何なのだと。


 不意に、顔の前に影が落ちた。何も音はしなかった、何も動いた様子はなかった、なのに何故あの子供は吹き飛んで離れたはずの自分をすぐ側で見下ろしている!?


 震えながらゆっくりと影の主を盗み見れば、そこにはオーガがいた。とてつもなく巨大な恐怖の塊が、自分を見据えているのだ。


「ひ、ぃ、ゆ、ゆるしっ」


「そんなわけないでしょう」


 クレムの手に持つ剣が振り上げられる。その動きは酷く緩慢に感じたが、そう見えただけで身体は反応しない。

 それはただ死の間際に全ての光景がゆるりと流れるのと同じこと。断罪の剣は容赦なく下され、そしてグアンターの視界は暗転した――――。






「まったく、ただの寸止めなのに気絶してしまうなんて。これなら初めて出会った頃のお兄様のほうがずっと度胸がありますよ」


 クレムは白目を剥いてダラリと横たわる人狼を侮蔑の目で見遣り、小さな溜息を吐く。まったくなんという茶番、これなら人狼の言う通りパーティ戦をしていたほうがまだマシだったかもしれない。


「さて、早く戻ろ。お兄様の格好いいところを見逃しちゃうよ!」


 グアンターの首根を掴んで引き摺り、小さき鬼は恋い慕う者のところへと戻っていった。

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