第108話 デミ祭当日
来たるべきデミ祭。その会場として俺たちが訪れていたのは、いつしか来たことのある幕張メッセだった。
ただ、前回と同様にイベントホールでライブをすることは変わらないが、その他のたくさんのイベントも国際展示場の方で行われていた。
ニホニホを拠点として活動する配信者やVtuberなんかも参加しており、音楽だけを目的とせず幅広く行われていた。
そのためか、会場の最初に最初に訪れた時にはすでに異様な熱気に包まれていた。
「いや、マジで実際に有名人来てるやんけ……」
俺と美麗はライブの待合室みたいなところでモニターに映るステージの様子を見ながらホットドッグを食べていた。
モニターには右から左へ流れる弾幕のようなコメントで埋まっていた。
歌詞に合わせて盛り上がるコメントもあれば歌手にまつわる雑談をしていたり、歌い方に対しての単なる感想なども流れていた。
そしてたまに流れる辛辣なコメントに何度か息をのんでいた。
「ふわぁあ」
俺だけ。
美麗本人はかなり振り切れたようでリラックスしきっていた。
「おい、もう夕方なんだが。眠くて大丈夫か?」
「昨日夜遅かったからしょうがない。ライブ直前には目が覚めるから大丈夫」
「いやライブ直前まで眠いやつとか問題外だと思うが」
そうじゃなくて、体調のほうは大丈夫なのかという話だったのだが。
まあのんびりもしゃもしゃとソーセージをくわえているから大丈夫なのか。
「つーか、最近ずっとホテルの方で練習してたけど、一体何なんだ?」
「秘密」
「秘密」
今から一緒にステージに立つ相手に秘密にする意味とは。
という言葉が口をついて出そうになったが、すんでのところで止まった。美麗に聞いても仕方ない。
「まあ、ちゃんとやってくれればいいんだが……」
嫌な予感は全くしない、というかむしろいいことのような気がしている。
それでも、サプライズを用意している美麗に俺がアドリブでついていけるのか、そのことだけが心配だった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「はい。デミ祭ラストとなるトリの一曲目を歌ってくださったのは、急に参加が決まった巽美麗さんでした!」
「「「フゥゥゥウウウウウウウッッッ‼‼」」」
大歓声とともに、一曲目を終えた美麗は観客にお辞儀をしていた。
ちなみに俺はその様子を舞台袖で見ていた。
「やはり巽さんが出るとステージが締まりますねってどうしたんですか桃花さん?」
「うええええんんんん、うおおおぉぉぉんんん」
「泣きすぎでは⁉」
「だって、あの大好きな美麗様が『万札桜』を歌って、もう、もう、うおおおおおおおおんんんん‼‼」
「だから取り乱しすぎだって‼」
MCの二人は大丈夫かなと正直思ってしまったが、たしかに地上波に出るような歌手が自分の知っている歌をカバーしてくれるというのは感慨深いものがある。
ちなみに『万札桜』とはボーカロイドの黎明期に爆発的に人気を生んだ超有名な曲だ。みんな歌ってたいたのを覚えている。
そして明るい曲だったが、全然歌えていた。もちろん美麗自身の個性を出したまま。それは、桃花と呼ばれたMCの女性を見てもわかる。
「ほら、まだもう一曲あるんですから」
「そう、そうですね……。う、うおおおおんんんん‼‼」
「もう操縦不可能なので、巽さんのほうにお返しします! どうぞ‼」
若干投げやりな司会からバトンを渡される美麗。
そういう彼女はスタンドにマイクを固定して調節すると、ギターを持ち出して肩にかけた。
「みなさん、こんばんは」
熱のないように聞こえる挨拶だったが、観客にとってはそれだけで十分だったようで大盛り上がり。
今日一日のデミ祭のトリということもあって、ボルテージはこれ以上にないくらい上がっていた。
「今日は急遽参加が決まったということで、もう一曲だけとさせていただきます」
ギターの音をぼろんと流しながら、椅子に座って調整を始める。
今日は暗い色のデニムに上はゆるっとかけられた明るめのカーデガンを身にまとっている。
シンプルに大人の魅力を出す衣装も相まって、美麗は「格好よく」見えた。
椅子に座って足を組み、マイクを近づけるとやがてほつりほつりと話し始めた。
「この1週間、いっぱい練習しました。その中で、背中を押してもらえる出来事がありました」
そう言って美麗はこちらの方に視線を送ってくる。
温泉での出来事。飽きられてしまうのではないかという不安を語ったあの時のことを、美麗は思い出しているのだろう。
妙に照れくさいので、さっさと舞台に向かってピアノの鍵盤に手をかける。わからんけど、たぶん落ち着く。やばい、緊張がやばい。
そんな俺を見て何を思ったのかわからないが、美麗は苦笑いを一つするとすぐに観客の方に意識を直す。
「多くを語りたいとは思いません。素晴らしい曲があり、そこに私はみなさんのために歌を吹き込みます」
それでは聞いてください、と美麗はつづけて。
最後にこぼすように曲名を言う。
「『beauty』」
それから合わせていた通りピアノの静かな音が鳴る。
使う楽器はピアノとギターだけ。シンプルに、美麗の歌を伝えるために作った曲。バラード。
そして、美麗が声を乗せる。
静まり切った会場に、声を吐き出した。
『美しく気高く 蝶は舞い鳥は飛ぶ』
その歌い方は、俺の知っている美麗のものとは全く違うものだった。
ウィスパーボイス。息をたっぷり含ませた歌い方で、曲に独特な雰囲気と情感をもたらす歌い方。
息の震えが観客にも聞こえ、良くも悪くも観客の耳に残る。プロの中でもそれを多用する歌い手は少なく、高度な技術と大きな肺活量が必要とされる。
ゆえに使うには相当な勇気を必要とする歌い方を、ここで美麗は本番につかってきた。
(これが秘密にしてたってやつか!)
美麗はこれを俺に隠して練習していたのだろう。
たぶん驚かせたい気持ちと不安な気持ちの両方から。
しんとした会場にギター、ピアノ、そして美麗の声だけが響く。
叫ぶ観客はおらず、あろうことか画面に映るはずのコメントも一切流れない。
――誰もが、彼女の声に聞き入っていた。
彼女の息遣いに。息を吸うときに聞こえるガラスがこすれるような音に、吐き出すときに揺れるビブラートに。
まるで寿命を削るかのように、まるで自分の命を切り取って歌に分け与えるように、そんな風に聞こえる彼女の歌に誰もが言葉を失していた。
ここは美麗の空間になっていて、美麗にだけスポットライトが当たっている世界。
彼女の独壇場だ。
(なんだこれ、なんだこれ……⁉)
心が揺れる。いや、揺さぶられる。
美麗の声の震えが、直接心を揺らしているようだった。
悲しみの震えが、喜びの震えが、細かく振動して感情の制御をままならなくしていた。
覚えのない感覚に陥っていた。
1番が終わっても。2番が終わっても。Cメロが終わっても、間奏が終わっても。その感覚から逃げ出すことはできない。
ここにいる全員が、そして画面越しで見ている視聴者全員のだれもが。
『そして私は 気高く病に侵される』
――曲が終わった後も、誰もが動けなくなっていた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「まさか美麗に泣かされるとは」
「まさか凛が泣くとは」
帰りのタクシーの中で、俺は美麗に背中をさすられていた。
ライブ中我慢していた涙は、そのあとのレコーディングで崩れる。
あのあとライブを見た美麗のレコード会社からすぐにCD化のオファーが来て、缶詰していた箱根のスタジオまで行って収録。
そこでたまっていたものが全部出て、ぼろぼろに泣かされていた。
「俺、このレコーディングのこと一生の思い出にする」
「それはよかった」
こういう時に限って、美麗は茶化さずにお母さんのような顔で笑顔を向けてくるのだから卑怯だ。
また緩みかけていた涙腺から涙の気配がして、いかんいかんとペットボトルを呷る。
「ねえ、凛」
「ぐすっ……なんだ……?」
「どうだった、今日の私」
それから美麗は、俺の持ってきていたパソコンをなでながらそんなことを聞いてきた。
「聞くな、あほ」
「言ってよ」
「最高だ、ボケ」
乱暴な俺の物言いに、それでも美麗は満足したように笑っていた。
「つーかお前、あんなことするくらいなら事前に言っとけよな」
「内緒にして正解だった」
「本番目が潤んできて鍵盤がぼやけるんじゃボケ」
そう言いながら、それでもあの状況で間違えることはなかっただろうなと思う。
理由はよくわからないが、たぶん「そういう雰囲気だった」という理由で十分だろう。
「はーあ、楽しかったね」
「最後だけはすごく疲れたがな」
もう夜も深い。
俺たちももう疲れがたまってきて、思い出話に浸る。
「いやでも、凛の曲もすごくよかった。よくあの期間で作れたね」
「まあそればっかりは自分でも自分を褒めたいわ。出来としては、俺史上3本の指に入るレベルだ」
「じゃあ1週間後も同じクオリティのものをお願い」
「お前は俺を殺す気なのかそうなんだな⁉」
毎日缶詰しないと1週間ペースで作るの無理だろうが。
というか、毎日缶詰ってそれただの監禁では?
「……さすがに缶詰はもうごめんだわ」
「だね」
そこで俺たちの会話は途切れる。
もうすぐ家につく頃だった。
「ねえ、凛」
「なんだよ美麗」
「…………」
美麗に呼びかけられそちらに視線を向けるが、彼女は頬杖をつきながら窓の外を見ていた。
「ねえ、凛」
「なんじゃい。何回も俺を呼ぶな」
「好きだよ」
「――――え?」
美麗はいつの間にかこっちを見て、そう口にしていた。
「い、いま、なに……を?」
「好きだよ、凛」
誤解は許さない、といった強い意志を感じる声。
それでも、包容力のある声だった。
「え、えと、なな」
「返事は?」
「へ、返事?」
言っている意味は分かるのに、思わず聞き返していた。
だが、そんなことは美麗にはお見通しなのだろう。
「付き合って、凛」
もう一度、俺の目を見て聞いてくる。
そのまっすぐなまなざしに、卑怯な俺は目を背けたくなる。
だが、美麗は次の瞬間、急に顔を近づけ。
それから、唇を俺のに重ねた。
「――ッ⁉」
「ねえ、凛」
水分を含んだ三日月の唇が、俺の唇に重なってほのかに果物の味がした。
それがちょっと前に美麗が食べていたみかんだとわかって、顔が火照る。
「付き合わ……ない?」
そして、どうにも誤解しようのない言動。
そう認識したら、急に罪悪感が湧いてきた。
美麗の告白をうやむやにしようとして、誤魔化さそうとしている俺に吐き気がした。
申しわけなさで自分のことが心底嫌になった。
「ごめん、ごめん……」
あれだけ格好つけていたくせに、こういうところではくだらないことをしている自分が恥ずかしかった。
それゆえか、謝罪の言葉が漏れている。それすらも情けない。
そんな俺を、しかし美麗はやさしく抱き寄せる。
ふっと背中から手を回し、温かな美麗の熱に慰められる。
それから優しく、俺に言った。
「いいよ。大丈夫だから」
具体的なことは何一つない言葉。
それでも、何が言いたいのかわかってしまった。
だからこそ、俺は次の言葉を言う勇気が出てしまったのだった。
「ごめん……美麗。美麗とは……付き合わない」
「うん」
俺の言葉を聞いた美麗は、そしてなぜだか笑っていた。
にこやかに、慈しみのある顔で。
「ごめん、ごめん、ごめん……みれい……」
「いいよ、凛。いいから」
美麗のやさしさの中で、子供のように俺は泣きじゃくっていた。
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