第2章 探偵依頼 (後編)

「私の場合は香水のことなんですが、そういうのも調べていただけるんですね?」

「もちろんですよ、アキラ様のご指名ですから。ただ、香水のことだとしかわかってませんけれど、詳しくはどういう内容ですか?」

 そこで光子は、香水を鑑識してもらって、それがシャネルの19番とゲランのサムサラを混ぜたものであったことを説明した。鑑識の結果が書かれた紙も見せた。

 念のため、香水瓶も見せた。エリーゼは栓を開けて香りを嗅いで、「あまりすてきな香りじゃないですねえ」と感想を述べただけだった。

 そういえば彼女からは香水の匂いがしない、と光子は気付いた。服はおしゃれだし髪型もきれいにセットしてるみたいなのに。外国人は香水がきついという先入観のせいかしら。

「わかりました。調べます。一日か、二日くらいかかりそうですね。結果はどうやって連絡しましょうか。電話? メール? 手紙? どこかで待ち合わせ? それともまたここにお越しになりますか?」

「ええと、それなら、何かわかったら携帯に電話をしていただけますか?」

「調査結果は依頼料と引き替えですので、どこかで待ち合わせるか、ここにお越しいただかないとお渡しできないですよ」

「ああ、そういうこと……」

 そこで光子はスマートフォンの番号を教え、電話をかけてもらった時に、会う場所と時間を決めることにした。

「わかりました。大阪市内だったら私の愛用の単車で駆けつけられますよ」

「そうですか。では、天王寺駅の近くのどこかでお会いすることに……」

「天王寺。結構ですとも。それでは、依頼料の前金を払っていただきたいです。5千円です」

 それについては安い、と光子は思った。そもそも、2万円と言われたときから安いと感じていた。他の探偵事務所でも、一件4万円とか、それ以上かかるのはわかっていた。

 探偵というのはそもそも人件費なのだから、いい大人を丸一日拘束すれば1万や2万はかかるのは当たり前だ。しかも、自分ができないことをやってくれるのだから、少々高くても頼むしかない。

 光子はバッグの中の封筒から千円札5枚を出して、テーブルの上に置いた。探偵は「ありがとうございます!」とうれしそうな声を上げ、お金を大事そうに手に取ると、デスクのところに飛んで行って、引き出しを開け閉めし、戻ってきたと思ったら「金5000円」の預かり証を持ってきた。「金」の字画が直線的で、漢字ではなくまるで図形のように見える。但し書きのところは「調査代金前金」の文字がハンコで押されていた。流暢に日本語をしゃべる外国人だが、漢字を書くのは苦手なのかもしれない。

「それでは、明日か明後日に電話します。もし、どうしてもわからなかったら、この前金もお返しします。たぶんわかると思いますけど」

 両手を腰に当てて言う姿が、何となく様になっている。プロポーションがいいせいかもしれない。ただ、それだけで信用していいものかどうか。しかし、いったんは任せてみようと光子は思った。

「それでは、よろしくお願いします」

「頑張ります。コーヒー、まだ残ってますよ?」

 すっかり忘れていたが、せっかくなので飲んで帰ることにした。探偵は「ごゆっくり」と言って窓際の自分のデスクに座り込み、PCでさっそく調べ物を始めたようだ。光子はすでにぬるくなっていたコーヒーに砂糖とフレッシュを入れ、三口で飲み干した。

「もうお帰りですか? 今日はご依頼をいただき、ありがとうございました!」

「いえ、こちらこそ、よろしくお願いします」

 立ち上がってからもう一度礼を言い、ドアの方に向かうと探偵もやってきて、送り出してくれた。外に出ると、やはりここは工場地帯のど真ん中であることがあらためて思い出されて、早足で階段を降りた。

 それにしても、変わった探偵さんやわ。光子はエリーゼの姿を思い返した。外国人で、美人で、日本語が流暢で、そこまではまあええとして、なんで探偵なんかやってはるんやろう。それに、人捜しが得意と言うてたのに、あんな判じ物のような謎が解けるんやろうか。わからんかったらどないしようか。誰か他に、相談する人がいて欲しいけど、誰にしたらええんやろうか。

 頭の中には一人だけ思い浮かんだが、すぐにそれを追い出した。あかんあかん、あの人ばっかりに頼んでたらあかんのよ。

 光子はため息を一つつくと、駅へ向かって歩き始めた。


 探偵からの電話は、次の日の夜にかかってきた。会う場所はあらかじめ考えておいたので、家から少し離れたところにある喫茶店を指定した。知り合いが利用しないところの方がよい、と思ったことによる。

 約束の午前10時の10分前に光子は喫茶店へ行ったが、探偵は10分後、時間ぴったりにやって来た。店の前に大型のバイクが停まって、見覚えのある紺色のジャケットとスラックスの女性が降りて、フルフェイスのヘルメットを取りながら店に入ってきた。ブラウスだけが、一昨日と違っていた。白地のピンストライプだった。

「お待たせしましたです」

 エリーゼは光子の前に座ると、ウェイトレスを呼んでブレンドコーヒーを注文した。それから背負っていたボディーバッグの中から大ぶりの白封筒を取り出し、光子に差し出した。

 電話で、香水を混ぜた理由の一部はわかった、と言っていたので、その調査結果だろう。プリンターで印刷したA4用紙2枚ものの報告書だったが、1枚目は表紙、2枚目に結果が書かれていた。

 その概要……「サムサラ」はサンスクリット語で「輪廻」の意味で、輪廻というのは命が無限に繰り返されることである。無限の繰り返しと、19という数字から、無限に繰り返す数を表しているのではないかと考える。そして19分の1は無限循環小数である。

 そういう説明の後に、19桁の数字が書かれていた。「0.052631578947368421」。小数点の後の0と、最後の1の上に「・」が打たれている。つまり、最後の1の後に、また0から始まる18桁が続いて、これが無限に繰り返される、ということらしい。

 その次には、この数字について調べた結果が書かれていた。バーコード、8桁、13桁、05から始まるのはアメリカ合衆国の製品だが、該当の製品なし。クレジットカードの番号、該当なし。金融機関コード、0526は東京スター銀行だが、口座番号に該当なし。電話番号、市外局番052は愛知県だが、局番・加入者番号は未使用。郵便番号、052は北海道伊達市だが、地番に該当なし。

 光子が報告書を読んでいる間に、探偵のコーヒーが運ばれてきたようだ。

「読み終わりましたですか?」

 光子の視線が、報告書の上の方に戻ったのを察知したのか、探偵が言葉をかけてきた。

「はあ、はい。でも……」

「その数字が何かのヒントになっていると思うのですが、何を表しているかは、まだわかっていませんです。そこにいろいろ書いてますが、実はその中に正解があるのは期待してませんでした。なぜって、そこに書いてある数字は、自分で自由に決められませんものね。だから、他を探さなければならないですが、それにはその香水があった場所が関係していると思うのです。そこに連れて行ってくださったら、調査が続けられます」

 光子は少し迷った。香水を発見したのは父の家の居間なのだが、そこに彼女を連れて行ったものかどうか。あまり関係のない人は、家に入れたくないという気持ちがある。それに、ここまでわかればかなりのヒントになっている。だからたとえば、父の家の中をもう少し探せば、この数字に関係があるヒントを発見できるのではという気がする。

「この後の調査は、別料金なんですか?」

「いいえ、この件が全て解決するまでは、基本料金だけですよ。どこか遠くへ出張に行かなければならないのなら、その費用は請求するかもしれませんが」

 基本料金だけでいいのなら、続けて調べてもらった方が得なのだが、やはりこれ以上、他人が関わってもらうのは……

「はあ、あの、でも、もうこれで十分ですわ。どうもありがとうございました」

「おやおや、打ち切りですか? それでも構いませんけれども、後でもう一度依頼にお越しいただいても、別料金になりますですよ」

「はい、それで結構です」

「そうですか。では、依頼料の残りの支払いをお願いします」

 光子が1万5千円と、一昨日の「預かり証」を渡すと、2万円の領収書が返ってきた。「それでは、ご利用ありがとうございました!」

 探偵は言って、コーヒーをブラックのまま飲み干すと、バイクで颯爽と帰っていった。

 この調査結果を誰かに見せて、相談したいけれど、誰が……光子は考えていたが、一人しか頭に思い浮かばなかった。やっぱり、あの人に相談するしかないんやろか。そんなにあの人に頼ってもええもんやろか……


(続く)

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