幕間 帰りを待つ者たち

「お兄様、帰ってきませんねぇ」


 半透明の犬と少年と美女が戯れているのをボーッと眺めながら、クレムがボソッと呟いた。何だか和む光景だが、内心は中々戻ってこないグレイが心配で気が気ではないのか、椅子に腰掛けながら忙しなく足をブラブラとさせている。


「もう五日だからなぁ、一体いつまで戻ってこないつもりだ?」


 同じくその光景を複雑そうに横目に見ながらエメラダがテーブルを指先でコツコツと叩く。エルヴィンは口をキュッと結んだまま、落ち着かなそうに教会の中をウロウロと歩き回っていた。

 クロは長椅子で気持ち良さそうにお昼寝中だ。


「そうねぇ、ちょ〜っと長いかなぁ。あと二日経っても戻ってこなかったらいい加減迎えに行こうかしらぁ」


 既に昨日には除霊を終えた一同は、教会でグレイの帰りを待っていた。安穏と構えているのはルルエだけで、他は気が気でないと皆そわそわしている。


『あ〜、モフモフだわぁ。本当に可愛いわねカルネルちゃん、私犬は飼えなかったから、死んでからこんなに堪能できるなんて思ってなかったわ!』


『シューリア姉ちゃんは犬が好きなんだな。野良犬や狼ならうちの周りに沢山いたぞ?』


『ふふ、お父様が許してくれなかったの。奴隷は持っていいのに犬はダメなんておかしいわよねぇ?』


『アォン? ワン!』


 守護霊の二人と一匹は久々の現世を思い思いに楽しんでいた。特に人気は犬のカルネルで、シューリアとハイエルに撫でまわされている。それも不快ではないのか、カルネルはされるがままに撫でられ時に腹を見せて、もっとやれとせがんでいるようだ。


「あの、ハイエル兄様⋯⋯そちらの方は亡くなられてますが王女様ですので、言動はもう少しきちんとなさってください」


「お前が言うかクレム? あたしとお前も似たようなもんだろ」


「だってエメラダ様が堅苦しいのは嫌だって言ったんじゃないですか」


「おう、言ったな。だからいい加減に様付けやめろよ、こそばゆい。下町のガキどもはもっと気軽かったぞ?」


 そうは言うが、他国とはいえ一応貴族のクレムとしては王族に敬意を払わないのはどうなのかと思っている。しかし言葉遣いはともかく、接し方ははたから見ても姉妹と言ってもおかしくない距離感だ。クレムは男だが。


「ルルエ様、グレイ様が囚われているという玉座の間ですが、それは一体どう言った場所なのでしょうか」


 主人の安否がとにかく気になるエルヴィンは少しでも不安を拭い去ろうと、同じようなことを何度も尋ねている。


「だからぁ、さっきも説明したじゃない? 元アルエスタの王城にあった玉座の間は、古い時代に女神の加護を受けて外界とは隔絶されたシェルターみたいになってるのよ。だから城がなくなっても空間だけが残って、今も特定の人間だけを通すようになってるの」


「しぇるたぁって何ですか?」


 聴き慣れない言葉にクレムが首を傾げる。


「ん〜、簡単に言えば避難場所かなぁ? しかもそこでは刃傷沙汰が起きないよう特別な聖の治癒魔法が貼られていて、そう簡単に人間は死ねないようになってるの。私がアルエスタを滅ぼした当時、王に取り憑いた悪霊は姑息にもそこに隠れていてね? 国が滅んだ後もお付きの騎士と共に今もその中で生き続けているのよ」


「で、今は姐さんだけが入れるはずが、姐さんの魔力や血で染められてるグレイが迷い込んだってんだろ? もういい加減に耳タコだぜ」


 聞き飽きた、とエメラダがため息を吐く。エルヴィンの心配も分かるが、ルルエが命の危険はないと言っているのだから大丈夫なんだろうとあまり慌てないことにした。でないと他の仲間がさらに騒ぎ始めて手が付けられないと思ったからだ。


「でもそのお付きの騎士、相当強いんですよね?」


「そうねぇ、普通にクレムの坊やよりやると思うわよ」


「それは⋯⋯お兄様、大変なことになってそうです」


 もう何十回死ぬ思いをしているかしら、と言いかけてルルエは自重した。火に油を注ぐのも面白いが、これ以上騒がれてただでさえ渋い葡萄酒の味が落ちるのは勘弁してほしい。


「これもグレイくんにとってはいい修行よ。あそこでは精霊も介入できないから相当銀騎士くんにシゴかれてるはずだし、戻ってきたら随分と成長してるんじゃないかしらぁ」


 グラスの中で紅い液体を転がしながら、ルルエはほくそ笑む。本当ならば銀騎士相手に必死に足掻くグレイの姿を生で見たかったが、こうも子供のような連れが多くてはおちおち様子も見に行けない。


 時間を置いて熟成された姿を見て悦に浸るのも一興と、彼女はこうして毎日教会の蔵の酒を着実に減らして待っているのだ。


「どうでもいいがルルエ、その酒代も当然払ってくれるんだろうね?」


 飲んだくれるルルエを、ギンナは腕を組み鋭く睨む。ただでさえ趣向品の少ない僻地で、大事な酒を浴びるように飲まれては堪ったものではない。


「はいはい、墓石の修繕費と合わせてちゃんと払うわよ、グレイくんが」


「うっ、いっぱい壊してごめんなさい⋯⋯僕も払いますので」


 墓石破壊の主犯であるクレムがしょぼんと項垂れる。


 それにしても、とルルエは教会の窓から外を眺めた。


「グレイくんが本当にアレを倒してくれたら、今後はすごく楽になるから頑張ってほしいわぁ」


 酔っ払いの放つ心の篭っていないエールは、果たしてグレイに届いただろうか。

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