第四章 苦難

一 監察者



 抱えていた妖精をとりあえず勇者の寝台に乗せると、素早く暖炉に火を入れ、蝋燭に火を灯して部屋を明るくした。可哀想に、こんな寒くて暗い場所で待っていたなんてさぞ心細かったろう。遠慮しなくていいのに。


「ハイロ……こんな日にお前に会えるとは思ってなかった。今日は最高の日だ……」


 振り返って満面の笑みを向けると、目を合わせたハイロがさっと俯くとフードを目深に引き下ろし、どこかそわそわしながら首のところに押し下げていた布で鼻までしっかり隠した。彼女は声で魔法を使うのであまり口元を隠しているところは見たことがなかったが、そうするといかにも異端審問官らしくて、凛々しく神秘的な立ち姿に頭の奥がとろける。


「ああ、そうしてると瞳の美しさが際立つ。舞踏会のドレスが世界一かと思ってたが、お前はやっぱりどんな格好でも綺麗だな……」

「酔っているのですか、シダル。困ります、神殿からの言伝ことづてですのに」

「どんなに酔ってようが、お前の言葉は一言だって忘れたりしない」


 にっこり言うとハイロが疑わしそうに眉を寄せ、神官が後ろから苦笑した声で「私は酔っていませんから」と言った。

「……明日の夕暮れ、街外れの森までお越し下さい。会っていただきたい方がいるのです」


「誰だ」

 賢者が簡潔に問う。今日は弱い酒だったせいか酔いが覚めていないわりに声は鋭いが、むにゃむにゃと寝言を言っているエルフへ丁寧に毛布を掛けてやっているので全然怖くない。


「光の葉、神殿の監察者かんさつしゃです。彼女は火の審問団からの告発を受け、気の第一審問官ソロに関する異端調査をしに来ています。主にオークに関して、そして彼の顕現陣が裏返った件についての聞き取り調査です」


 賢者が「ふむ」と相槌を打ちながら、丸まって毛布に鼻をうずめた魔法使いの頭をポンポンと優しく叩く。その様子をじっと見ながらハイロが言った。


「あの……お二人はお付き合いを始められたのですか?」


 賢者が一瞬固まってから自分の手とハイロを見比べたのを見て、さっと目を逸らす。吟遊詩人がブッと吹き出すと「そう見えるよね? でも違うんだな、これが……賢者はね、酔うと優しくなるんだよ」と息も絶え絶えに言った。目が合うと絶対に面倒なので、賢者の方は見ないようにした。


「そうなのですか。では明日の朝、朝焼けの薄まる頃にお迎えに上がります」

 ハイロが何事もなかったかのように淡々と話題を変えたからか、賢者の方を見振り返って顔を青くしていたフェアリがほっと息をついた。ハイロが一礼してどこかへ消え、神官が伝令鳥を呼び出すと明日の見送りには来ないようにとガーズへ伝言を吹き込む。


「ごめんな、会う予定の奴が敵じゃないって保証はなくてさ。また帰りに寄るから、そしたら飲みに行こう」

 勇者もホボロボーロを出して謝罪を入れると、二羽のミミズクが連れ立って夜の街を飛んでゆく。


「ホボロボーロが大きくなったので、ルーネと並んでいると親子のようですね」

 神官が微笑ましそうに目を細め、吟遊詩人が「神官も名前付けてたんだ……」と呆れ顔で言う。その後はそれぞれ部屋を分かれて寝ようかという流れになったが、魔法使いがすっかり勇者の寝台で熟睡していたので、二人部屋は彼と賢者に譲り、一番小さな吟遊詩人を一番痩せている神官の部屋に放り込むと、勇者は開いた部屋に入って休んだ。





 そして次の日の朝、勇者達は荷物を纏めると、迎えにきたハイロと連れ立ってまだ早朝の静まり返った街を抜け、ゴドナ火山を回り込んで、入ってきた方とは反対方向の森へ踏み入った。方角としては街の北側にあたり、聖域の風下に位置する南側とは違って空気が黒っぽく薄暗い。しばらく歩くと木立の向こうに少し開けた小さな草原があり、そこに見慣れた顔が見えた。


「フラノ、久しぶり」

 片手を上げると、三人いる火の審問官の中で一番背の高い男が、困惑したようにゆっくり片手を上げた。声を出して喋らないせいか彼だけはいつもハイロと同じように口元を晒しているが、その口が小さく「久しぶり」と動いた気がして嬉しくなる。


「来るならもっと早く連絡してくれよ、そしたらもっと土産を買っといたのに……今日はあの変な双子はいないのな」


 そう言いながら「ほら、みんなで食え」と干し肉の袋を渡してやると、フラノは以前と同じように丁寧に一礼してからそれを受け取った。かたわらのライが苦笑し、ガレが眉を寄せるとこめかみに指先を当てて首を振る。


「あと、お前にはこれ。次会ったら渡そうと思ってたんだ」

「おや、これは……軟膏か。火傷は癒えたと言ったのに」


 受け取った小さな瓶の蓋を開けて匂いを嗅いだライが、困った顔で笑う。張り詰めすぎて虚ろな目をしていた以前より随分と打ち解けた雰囲気になっていて、優しそうな声が少し神官に似ているなと思う。


「いや、これはさ。賢者と神官が二人で作った、古傷にも効く凄い魔法薬らしい。聞いたけど、神々の代理戦争をさせないためのなんとかに抵触しないとかで、顕現術でできた傷でも仲間同士なら癒せるんだろ? 旅が終わって、神殿が落ち着いたらロサラスが傷跡消してくれるけどさ。それまではこれ塗っとけ」

 そう言うと、ライは苦笑から少し気の抜けた笑顔になって薬の瓶をぎゅっと握った。

「我々のことを仲間と呼ぶか、勇者殿。恵みに感謝する──ローリア、彼の人柄はこのような感じだよ。どこにも計算がないのは、貴女ならわかるだろう」


 勇者から視線を動かしてライが話しかけた人物は、今までに見たことのない格好をしていた。淡い黄の糸で刺繍が施された上等な象牙色のマントを着て、額から垂らした薄い布で顔を全部隠している。背は女性なら高くも低くもなく、フラノ達に比べればそれほど強そうな気配はしない。

「彼女は、根神官の中でも特殊な立場にある。神殿内部の──」

「監察者ローリアだ」


 少し高圧的な感じの声がライの言葉を遮った。ライがやれやれと言った顔で後ろに下がり、彼女の言葉を聞くように勇者へ手で合図を送る。

「我が名はローリア、光の葉である。光の下に神殿を監察し、観察する者であり、夜闇やあんに踊る破壊者の対となる者。私は名を呼ぶことを許されぬ光神こうしんへと仕えるが、他の根達と違い、神殿長の影響下に置かれぬ。ただ創造神の作りたもうた全てに対し平等で、中立。それが私の信仰であり、信念である」


「──彼女は単独で、あるいは内部の告発により、神殿内で唯一弾劾だんがい審問を行える立場にある。審判のためにオークを作り出したという気の第二審問官ハイロの報告を受け、我々火の審問団は気の第一審問官ソロを告発することとした。ローリアはそのための調査を行っているのだ。彼女はただ神典に従って公平な審問を行う、誰の敵でも味方でもない人間だ。故に、決して敵ではないと言う意味では信用できる」

 腕を組んだガレが説明してくれる。だんがいって何だろうと思いながら勇者が頷いて見せると、ローリアという人物が再び話しかけてきた。

「話を聞かせて欲しい、勇者シダル……火神に選ばれし者よ。オークについて、ソロについて……そして汝自身のことを。汝は何ゆえに人類の存続を望むか、何ゆえに気の審問団と敵対するか、何ゆえその上で気の第二審問官ハイロを愛したのか」


「えっ」

 最後に思わぬ言葉が来て勇者がびくりとすると、こそこそとフラノに何か耳打ちしていたハイロがすごい勢いで振り返り、監察者の肩を揺さぶった。

「ローリア、やめてください。全く、貴女は不真面目すぎますよ」

「おや。もしや動揺しているのか、ハイロ。汝にそのような感情が備わっていたとは……これはなかなか面白い話が聞けそうだ」

 にやりと音が聞こえそうな声になってローリアが言うと、ハイロが顔をしかめて厳しい声を出す。

「光の葉よ、お仕事をなさい」


 仲良しなのかな……。


 その声から厳格な人間かと思っていたが、思ったより面白い人のようだ。

「ええと、まず俺がハイロを好きなのは……ちょっと長くなるけどいいか?」

「うむ、余すところなく聞かせよ。私は他の神官らの例に漏れず、恋愛については罪を知らぬ幼子が如く一片の知識も持たぬ。その恋心を深く解剖し、分析し、全てを詳細に語れ」

「わかった」


「シダル!」

 可愛い声で怒られてしまい、勇者は堪らなくなって思わずにっこりした。薄布を揺らしてそれを見た監察者が「ハイロよ、仕事の邪魔をするでない」と言ってくつくつ笑う。ハイロが怒って魔力を漏らし、毛を逆立てた猫のように風でマントがぶわりと持ち上がる。可愛い。


 勇者はもう少しだけ彼女をからかってみようかと少しだけ迷ったが、しかし後ろに立っているガレがとんでもなく苛ついた顔をしているのに気づいて、ぴっと背筋を伸ばすと本題に入った。どうやら彼女は生真面目な上に気が短いらしい。


 勇者が「そろそろ話してもいいか」と言うと、ローリアも流石に根は真面目なのか、すぐに気持ちを切り替えて頷いた。それから思い出し思い出しソロとその仲間達のことについて話したが、呆れたように腕を組んだ監察者から「事実と感想、予想は分けて話しなさい」と三度言われたところで賢者と交代になった。お役御免になって少し面白くなかったので、ちょんちょんと足元の小石を蹴って暇を潰す。


「勇者、そんなにわかりやすくいじけなくても……」

 吟遊詩人が笑いながら言った。

「いじけてなんかない」

「いやそれ、絶対──」


 その時吟遊詩人がヒュウッと、本気の恐怖が混じった音で息を呑んで振り返った。咄嗟に聖剣を抜きながら周囲を見回すと、神官がなぜか、喉のあたりを押さえて苦しんでいる。急病にしては動きが不自然だ。慌てて駆け寄ろうとして、何か淀んだ強い風のようなものにバチンと阻まれる。槍の先に火を灯したフラノが勇者の隣まで飛び出してきた。ライとガレが素早く仲間達を誘導して、神官から距離を取らせる。


「どうした神官!」

 勇者が叫ぶが、神官は口をぱくぱくとさせるだけだ。どうやら声が出ないか、届かないらしい。しかし神官がぐっと視線を鋭くすると、彼の首のあたりの空間がばきりと凍って、人の腕のような形が現れた。すぐに蒸気が上がって氷は溶け、ぽたぽたと足下の草を濡らす。


「火持ちが二人、真っ黒に淀んで色がわからないのが五人! 神官を捕まえてるのは火持ち! あと水が一人!」


 目隠しをむしり取った吟遊詩人が叫ぶ。するとゆらりと空間が揺らいで、神官の喉元にぴたりとナイフを押し当てているロドと、その後ろに暗い色のマントを着た集団が姿を現した。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る