瑠璃、幼少期 21
ブルーシートがかけられ、婦警があたしの目を塞ぐ。少女の心を守るための行動だった。もう手遅れなのに何を守ろうとしているのだろう。
警察が突入してくる前に母はあたしを裏切っていた。ドライブ生活よりも前に、日本に越してくるよりも前に、母の「愛してる」は偽りの塊でできていた。
本当は気付いていた。母が教育熱心だったのは家事をさせる為で、父と結婚したのは遊ぶ金が欲しかっただけで、あたしが初めて焼いたシフォンケーキはゴミ袋に捨てていた。
母の人生計画の致命的な誤算は、結婚してから父の束縛が強くなったことだ。
ここからは叔母とさえりから聞いた話になる。
父は家にはいないくせに母を独占したがっていた。ケータイのGPS、2時間に一回の電話。
父から逃げたいと思うのは当然で、だからといってバイト経験すらない母に労働力はなく、働く気もなかった。
それが事件の動機になった。
あの大金は父の会社から盗んだ物だ。盗んだのは彰で、社長夫人である母が協力すれば簡単だった。
彰とは忍んで遊びに行ったホストで出会った。遊び人同士で気があったらしい。
電子系大学院生はケータイのGPSを誤魔化すのに利用しただけで、更には盗犯の濡れ衣も被せられた。彼を陥れて2人は大金を持って逃げたのだ。
間の悪いあたしが目撃したのは逃避行する直前の出来事だった。
子供は置いていくつもりだった。それもそのはずで荷物は少ないほうがいい。だから、大金を目撃してしまったのは間が悪かったとしか言えない。連れて行かなければせっかくの濡れ衣が無駄になってしまう。予想外の荷物を抱えて、母たちは逃避を決行した。
濡れ衣計画はうまくいっていた。警察は電子系大学院生を追いかけた。けれど、うまいったのは最初だけだ。
院生が逮捕され、全てを話したのなら母娘と大金の行方の真実を警察は見つけるだろう。
刑事も父の部下も母を疑った。状況証拠があっても実物証拠が揃っても、父は愚かにも母の「愛してる」を信じ続けた。
母から真実を伝えない限り、それは変わらないだろう。その母は死人となり、口は重く閉ざされた。
保護された後、あたしは警察から事情聴取を求められた。彰は刺殺され、母は転落死した。現場を知っているのはあたしだけで警察は真実を求めた。
だから、起こったことを話した。放心状態から抜け出せても感情は蘇らなかった。淡々とした口調で話し続けた。
警官たちは同情の目つきであたしを見ていたけれど、そんなもので心は動かない。父があたしを殴り、罵っても心情は変わらなかった。
「虚言もいい加減にしろ!」
それは警察署で響いた罵声。
言質の内容を警察から聞いた父は顔を赤くさせて、あたしを睨む。
すぐ様、周囲の人が止めに入り、父と子を離そうとする。
「お前はな!エマを裏切ったんだ!同情が欲しくて母親を売ったんだ!嘘吐きの悪魔が!」
駆け寄った婦警があたしを起き上がらせた。2本の足で立っているはずなのに力が入った気がしない。
馬鹿な奴、と無感情に呟いた。
父は真実の愛があると盲信していた。それは永遠に変わらず、枯れない愛。それが母と父にはあるのだと独りで勝手に舞い上がっていた。
こいつはあたしと同じなんだ。偽物に縋って喜んで腹黒い母の手の上で踊らされている。母が死んでも踊り続ける馬鹿なピエロ。
あたしは父のようにはならない。血塗れの刃と狂った母の目、それこそが母の本質なんだ。もう見誤まったりしない。
母だけがあたしを愛していると思っていた。母がいればそれだけでいいと思っていた。母にあげていたあたしの「愛してる」は本物だ。それを裏切って偽物を渡していたのは母だ。
もうあたしの心には「愛してる」はない。偽物の「愛してる」は母の火葬の日に燃やした。
それが欲しいとも思わない。あたしは生きた身体を動かして空洞の心で思考する。
感情は雨の日のボロアパートで死んだ。雨の冷たさに痛がることはなくなって、独りだけの寂しさに泣くことはなくなった。
母の火葬を迎えた翌日、その日から砂と廃墟の地獄で人が鬼に食われる夢を見るようになった。
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