ずれ 8

 固く閉ざされた観音扉。押してみるも動かず、引いてみてもこれもまた同じだった。

 「違うわよ。エレベーターのドアはスライドさせるの。横に引くのよ」

 何もしない瑠璃が逆なでさせる助言を伝える。腹がたったがその通りに横に引いてみる。すると、今度はすんなり扉が開いた。

 観音扉の内側は何もない四角い虚空が上から下まで続いていた。カンダタが見下ろすと底なしの陰が今にもカンダタを飲み込んでしまいそうだった。

 「何も見えないわね」

 懐中電灯で下を照らすも底なしの暗闇は底なしのまま何も映さない。

 「る、りの、案も俺のと、変わり、ない」

 「少なくとも落下死はしないわ」

 瑠璃は雑貨店から持ち出した置時計を虚空の闇に落とす。音はすぐに響いた。時を刻まなくなった時計が誤った使い道で役に立った。

 「そこまで深くないみたいね。なんとかなるんじゃない?」

 「ほん、き?」

 あの悪臭はここまではきていない。それでもこの下に忘れようがない臭いがあるのだと考えると気分が悪くなった、

 「屋上から跳び移る以外の案があるの?」

 口が閉ざし、沈黙しか返せない。

 「ないわね。なら、次行くわよ」

 瑠璃の策は簡単だ。布団、ぬいぐるみ等を落として即席の衝撃吸収材を作る。あとは2人が飛ぶだけだ。正気の沙汰じゃない。彼女はどうかしている。

 消極的なカンダタに対して瑠璃はてきぱきと働いた。片腕にぬいぐるみを抱いて片手で懐中電灯を持つ。その懐中電灯がなければもっと運べるはずなのに、なぜか手放さない。構内は暗いが全く見ないわけではない。カンダタからしてみればあの懐中電灯は邪魔でしかなかった。

 それに彼女の言動にはおかしな所がある。独り言が多いのだ。しかも、誰かに話しているような喋り方で決してカンダタには向けられていない言葉だ。「見えない友達」がいると瑠璃は言い張って、悪戯っぽく笑う。それに関しては不審に思うが、それ以上は気にしないことにした。

 「これは、しとね?」

 カンダタのわずかな記憶から最も近い物を上げる。彼が手に取って聞いたのは丸顔の黒猫でソフトボア生地に包んだふわふわのクッションだった。カンダタの知っている茵とはだいぶ違う。瑠璃も茵なんてものは単語そのものすら聞いたことがない。

 「はぁ?それはクッション。その上に座ったり、抱いたりするのよ」

 「抱く?なぜ?」

 「癒されるらしいわよ。あなたも抱いてみれば?」

 黄色い瞳の黒猫と見つめ合う。瑠璃の冗談を真に受けるのも馬鹿らしく、エレベーターの闇底に落とす。

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