第43話 脇役になりたい

 これは、今から約8年前。藤澤雅樂が小学校三年のときに遡る。


 当時の彼は女優である母親と、その頃からモデル並に可愛い存在であった姉の影響で自身もオシャレに気を遣っていて、前髪をかき上げたアップバングのイカした髪型であった。

 容姿も当時は整っており、運動神経は抜群。性格は明るく積極的で、そして今のように誰に対しても優しいものだから──学校ではクラスの中心的存在で、異性からもかなりモテていたとのこと。


 その学校では白く美しい髪が特徴のハーフの女の子と二人で美男美女と言われ、憧れの存在であると称されていた。


 そんな彼に転機が訪れたのは、クラスに転入生が来たときだ。


「えっと、倉坂美唯くらさかみゆです。よろしく、お願いします……」


 教壇の前で、消えそうな声で自己紹介するのは、眼鏡をかけた女の子。少しだけ赤みのかかった髪色で、前髪は眼鏡のレンズに触れるくらい下ろしていた。


「はい、よろしくね? 倉坂さん。じゃああっちの空いてる席に行ってくれるかな?」


 先生に言われ案内されたのは、雅樂の隣の席。すなわち彼女こそ雅樂の初恋の相手である。


「よろしくな! 転入生!!」


 雅樂の明るい声と笑顔が、新しい環境に不安を抱く彼女の心を暖めたのであろう。彼女は嬉しそうに微笑みながらコクリと頷いた。


「ということだからみんな、仲良くしてあげてね??」


 先生は転入生にとって居心地の良い環境を作るべくそう言うが、そんな言葉、一部の人間には届かない。

 地味な見た目の少女がクラス1のイケメンの隣で楽しそうにしているものだから、それに嫉妬し、「良し」と思わない子もいたわけだ。


 とはいえ、初めは何事もなかった。というのもまだ、二人の距離がそんなに近くなく、雅樂にとっても「ただ単に隣でいつも本を読んでいる地味な存在」でしか無かったからだ。


 そんな彼女の姿がおかしく思えたのか、ある日こんなことを言った。


「お前、昼休みも本読んでばっかだな? 外で遊ばねぇの??」

「……うん。こっちのほうがいい」

「つまんねぇやつ。本なんて読んで、何が面白ぇんだよ」


「……じゃあ! 読んでみてよ!!」


 雅樂の言葉にカチンと来た少女は読んでいる本を突き出して雅樂に迫った。


「わりぃ! 悪かったって」

「ダメ! 本読んでくれるまで許さない!!」

「なんだよ、めんどくせぇな……」

「……はい、これ貸してあげる」


 隣の席の少女はカバンから本を取り出し、冷めた声で言った。


「これ読んでも面白さが分からないなら、許してあげる。本の面白さがわからない『おろか者』に口出ししてごめんなさい、って」


 普段からそういう口の聞き方のしない大人しい女の子から飛び出た冷酷な発言におののくも、すぐに悪口を言われたと認識した雅樂はカチンと来て、力強く彼女の本を取った。


「そこまで言うなら貸してみろよ!」

「……面白かったら謝ってよね。『本が面白くない』ってバカにしたこと」

「そっちこそ。俺が面白くないって思ったら、ちゃんと外でも遊べよ?」

「……わかった」


 嫌々な様子で、少女は雅樂から目を背けた。


 本を読むことに苦手意識を覚えていた雅樂としては、この勝負に余裕で勝つことができた。

 苦手意識があるから、「つまらない」という先入観がまさる可能性も高く、逆に「面白い」と思っても、強がって「つまらなかった」と言って返すこともできる。


 だが、翌朝のことだった──。


「すげぇ! これ、超面白かった!!!」


 300ページほどのファンタジー小説を手に持った雅樂が、教室に着いてすぐ輝いた目を隣の席の少女に向けた。


「……あっ、昨日は悪かった」


 昨日の勝負のことを忘れさせるほどの面白さだったのだろう。雅樂は素直に謝った。


「ふふっ、どうだった?私が一番面白いと思った本は?」

「えっと、まず主人公が超カッコよかったし、ドラゴンと戦うシーンなんて超燃えた!!」

「でしょ!? それでそれで??」


 こうして地味な見た目の少女と『憧れ』と称された遠い存在は、一冊の本がきっかけで一気に距離が縮まった。

 それからも雅樂は本の魅力にどっぷりハマり、その本について語り合ううちに隣の席の少女に好意を抱くようになった。これが藤澤雅樂の初恋エピソードの序章であった。



 けれど彼の初恋の物語は序破急の『破』も『急』も一気に飛ばして、わずか一ヶ月もしないうちに終章を迎えたのだ。


「えっとですね、藤澤くんが親御さんとお姉さんの都合で、東京の学校に引っ越すことになりました」


 教壇の前で顔を俯かせる雅樂の隣で先生が残念そうな声で言うと、続いて生徒たちも嘆きの声を上げる。

 さすがクラスの人気者。彼の転校に悲しみ、涙を流す男子生徒もいた。


 雅樂はモデルとしてデビューの決まった中学三年生の姉と、俳優として一躍有名になった父が上京するのをきっかけに、今いる学校を離れることになったのだ。



 そんな人気者の雅樂のための『送別会』が教室で盛大に行われた学校生活最後の日に、彼の恋の終わりと『大きな転機』が訪れた。



 〇



「話って、なんだよ?」


 体育館近くの花壇の傍に呼び出された雅樂は怪訝な表情で、後ろを向く隣の席の少女に聞く。

 すると少女は振り向くのだが──彼女は目も頬も真っ赤にしていた。


「……藤澤くんに、伝えたいことがあって……」

「……なんだよ?」


 彼が居なくなることへの悲しみとこれからを告げることへの緊張で、少女の身体は震えていた。

 けれどもここで勇気を出して、少女は一歩だけ前に運ぶ。


「私、藤澤くんのこと、好きです!!」


 いつもは隣にいないとよく聞こえない小さな声を出す少女は、今に限って腹から大きな声を出す。

 少女は涙を流し、頬を真っ赤にしていた。


「……だから、その……、つ、付き合って、ください……」


 恥ずかしそうにもじもじしながら出した言葉は、まさしく愛の告白。

 彼との別れ際にしまって置いた気持ちを伝え、願わくば遠くに行っても関係が続くようにと思い、少女は雅樂に付き合って欲しいと言った。


「その気持ちはありがてぇ。……だけど、ごめん。今は付き合えない」


 けれど、雅樂は彼女の願いを断った。


「……もしかして、私のこと嫌い? 本読んでばっかの地味な子だから? 藤澤くんとはお似合いじゃないから!?」


 その言葉に、彼女は涙ぐみながら声を荒らげて迫った。


「……ちげぇよ」

「えっ……」

「お、俺も好きなんだよ! お、お前のこと!! 一緒に話してると楽しいし、楽しそうに好きな本のこと話してるお前のことも大好きだし、それに……」


 雅樂は頬を掻きながら、ボソッと呟く。


「……可愛いし。お前の、笑った顔、とかさ……」

「……じゃあ、なんで?」

「そりゃ、今から俺とお前が付き合うなんて無理だろ? 俺、ここから遠い場所行くし、ねえちゃんが『遠距離恋愛』なんて上手くいかないから付き合ってる彼氏と別れたって言ってたし……」

「……そ、そんなことは」

「だからさ、また会った時に聞かせてくれよ!!」


 雅樂は拳を突き出し、満面の笑みで言った。


「俺、待ってるから!!」


「……うん!」


 そう言うと、少女も手をグーにして彼の拳にコツンと当てた。


「じゃあ、またな! 倉坂!!」

「……うん、またね」


 ──


 これが藤澤雅樂の初恋の思い出。短いエピソードとはいえ、最後は「また会った時に聞かせて欲しい」という約束を残して幕を閉じようとした。


 ……だが、これで終わりではなかった。



「……いっけね! 上靴忘れてた!!」


 学校を出てすぐ、忘れ物に気づいた雅樂は下駄箱に戻るべく走った。

 誰もいないはずの少し薄暗い学校の玄関に足を踏み入れると、声が聞こえたので雅樂は咄嗟に身を潜めた。


 そこで聞こえたのは──雅樂にトラウマを植え付けたきっかけとなる会話であった。


「アンタさぁ、マジでムカつくんだけど?」

「地味なアンタが藤澤くんに告るとかありえないし。身の程わかってんの??」

「しかもフラれてるし、バカじゃないの??」

「……わ、私は……」

「えっ? もしかしてあんなこと言われて、フラれてないと思ってんの??」

「あんなの、藤澤くんの優しさだし?調子乗らないでくれる??」


 ──そんな、俺のせいで……。


 ここで彼は知らされた。自分のことが好きだと言った少女が、それを憎む女子生徒たちからイジメを受けていたことを。


 そして彼は思った。みんなの憧れの存在になるから、良いように目立ってしまったから、それに近づいた子が痛い目を見てしまうのだと。


「……ごめん!!」


 雅樂は彼女に救いの手を差し伸べらないほどのショックを受けて逃げ出した。

 そのときに扉を勢い良く閉めたからか、大きな音に驚いて少女たちは逃げるも、近くにたまたま歩いていた先生に見つかり、イジメが判明したとのこと。


 ──だが彼の傷は癒えず、その傷を認知されないまま東京の学校へ転校した。


「……母さん」


 涙を拭い、家に帰った雅樂。

 整ったアップバングの髪型が崩れ、かき上がった前髪が無理に下ろされた姿を見た母親が心配そうに駆け寄ると、雅樂は涙ながらに訴えた。


「……俺、脇役になりたい」


 名脇役として有名になった父親を連想して浮かんだその言葉は、関わった誰かを傷つける存在になりたくない。誰かの嫉妬を生む存在になりたくないという強い意味を示し、藤澤雅樂という人間を大きく変えたきっかけであった。



 〇



「──倉坂!!」


 深夜、皆が眠っている時間帯に俺は目が覚めた。悪い夢を見ていたのだ。


「……くそっ」


 あの頃の何もできなかった弱い自分、初恋の女の子が傷ついているのに気づけなかった自分に悔しさを覚え、俺はハンモックの中で手を強く握り締める。

 こんな気持ちで、二度寝なんかできやしない。俺はしばらく身体を起こしたまま、顔を俯かせていた。


 ──ていうかハンモック、マジで暑いんだが……。


「……藤澤くん?」

「……あぁ、わりぃな道重。起こしちまったみたいで、って何やってんだよ!?」


 道重が目を覚ますと、隣で眠る平林の布団に手を突っ込んだ。まさかコイツ、男の寝込みに襲うヤバいタイプのゲイなのか!?


「いでででで!!!」

「平林くーん、起きろー」

「いだい!痛いからズボンの上からケツをつねるな!!」

「ほら起きて、平林くん。初恋の話、聞かせてくれるんだよねぇ??」

「わ、わかった!わかったから!!」


 ……そういえば道重、夜に無理矢理起こしてやるって言ってたな。


 風呂にいた時のことを根に持っていた事と、あまりの有言実行ぶりを見せられ、これには驚きを禁じ得なかった。コイツ、舞香とは別の意味で怖いんだが……。


「…………」


 平林が身体を起こし、辺りをキョロキョロ見渡すと、仕切りの向こうにいる女子たちに聞こえない小さな声でこう言った。


「…………なぁ、外出ないか?」

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