番外編 狼を待つ仲間達 前編

(※シダル完結一周年記念の短編です。第一部第二章までのネタバレが含まれます)



 時折塔を訪れるその人のことを、彼はただ「背の高い人だな」と思っていた。小柄な彼と比べると倍はあるのではないかというような感じで、しかも誰よりピンと背筋を伸ばしているから余計に大きく見える。


 そんな今代の賢者様に呼び出されて恐々と塔の談話室を訪れ、そして彼はその人の顔を見るなりびっくりして体を硬くした。叡智の祝福が豊かな人だとは聞いていたが、こんなに真っ黒な瞳は見たことがない。まるで光を吸い込む穴のように見え──その瞳に覗き込まれるのが恐ろしくもあり、また反対にその奥に何があるのか覗き込んでしまいたくもなる。それがまるで人ならざるものに森の奥へ招かれているような感じがして、余計に恐ろしいのだ。


 そういう少し怖くて不思議な魅力を湛えた賢者様は、ゆったりと優雅な姿勢で椅子に腰掛けたまま驚くべき話をした。それはなんと魔王を討伐する勇者を支える「剣の仲間」に、彼を「吟遊詩人」として迎え入れるというもので、しかも他の仲間にはこの賢者様ご本人と、彼でも名前を知っている水の神殿のファーリアス猊下、そして「白」のリフ様がいるというのだ。


「リフ様! エルフのリフ様も一緒なのですか?」


 リフ様はキラキラした星の光を身に纏う、特等に綺麗な、彼の憧れの妖精だった。思わず身を乗り出して「歌は、歌は得意です!」と必死に言う。すると賢者様は頷いて背後を振り返り、続きの間の方に向かって「魔法使い」と呼びかけた。


 ギィと扉が開いて、隙間から蝶が鱗粉をこぼすような光が見えた。護衛に囲まれて森を歩く姿を遠くから見つめていた妖精が目の前に現れて、訳もなく泣きそうになる。


 美貌の魔法使いが広間に現れると、あえかな光の花がその足元から次々に芽生えては咲き、散っていった。以前見た時にそんなものは咲いていなかった気がするのだが、最近のお気に入りの魔法か何かだろうか。最高潮に幻想的な光景を目の当たりにして、まるで本物の詩人のように何かこの美しさを表す詩を紡ぎたくなってくる。


「リフさま……」

「魔法使いと、呼んで……吟遊詩人」


 歌うような響きの優しい囁き声がして、近寄ってきた魔法使いが「……君だったのだね」と呟きながら吟遊詩人の髪を撫でた。ふわっと甘い花の香りがする。


「僕のことを、知っているのですか?」

「うん……特別甘そうな色だと思って……時々、見ていたよ」


 蜂蜜色の頭で良かったと思いながら、息もできないくらい美しい存在を間近で見上げた。灰色がかった淡い青色の瞳は静けさしか詰まっていないように全く凪いでいて、何の表情も浮かんでいない。しかしそれなのにつつけば壊れてしまいそうなほど、澄み切って張り詰めた色味をしている。


 吟遊詩人は花や鳥や宝石などといった綺麗な色をしたものを眺めるのが子供の頃から好きだったが、エルフという生き物はその中でもやはり特別にキラキラしていて美しかった。心の器がたっぷりと澄んだ水で満たされたような気持ちになりながら塔を出る。賢者様が家族に彼の使命について説明してくれている間、自宅の自室に戻って旅の準備をするのだ。


 必要な物はある程度揃っていると言われたので、おそらく小柄な彼が着られるような服は用意されていないだろう状況を考えて、着替えを優先的に詰めることにした。下着を何枚か放り込むと、箪笥の中身を根こそぎ引っ張り出し、組み合わせを考える。うん、一番綺麗な緑色のローブを着て行こう。


 塔の護衛と魔術師達の世話係を兼ねる、つまり完全な裏方である鷲族わしぞくの仕事着は皆、昼は霧に紛れる淡い灰色、夜は黒ずくめという目立たない服装だ。それ故にみんな非番の日は綺麗な色の服を着たりしてお洒落を楽しんでいる。吟遊詩人もその例に漏れず色鮮やかな飾り帯や綺麗な染めのマントをたくさん持っていたので、その中でも動きやすいものを重くなり過ぎない程度に数枚選んだ。


──吟遊詩人といえば、羽飾りかな


 ふとそう思って、箪笥の奥に隠した宝箱の中から白と橙色の鳥の羽根を取り出し、とんがり帽子のリボンの結び目に差し込んだ。一気にそれらしくなって満足すると、ローブの上から帯を華やかな飾り結びにして、鏡の前でくるりと回る。


「よし!」


 小鳥と野苺が刺繍された丈夫な布の鞄を肩に掛けて、塔へ駆け戻った。賢者様と話をしていた両親が振り返り、目一杯着飾ってはしゃいでいる息子を見ると苦笑する。


「……息子も喜んでいるようですし、神託とあらば我々はただ従うのみです。弱い子ですが、可愛い子です。どうかよろしくお願いいたします」


 父が丁寧に頭を下げ、賢者様が無言で頷いた。家族が代わる代わる吟遊詩人を抱きしめて「無事に戻ってくるんだよ」と声をかけ、広間を出てゆく。すると、突然不安と寂しさが襲ってきて身を強張らせたが、しかしその時賢者様が「ゆくぞ」と声を上げたので、その感情に浸る間もなく上層の転移の間へ続く階段を上った。使命を告げられてから出発まであまりにあっという間のことで、少し目が回るように心がついていけていない。


「……そなたはこれから数週間、高熱で寝込んでいることになる。可能な限り周囲に悟られることなく発たねばならぬのだ。別れの時間を満足に与えてやれぬのが悔やまれるが、事情は後で話す」


 するとどこか同情しているような響きで賢者様が言うので、見た目ほど怖い人ではないのかもしれないと少しだけ思う。


「賢者様、僕のことはお気になさらず……ええと、神の御言葉に従うだけです」

「敬称は要らぬ、楽に話しなさい」


 その言葉には隣を歩く白のお方も頷いた。雲の上の方々にそんなことを言われても困ると思ったが、月光色のエルフがふわふわした足取りで階段を登りながら囁き声で「そうだね……家族のように心をやわらかくして、僕達に甘えるといい。そうすれば、寂しくない」と言ったので、ほわっと心が温かくなってにっこりした。


「……うん、ありがとう。賢者、魔法使い」

「口調はそれで構わぬが、親密な類の甘えならば私を除いた仲間に限定してくれたまえ」


 面倒そうに賢者が言うのをさらりと無視して、魔法使いが吟遊詩人の装いを上から下まで眺める。


「夕日色の風切り羽が、とても似合っているね……かわいい」

「……森で拾ったんだ」


 褒められたくて着込んだくせに、そうなると途端に張り切った服装が恥ずかしくなってごまかした。すると賢者が「洞窟アトリだな」と低く呟く。たぶん鳥の名前だろうと思うと、どうやら彼らにとって吟遊詩人の張り切り具合なんてどうでも良さそうだぞという気がして、少し頰の熱が落ち着いた。





 そうこうしているうちに転移の間に到着したので、吟遊詩人はさっと進み出て部屋の端の棚からモップを取り出し、柄に魔力を込めて浄化の術を発現させながら、床に嵌め込まれている大きな水晶の丸い板を磨いた。鷲族の世話慣れている魔法使いはぼうっとした顔でそれを眺めていたが、賢者の方は少し居心地悪そうに彼の挙動を目で追っている。賢者の塔には代々賢者様おひとりか、代替わりの時に弟子が一緒に住んでいるだけで側仕えは置かれないと聞くので、気位の高そうな顔の割に甲斐甲斐しくされることに慣れていないのだろうと思うと、少し微笑ましかった。


「どうぞ、『使い手』様」


 そう言っていつも通りの礼をしてから彼らには気安く話すべきだったと思い至り、にこっとして「ほら、綺麗になったよ」と言い直す。


「……ありがとう」


 魔法使いが言って、その後ろで賢者も無言で頷く。やはり冷徹そうだが冷酷そうではないなと思って、吟遊詩人は彼らに見られない角度でホッと息をついた。とりあえず賢者は厳しそうだが、一緒に旅をするのが苦しいような人間ではなさそうだ。他の仲間も優しい人達だったらいいなと考えて、そしてじんわりと後ろめたくなる。神託という言葉に甘えて、彼はまだ自分の致命的な欠点を何一つ明かしていない。彼が本当は不良品の役立たずであることも、まっとうな「吟遊詩人」になんてなれそうもないことも、何ひとつ。


 でも、不思議な妖精と冒険の旅に出たい。


 そうすれば自分も変われる気がする、というのは都合の良い夢想だった。この場を離れればという考えは現実逃避でしかなく、そんな甘い思考をしているから自分はいつまでも弱いままなのだとも思う。


 が、それでも何か奥の方から心を突き動かす直感に似た何かがあって、吟遊詩人は突き進むのをやめなかった。伝承でしか知らない「剣の仲間」に選ばれたという言葉を鵜呑みにして、躊躇うことも謙虚に己の力を卑下することもなく、ただ馬鹿の一つ覚えのように「行きます、歌は得意です」と、浮かれながら繰り返していた。


 賢者が水晶床の中央に立つと、足元から転移の魔法陣が一瞬で広がった。陣の類を見慣れている吟遊詩人から見てもそれは見事な筆致で、それがこの速さだ。この「描画」ではなく「投影」だと言われる賢者の技術を目の当たりにして、彼に気安い口を利くことを許された自分が改めて不思議になる。


 賢者が魔法使いを振り返って、影の色をした大きな魔法陣に魔力を注ぐよう指示を出す。魔法使いが頷いて中央の星をトンと踏むと、きめ細かな紋様が瞬時に眩い銀色へ塗り替えられ、魔力が術を発現させられるだけの量に達したことを示す、一段階強い発光が始まった。





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