第4話 回路(地上)

「やだ。あなた達またケンカしたの?」


 してない、という声が完全にかぶって、わたし達はますます不機嫌になった。


「……してるのね」

 ママは呆れ返ったようにため息をつく。


 荷物を放り込んでトランクを閉めようと手を伸ばしたら、じゅんの手が先に届いていて、わたしは更にムッとした。

 洵は助手席に乗ろうとドアに手を掛けたけど、ぱんぱんに詰まった買い物袋(コストコのやつ)が既に席を占領しているのを見て、観念してわたしの隣に座った。


 帰りの車では、ママが一方的にしゃべっていた。わたしは、ふうんとかへえとか時々相槌を打つ。

 ママは最近仕事を始めたというか、再開した。小児科で週二のパート。院長先生が大学に行く火曜と木曜に、ママが患者さんを診る。

 ――干支一回り分のブランクは大変。

 ママが自虐っぽく言うたび、わたしはいたたまれない気分になる。

 十二年。それは、わたし達の生きてきた年月そのものだ。

 洵は早々にイヤホンをして、ずっと目をつぶっている。両手はポケット。最近ブームのポーズで、学校でも家でもずっとポケットに両手を突っ込んでいる。


「そういえば、朝霞あさか先生おいくつだっけ?」

「今年で三十歳って言ってた」

「あら。そろそろご結婚とか聞いてない?」

「全然。ずっと彼氏いないらしい」

「まあ、スケートの先生ってお忙しいものねえ」


 わたしはちらりと洵を見た。

 目はつぶったまま、イヤホンも耳に入れたまま。

 ……けど、洵は絶対今の会話を聞いている。

 わたしは小さく息を吸った。


「そういえば、可憐かれんから聞いたんだけど、昔バンクーバー五輪のアイスダンスの人と付き合ってたみたい」

「それ、ウソだよ」

 ……ほら、この瞬発力だ。

 わたしはくるりと首を横に向ける。

「ウソって、どうして分かるの」

「バンクーバーのアイスダンスのカップル、結婚してるから」

「今結婚してるからって、ずっと付き合ってたってことにはならないじゃん。昔は美優みゆ先生と付き合ってたかもよ。同じ大学らしいし」


 洵はハッと音が聞こえそうなほど目を見開いた後、うつむいて黙り込んでしまった。

 その横顔があまりに無防備で、わたしは猛烈に苛立ちが湧いた。


「……洵ってバカだよね」

「は? お前に言われたくない」

 じろりと瞳が動く。しばらく、横目でにらみ合っていた。

 やがて洵は諦めたようにチッと舌打ちをすると、

「うざ」

 わたしから顔を背け、イヤホンを耳に押し込んで窓におでこを預けた。

 瞬間、ぬるい冷たさがわたしのおでこにも生まれた。


 洵が今聞いているのは、オアシスの“Stop crying your heart out”。

 うざ。何でわたしのバタフライ・エフェクトの曲聞くの。自分のレミゼでも聞けばいいのに。

 顔は見えない。身体は決して触れ合わない。わたしも目を閉じる。

 粛々と刻むピアノ。優しい歌声が流れ込む。

 口ずさむ唇のシンクロ。

 Hold up, Hold on, Don't be scared.(大丈夫、そのまま、怖がらないで)


 今、わたしたちは回路を共有している。

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