雨に潜む 13
「用があるのは瑠璃じゃないか?俺のところに来た理由はなんだ?」
「マンションの前にさ、黒いドロドロがあったろ。ゴミ捨て置き場にあった奴さ。あんたら、あれが何なのか知らないだろ」
その黒いドロドロは今朝も見かけた。泥と汚水と墨を合わせて練り上げたような気色の悪い物体。
瑠璃やカンダタにしか認識できないと言う事は光弥のいうあちら側に関わっているのだろう。
「死んだ魂はハザマに流れていく。けど、一瞬で流れるわけじゃない。大体2ヶ月位かけて溶けながら流れる。ゴミ置き場にあったのは死後20日目といったところだろうね」
「つまり、あれは人間だったのか」
「ほとんど意思は残っていないけどね。ハザマに着くと人の形に戻るんだ。これは自然の流れで抗えない摂理だ。あんただって抗えない」
光弥はカンダタを見上げる。明るく笑った目は脅すような鋭さをしており、その切っ尖が喉に触れる。
「俺が黒い泥になってハザマに逆戻りするわけだな。それが自然の流れというやつだろ」
「まぁ、そうだね。摂理は塊人でさえもコントロールできない。でも、透明人間の報われない願いは叶えてやれる」
目を逸らしたのは光弥が先だった。笑う切っ尖がなくなり、少しばかり気が楽になった。
「あんたの記憶。生前の思い出。俺が復元させてやるよ。赤い着物の想い人も思い出せる。右も左もわからない世界で透明のまま消えるよりも思い出に浸っていたほうが幾分か幸福に包まれる」
「条件は、瑠璃か」
「話が早くて助かるよ。別に彼女を嵌めろと言ってるんじゃない。説得してほしいんだ。説得とあんたの記憶。安いもんだろ」
瑠璃を売るのと同等ではないか。
彼と話していても不毛だとカンダタは踵を返して去ろうとする。
「透明なままでいいのかい?誰にも見えず聞こえず、自分を肯定する記憶もなくて、あんたは本当の孤独を知るんだ」
カンダタが何も言わずに去ったのは不毛なやりとりだと判断したからだ。そしてもう一つ、彼に返す言葉がなかった。
見えない身体、聞こえない声。人がカンダタの身体をすり抜けて行くたびに広がる虚無。
それを孤独と名付けるならこの重みに耐えられるのだろうか。記憶があれば広がって重みを増す虚無を少しでも埋められるのだろうか。
カンダタの片隅には今も赤い着物の君がいる。彼女が既に亡き者になっているのはいやでも認めざるを得ない。時代が違うのだから当たり前だ。
それでも名前を、顔を、笑い合えていただろう日々を思い出せればこの錘は外れるのだろうか。
雨が弱まっても重たい曇天は広がったままでカンダタの密かな内側を表しているようだった。
そして、鐘が鳴る。人が自由になる合図だ。
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