第5章 光の導き (中編)

「ルイシャムの話は?」

 ようやく、そちらの話に移った。

「鑑識するようなことはほとんどなかった」

 アキラは無感動に言った。

 ルイシャム区でも富裕層が多いブラックヒースで起こった事件で、ある家が夜中に強盗に入られて金品が強奪された。一人でいた妻が強盗に縛り上げられてベッドに転がされていたのを、今朝出張から帰ってきた夫が見つけたというもの。

 妻の証言では、寝ているときに誰かに身体を触られているのに気付き、慌てて起きたら既に目隠しと猿ぐつわをされた後で、身体を押さえつけられて後ろ手に縛られているところだった。男から下手な英語で「おとなしくしていれば命までは取らない」というようなことを言われ、恐怖に震えながらもおとなしくしていた。

 耳は塞がれなかったので、足音や声は聞こえた。足音は3人分くらいあったようだったが、しゃべっているのは男一人で、聞いたことがない言語だった。ベッドルームの中を探し回って、妻が所持していたアクセサリー類1万ポンド相当が盗まれた。指にはめていた指輪も取られた。

 30分ほどで強盗たちは出て行き、妻は緊張が解けた拍子に気を失ってしまったため、何時頃の出来事だったのかは不明。

 アキラが調べたのは強盗たちが家の中を探し回った痕跡。家中が引っかき回されていたが、匂いはほとんどしなかった。新品のゴム手袋やゴム靴を着けていたらしい。足跡にも特徴がなさ過ぎて、3人組であるということすら確定できず。

「じゃあ、どうして2時までかかったの」

「夫妻に聞き取りをするので、一緒に聞いていて欲しいと言われた」

 ゴドフリー警部はそういう余計なことをアキラに頼みたがる。アキラが一人で行ったので、料金がいつもの半分で済むと思ったのだろう。しかし、アキラが聞いても夫妻の証言に特に矛盾はなかったらしい……

「盗難保険には入ってたの?」

「入っていた」

「じゃあ、アクセサリー類の被害はほぼ全額戻ってくるのかな。警察はどういう方針で捜査するって言ってるの?」

「手口が似ている件が過去にいくつかあるが、それより用心深くなっているので、常習犯が対策を立てて犯行に及んだと見ているらしい」

「アキラも同じ意見なの?」

「現場の証拠からは否定できない」

 しかし、エリーゼから見てアキラは何となく納得してない様子――ほぼ無表情なのになぜかそう感じてしまう――だった。行って何もすることがなかったからだろうか。それとも……

「夫はどこに出張してたの」

「フォークストン」

「ケント州の? 近いのに、夜のうちに帰ってこずに、朝になって帰ってきたの?」

 ドーヴァー海峡に臨む都市で、海峡トンネルの出入り口がある。ユーロスターは停まらないので、列車だとロンドンから2時間ほどかかってしまうが、車なら1時間と少しだろう。特に、今日は土曜日なので、昨日のうちに帰ってきた方が、朝から自宅でゆっくり過ごせたはずなのに。

「一緒に出張した同僚の付き合いで向こうに泊まったと言っていた」

「でも、強盗がちょうどそんな日を狙ってくるなんて」

「偶然が二つ重なることはある」

「妻を縛ってたロープは見た?」

「ほどいた後で結び目はわからず。匂いは夫の手のもののみ」

「縛り方が甘くて、妻の手足の縛り跡が薄いとかは……」

「なかった」

「夫は本当にフォークストンのホテルに泊まったのかな」

「警察が確認した」

 それでも、疑わしいところがあるような気が……

「私の考え、言ってみていい?」

「もちろん」

「夫が夜中にホテルを抜け出して、家で妻を縛って強盗が荒らした跡とか作って、ホテルに戻って、朝になって帰ってきてから警察に届けた。そういう可能性は?」

「あるが、証拠がない」

 きっと、アキラも警察もその可能性を考えたのだろう。だけど、証拠がないから見逃さざるを得ないということなのかもしれない。

「警察は疑わなかったのかな」

「こちらから指摘して、あと一点確認すべき事項も伝えたが、ゴドフリー警部に医学的証明が難しいと言われて却下された」

「えっ、何?」

 それが証明できれば狂言強盗だということになる? 何だろう。しかし、アキラは何も言わない。もしかして、また考えてみろということだろうか。

 アキラの話の中に、何かヒントがあっただろうか。たったあれだけの情報の中に。医学的証明? 人体に関係がある? アキラのセンシングではわかるけど、根拠にするには弱いということ? 気が付くとエリーゼは、額に指を当てていた。

「……夫の身体検査はしたんだよね?」

「もちろん」

「車の中にアクセサリーを隠してないかとか」

「なかった」

「出張したフォークストンでどこかに隠したとか……」

「前日の夫の行動は全て確認されて、同僚の証言も含めて全て問題なし」

 それでも狂言強盗であるとしたら、アクセサリー類を隠したのは昨日や今日じゃなくて、一昨日かそれ以前ということに……

「……妻の指輪が、強盗に取られたっていう時間よりも前に外されていたことって、証明できないの?」

「それが難しいと言われた」

 当たっていた。きっと、アキラは妻の手を見たときに、そのことにも気付いたのだろう。指輪をずっと着けていたら跡が付くが、外して時間が経てば皮膚の弾力によって少し元に戻る! だけど、皮膚の復元力なんていう個人差が大きい事象は、証拠としては弱いのに違いない。もちろん、警察の疑いの元にはなっただろうけど。

 それに、盗難の保険金が下りても、得をしたことにはならない。アクセサリーはこの先も隠しておかないといけないからだ。所持しているのが発覚したら保険金は返却、警察からも再度取り調べを受ける。裏で売りさばくのも普通は難しいだろう。身に着けることもできないアクセサリーを持っていることに、何の意味があるのか。

「そのうち、きっと発覚するよね」

「そうだろう」

 自分の部屋に戻ってから、エリーゼはまた考えた。今日の事件は二つとも小さいものだったけど、どちらにも心に引っかかることがあった。そしてそれを考えることで、真相に近付くことができた。アキラもそれを手伝ってくれた。いや、エリーゼ自身が、今まで考えることをしなかっただけかもしれない。行動するだけが仕事と思い込んでいただけかもしれない。

 どうしてアキラと一緒に考えることをしなかったのだろう! もしかしたら、アキラはそれを待ってくれていたのではないだろうか。最初に「全ての能力を使ってくれ」と言われたではないか。その時に、エリーゼにも考える才能があることに、気付いてくれていたかもしれない。気付いていないのはエリーゼ自身だったかもしれない。ダイスに言われてしてきた学習が、役に立つときが来ているのかもしれない……


 次の日から、エリーゼの中で少しだけ変化があった。アキラにもっと近付きたい、という思いが芽生えた。

 アキラが鑑定やセンシングをしている間は、もちろんほとんど何もできない。しかし、アキラが考えている間は、自分も考えよう。アキラが何を考えようとしているか、感じるだけでもいい。考えて結論が出なくてもいい。だけどそうやっているうちに、アキラの見えている世界が、自分にも見えてくるかもしれない。

 結果はすぐには出なかった。しかし、気持ちはすぐに変わった。アキラの鑑識を見ているのが楽しくなった。結果を聞くのが楽しみになった。聞いてその後、アキラが推理までしてしまうことも多いけれど、依頼者が言いそうな質問とか、質問に対するアキラの答えとかを考える。当たらなくても、その違いがなぜ生じたのかを考えるのが楽しい!

 エリーゼにとってアキラは、パートナーである以上に、教師になった。アキラが言葉で詳しく説明してくれることはないけれど、それは数学の「解法」は教えられても「閃き」までは教えられないのと同じで、エリーゼ自身でその「閃く力」を獲得していくしかないからだ。

 1週間も経たないうちに、エリーゼはアキラのことを前よりも好きになった。それは恋愛的なものではなくて、闇の中で見つけた光の方へ向いたくなる気持ちに似ていた。近付けば、そこに何かがきっとある。エリーゼの目指すべき未来。そしてたどり着くべき未来が。そしてアキラがそこにいる。それを追いかけて、どこまでも行きたかった。

 普段はアキラと呼んでいるけれど、もっと違う呼び方をしたくなった。ミスターとか、プロフェッサーとか、マスターとか、マイ・ロードとか。一番近いのは「アキラ・エスクヮイア」だろうか? 本当にそう呼ぶとアキラがいやそうな顔をするので、心の中だけで呼ぶことにした。


(続く)

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