第2章 探偵依頼 (前編)

 結局、探偵事務所に電話をかけたのは、次の日だった。あれからいったん家に帰り、香水に詳しい友人に訊いてみたのだが何もわからなかったし、他の探偵事務所ではそういう調査はやっていないらしい。昨日のうちに行っておけば、時間や電車賃を無駄にせずにすんだのに……

 とりあえず、今度は予約をしておくことにした。探偵側の都合もあるはずだし、行ってすぐに話を聞いてもらえるものでもない、ということくらいはわかっている。もらった名刺には、固定電話と携帯電話の両方の番号が書かれていたが、固定電話の方にかけてみる。

「はいっ、湾岸探偵事務所!」

 ワンコールで、元気のいい女性の声が聞こえた。受付嬢かしら。

「私、へりと申しますが、少々ご相談したいことがありまして、これからお伺いしてもよろしいでしょうか?」

「これからですか? 構いませんですよ、今日はずっと空いています。どれくらい経ったら到着しますか?」

 何となく、外国語が混じったようなイントネーションに聞こえた。外国人がアルバイトで受付をやってるのかしら、と光子は思った。昨日の事務所でも、経費節減のためか、受付嬢をまとめてたし……

「では、今から1時間ほど後に参ります」

「ああ! 今からお出掛けなのですね。わかりました。お待ちしております!」

 女性は愛想のいい声でそう言うと、すぐに電話を切った。光子は支度をして、JRの天王寺駅へ行ったが、住所からルートを検索すると、地下鉄とニュートラムを乗り継いだ方が早いということがわかった。昨日と同じ、住之江区の咲洲さきしまなのに!

 確かに、スマートフォンに表示されている地図では、コスモスクエア駅よりも、ニュートラムのポートタウン東駅の方が近いことになっている。そこで大阪メトロの駅へ降りた。検索したとおりに乗り継いで、最寄り駅に着いた。

 駅前の地図で大まかな場所を確認してから、そちらの方へ歩いた。しかし住宅地ではなく、工場地帯へ入っていくので、何度もスマートフォンの地図を見直した。確かに合っているはずなのに、不安になる。

 それでも程なく、小さな工場の事務所ビルの前にたどり着いた。でも、こんなところに探偵事務所なんかあるわけない。だって工場の名前も書いてない。看板の工場名が削り取られて……

 ただよく見ると、建物の入り口のドアに貼り紙がしてあって、何か書いてある。近付いてみると「湾岸探偵事務所は裏口へ」。半信半疑のまま裏口へ行くと、鉄製の非常階段があった。壁にまた貼り紙があって、斜め上へ矢印が向いている。登ると重たそうな鉄扉に「湾岸探偵事務所」のプレート。「ご用の方はノックして下さい」という文字に従って、ノックをした。扉は、うつろな音がした。

「はいっ!」

 電話と同じ、若い女性の声が聞こえた。鍵を開ける音に続いて、ドアが細めに開いた。外国人の……明らかに外国人の!女性がドアの隙間から顔をのぞかせた。美人と言っていいのか、美少女と言っていいのか、とにかく整った顔立ちをしている。茶色のショートヘアだった。

「電話をくださったフェリア様でしょうか?」

「はあ、はい」

 外国人だから、名前を聞き違えたのだろう。実際、日本人を相手に自己紹介しても、聞き違えられたり聞き直されたりすることはしょっちゅうなので、気にしてはいないのだが。

「ちょっとお待ちください」

 女性はそう言ってドアを閉めると、中でガチャガチャと音をさせた後で、今度はドアを大きく開いた。どうやらドアチェーンを外していたらしい。

「どうぞ!」

「失礼します」

 光子が中に入ると、女性はドアの鍵を閉めた。が、チェーンはかけなかった。中は思っていたよりも明るく、壁もカーペットも綺麗だった。とても廃工場の事務所だったとは思えない。

「どうぞ、お座りください。今、コーヒーをお出ししますから」

 女性はそう言って部屋の隅の小さなキッチンセットのところに行き、盆の上に置かれたカップに、ガラスのサーバーからコーヒーを注いだ。あらかじめ電話をしたので、用意してくれていたらしい。

「どうぞ、お座りください」

「はあ、どうも」

 ぼんやりと立っていたので、また席を勧められた。黒革張りのソファーに座る。昨日の鑑識事務所のソファーよりもよほど高級らしく、座り心地がいい。テーブルも木製のアンティーク調。その横には背の高い観葉植物、壁際にはしゃれた本棚。その棚には十数冊の洋書と小さな鉢植え。ドアの横には帽子掛け、そして紺色の中折れ帽が一つ掛かっていた。窓際のデスクも、木製のどっしりとしたものだ。

 そしてコーヒーを持ってきた若い女性は、ピンクのブラウスに、紺のベスト、同じ色のスラックス。ただ、外国人にしては小柄に見える。何歳なのだろう。ことによったら……

「コーヒーをどうぞ!」

「はい、ありがとうございます。……あの、所長さんか探偵さんはどちらに……」

「私が所長で探偵です!」

 女性が背筋を伸ばして胸を張り、胸に右手を当てながら言った。その胸の大きいこと! ブラウスのボタンが飛びそうだ。そして彼女はデスクのところに行くと、壁に掛かっている額を指しながら言った。

「はい、これ、探偵業届出証明書!」

 続いて、引き出しの中からノートのようなものを取り出す。

「これ、従業員名簿! 私以外は、みんなパートタイマーですけど!」

 そしてその名簿と、ベストの胸ポケットから取り出したカードを見せながら言う。

「はい、身分証明書! 住民基本台帳カードですけど! 運転免許証も持ってますよ、国際免許ですけど!」

 それからようやくソファーのところに戻ってきて、得意気な表情で言った。

「ご安心ください、二十歳はたち超えてます」

「はあ、あの、失礼しました」

「どういたしまして。いつも受付嬢と間違われるので、慣れているのですよ」

 しゃべり方は流暢だが、やはり少なからず外国風のイントネーションであることが気になってしまう。そんなことで相手の信用度を測るのはよくない、と光子自身も思ってはいるのだが。

「それで、どういったご用件でしょうか? 電話をくださったということは、きっと誰かに紹介されたのですよね?」

「はい、あの、ええと……渡利さん、鑑識事務所の所長さんに紹介いただきました」

 そう言って光子はハンドバッグの中から昨日もらった名刺を取り出して、探偵に差し出した。すぐに取り出せるよう、バッグの内側のポケットに入れておいた。

 しかし名刺を受け取った探偵は、実に奇妙な表情をしていた。どうたとえればいいかわからないが、強いて言えば「何とも珍妙な」という感じだろうか。

「ホップラ! アキラ様からのご紹介ですか。基本料金半額ですね、くくく……」

 そして名刺を見て、裏返して、おそらくはそこに書かれている外国語を読み取った後、一つ頷いてから、名刺を胸に抱きしめるようにして持ち、光子の向かい側のソファーに座った。アキラ様というのは鑑識事務所の所長のこと? 思い出せないけど、そんな名前だったかしら。

「わかりました。カイン・プロブレム。問題ありません。ご用件は、香水のことですね?」

 それがなぜわかったのか。あの名刺の裏の、外国語がそうなのだろうか。

「はい、そうです」

「お話しをお伺いする前に、詳しく自己紹介をしましょう」

 探偵は名刺を光子に返しながら言った。

「改めまして、湾岸探偵事務所の所長で調査員のエリーゼ・ミュラーでございます。その名刺には三浦エリと書かれてますが、それは別名です。でも、三浦さんとかエリちゃんとか呼んでいただいても、ちっとも構いませんですよ」

 そう言って痛快なギャグを決めたかのようにドヤ顔をして見せたが、光子にしてみれば笑うどころではなかった。しかし探偵、エリーゼ・ミュラーは、光子の心配顔に気付かなかったかのように続けた。

「メインは人捜しとか紛失物探しです。盗聴器や盗撮カメラの発見なども得意です。普通の探偵事務所とは違って、素行調査とか浮気調査とか身辺調査はしません。ストーカー対策は人捜しの一種なのでやりますけれど、人がたくさん必要なときは他の探偵事務所に協力してもらうことが多いです。その他の事案については内容によります。

 次に、依頼料の話です。基本料金は1件4万円ですが、特別な紹介者がある場合は割引します。あなたの場合はアキラ様からなので、半額の2万円ですね。依頼の時点では前金だけをいただきます。相談だけなら無料です。ただし、1時間以内ですが」

 ほぼ標準語なのだが、時々外国風、さらに大阪弁風のイントネーションが微妙に混じっている。いったい何年日本に住んでるのかしら、と光子は思った。それこそ余計なお世話だろうけど……


(続く)

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