第114話 デート(琴葉)②

 田舎の夕方は、都会のそれとは違う。


 都会の夕方は疲れている。会社員もくたびれた顔をしているし、疲れた音があちらこちらで鳴っている。

 都会の夕方は、なんとなく鬱屈な気持ちになる。


 それに対し、田舎の夕方は獰猛だ。


 子供たちは沈みゆく夕焼けを見てはしゃぐし、町は静かで嵐の前のようだ。

 田舎の夕方は、むしろ気が引き締まる。


「そして凛くんは私のパンツをくんくん嗅いで獰猛になっちゃったと」

「……違うんだ、信じてもらえないかもしれないけど、違うんだ」


 そんな中、俺たちは縁側にいた。


 ――俺が琴葉を押し倒す形で。


「どんな言い訳をするのかな?」

「いや、ほんと暑さでふらっとしてそっちに……」

「言い訳としては0点だね」

「ほんとなんだってええぇぇぇえ‼」


 さすがに信じてもらうことはできないようだった。

 いやまあ、たぶん犯罪者でも同じような言い訳するだろうなとは思う。


「そしてさすがにこの距離は私もドキドキするんだけど……」

「す、すまん! 今離れる‼」


 琴葉が顔を赤らめて体をよじらせてきたので、慌てて体を引き離す。


 ふう、危なかった。こんなところを誰かに見られてたら……。


「…………」

「…………」


 琴葉のおじいさんが、目の前に、いた。

 ギラリとした目と完全に合ってしまった。


「あ、あの、ちがうんで」

「琴葉。終わったのなら、墓参りでも行ってこい」


 俺が弁解をしようとする前に、しかし目の前のご老人はそう琴葉に言った。


 あ、あの。


「んーわかったー」


 そして琴葉はそれに対して気のないような返事をすると、どこかへ行ってしまった。

 おそらく自分の部屋に戻ったのだろう。


 そして、取り残されたのは俺と琴葉のおじいちゃん。


「あ、あの……」


 気まずい空気が流れたので、ひとまず先ほどのことを弁解しようと口にする。


 しかし、目の前のご老人は俺の言葉を聞く前に、ポンと背中を押してきた。


「?」


 怒られたわけではない、ようだ。

 もっと優しく、もっとゆだねるような穏やかな感触だった。


「君は」


 そこで俺は自分のことを尋ねられているのだと一歩遅れて気づく。


「じ、自分は琴葉さんの仕事仲間です! 琴葉さんが歌う曲を作ってます!」


 はきはきと答える。

 すると琴葉のおじいちゃんは、俺を伺うような眼で見てきた。


 緊張して委縮している俺は、彼の目にどう映ったか。

 すっと目を閉じて、そして驚くほど穏やかな声で俺に言った。


「琴葉の墓参りに付き添ってやってくれ」

「へ?」


 まさかそんなことを言われると思っていなかったので、思わず驚きの声を出してしまう。


 そんな俺をよそに、おじいちゃんはつづける。


「あいつはたぶん……ひとりじゃ受け止めきれないだろうから」


 その言葉の意味は俺にはわからなかった。

 ただそれでも、行かなければいけないと、それだけ思った。




 ――――――――――――――――――――――――――――――




「なんで凛くんも付いてくるんだか」

「お前のおじいちゃんが怖いからだよ。二人きりにしないでくれ、気まずい」


 適当に言い訳をして琴葉に同伴することになった俺。

 琴葉は釈然としていない表情だったが、知ったことではない。


 なぜなら、お墓に向かう琴葉の足取りが、明らかに重くなっていたから。


「ご両親のお墓はどこにあるんだ?」

「そこの丘を登ったところ」


 本人は無意識だろう。自分の足が遅くなってきていることには気づいていないはずだ。

 いつも気丈に振舞おうとする彼女が、そんな目に見えて弱みを見せることはまずない。


 そんな彼女に俺は気が付かないふりをして、ゆっくりと夕焼けの中を歩く。


「ちょっと待っててね」


 そうして間もなく、俺たちは墓に着いた。


 琴葉は手に持った柄杓に水を入れ、ゆっくりと上からかける。

 昔にこの光景を見たときは、墓も気持ちよさそうだと思ったものだけど、知り合いがやっている様子は見ていて辛い。


 だからだろうか、琴葉の左手を思わず握ってしまっていた。


「ちょっ、な、なに?」

「いいから、静かにしろ」


 俺はあくまで部外者だ。

 琴葉が自分の両親と会っているこの時間を邪魔することはできない。

 だけど、同時に彼女のそばに寄り添ってあげなければいけないと、そう感じた。


 やがて彼女も観念したのか、いつにもなくしおらしくまた正面を向いた。


 それから彼女は履いていた白のスカートを気にすることもなく膝をつき、お墓に向かってじっと向き合った。

 手を合わせることもなく、何かを話しかけるでもなく、じっと、動かず。


 奇妙な光景だった。まるでまだこの墓に来たことがないような、初めてやってきたようなそんな雰囲気。

 所在なげに何をするでもなく、何をするべきかもわからず、迷っているように見えた。


「なんか、不思議な感じがするなあ」


 やがて、琴葉が始めに動かしたのは口だった。


「15歳の時に二人とも死んじゃったはずなのに、まだ生きてる感じがするんだよね」


 その言葉に琴葉の感情は見えなかった。

 悲しんでいるのか、不思議がっているのか。


「15歳で……」


 その事実を、俺は知っていた。琴葉の口から簡単には聞いたことがあった。


 それでもその事実の重さを確認すると、どうしても初めて聞いたようなショックを受けてしまう。


「交通事故でね。何の準備もなく死んじゃったの」


 死ぬ準備をしている人間なんてあまりいない。

 この場合は、琴葉の心の準備もなく、ということだろう。


「高校にいるときに担任の先生に呼び出されて。応接室で聞かされたの。担任の先生もいきなりのことでパニックになってて、私は先生の言ってることがよくわからなかった」


 そう言って、ううん、と琴葉は首を横に振った。


「いまだによくわからない。お父さんがこの世にいない、お母さんがこの世にいないって、正直よくわからないんだ」


 15歳で突然両親を失う。同時に二人を失った気持ちは、果たして、女子高生に受け止めきれるものだったのだろうか。


「家に居ても二人は帰ってこなくて、そこでようやくもう二人に会えないんだって分かった。でも、死んじゃったんじゃなくて、どっかに行っちゃったって気持ちなんだよね」


 どこか自分の知らない世界に、と彼女は付け足した。


「まあ、ピッチピチのJK琴葉ちゃんにはよくわからなかったんだよな~」


 そこで、琴葉の声が震えた。

 初めて感情がそこに乗った。


「だって。さ。そんなことあるなんて、夢にも思ってないから。さ。思いもしなかったから……」


 琴葉の目からは涙がこぼれていた。頬をつーっと一筋の雫が流れていた。

 あまりにもきれいに。


「もうどうしようもなくてさ。どうしようもなくて、逃げるように芸能界に飛び込んたの」


 そして琴葉が女優になった。15歳の女子高生は、現実に蓋をして演じる道を選んだ。


「でもやっぱ、やっぱどうしてもふとしたタイミングでお母さんとお父さんの顔が浮かんで。胸が締め付けられるの」


 琴葉は胸をぐっと乱暴に押さえつける。

 爪が食い込んで、ぎりぎりと音を立てていた。


 それから琴葉は、まるで罪の告白をするように言った。


「そんなの耐えられるわけないじゃん! こんなに前だけ見て走って来たのに、後ろをわざと振り返らず走って来たのに、後ろからはすごい勢いで幸せが追いかけてくるんだよ!」


 琴葉が子供のようにかんしゃくを起こす。

 それはまだ高校生のようで、親に甘える幼い子のようだった。


「お前、すげえな」


 だから俺は、何者でもない俺は無責任にそんなことを口にしていた。


「――え?」

「両親の死を乗り越えて、最前線で走ってきてるなんて、ほんとすげえやつだな」


 俺がそう言うと、琴葉は苛立ちにも満ちた表情で俺のことをにらんできた。


「さっきの話聞いてたよね? 私、親が死んじゃったこと受け止めきれなくて……」

「受け止めきれてないやつが、今泣けるかよ」

「――っ!」


 だいたいなあ、と俺は言う。


「一度に受け止めきるのは確かにつらいよ。どれだけ辛いかは、正直分からないが、絶対に辛いことだけは分かる」

「辛いから、私は逃げたんだよ?」

「でも、ずっと心に残したまま何年も苦しむ方がもっとつらい。ずーっと苦しみ続けて、ずーっと自己嫌悪との戦いで」


 そして。


「ずーっと家族との思い出をそばに置いておくんだもんな」

「―――――ッ‼」


 忘れることもできなければ、昔のことのように回顧することもできない。

 ずっとずっと、そばにあったものとして生きていかなければならない。


「それで、今けじめでここにきてんだろ? じゃあご両親に言うべきなのは、さよならでもありがとうでもないだろ」


 琴葉の背中を優しくたたく。まるで、琴葉のおじいちゃんのように。


 彼女は滂沱の涙をそのまま土にぬらして、それでも立ち上がって親に向かって言った。


「いってきます!」


 うむ。やっぱり、琴葉は笑っている顔が一番いいな。




 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




「ねえ凛くん」

「なんだ琴葉」

「背中叩いた時、ブラのホック外れたんだけど」

「――⁉」


 お墓から少し離れた丘で座って、俺たちは日陰になる田んぼ道を見ながら駄弁っていた。


「なんて、嘘だけど。そんな簡単に外れるわけないじゃん」

「おまっ、そういう冗談はほどほどに……!」


 琴葉はいつもの笑顔だった。

 まだ目は腫れたままだが、それは親からもらったお叱りのげんこつということで。


「ねえ、凛くん」

「またくだらない話だったらぶっ飛ばすぞ」

「私のお父さんとお母さんの話なんだけどね」


 美麗はあれから両親との思い出を存分に語っていた。

 それはもう、楽しそうに。


 その琴葉が、ちょっと恥ずかしそうに口にする。


「すっごく仲良かったんだよね。もうおはようおやすみのキスはもちろん、人前でも手をつないでいちゃいちゃしてたり、……たまに寝てる時に隣の部屋から色っぽい声が聞こえてきたり」

「それは……さすがに気まずいな」

「あはは。まあ私は怒り半分嬉しさ半分だったけどね。二人が仲いいのは、嬉しいでしょ」


 その気持ちは、正直に言えば俺にはわからなかった。

 俺は両親が仲良くしているところなんて、見たことがなかったから想像することさえできない。


 ただ、琴葉の話を聞く。


「だから、あんな夫婦になれたらいいなあって、ずっと思ってたの」

「子供が寝てる横でえっさほいさしてる夫婦に?」

「うん。年甲斐もなくいくつになってもキスして手をつないで、えっちするの。倦怠期なんか知らんって感じの!」

「まあ確かに悪くはないな」


 その気持ちは分かった。大人が仲良くしていないと、子供のほうは辛いだけだということは身をもって知っている。


 それに、理想の夫婦像は琴葉と似たようなものだった。


「だからさ、


 初めての呼び名に、思わず隣を向く。


 だが、すぐそこには琴葉の顔があって。


「――っ⁉」

「ファーストキス……じゃないだろうけど、もーらい」


 そしてその顔は、悪戯をした子供の顔だった。


「ねえ凛くん。夫婦になってくれませんか?」


 人生で最大の悪戯を、琴葉にされた。


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