三 守るために、とは



 結局賢者には、その後散々おもちゃにされてしまった。彼らしからぬ生気の宿った表情で魔力量を調べられ、炎の温度を測られ、賢者が熾した魔術の炎の青と色を比較され、魔吼や浄化の炎を検証され、魔石に魔力を大量に入れさせられた。否、他にも色々あったはずなのだが、あまりに色々やらされたので大半は忘れた。


 満足した様子の賢者が目を虚ろにした勇者に語ったところによると、どうやら勇者は魔力の量が倍くらいに増えているらしい。それから今までと同じだけの力加減で、随分高温の炎が出るようになっているともわかった。


 それでも魔力の量は神官の三分の一に満たないくらいなのだが、しかし神の加護で魔力の効率──つまり火の温度まで上げられたとなると、実際はそれ以上に魔力が増えたような感覚になるらしい。故に炉に火を灯すのは、扱いに慣れてからでないと危ないと言われた。


 咄嗟に大爆発を起こさないよう、精密な力の制御をと賢者と神官にそれぞれ口煩く言われ、大きな力の扱いに慣れている魔法使いと訓練することになった。


 あまり細かい作業が得意なようには見えない魔法使いだが、彼の不器用さはどちらかというと魔力というより手先の問題らしく、賢者曰く魔力の総量を考えればとても繊細な制御をしているらしい。彼はついさっきも、ふわっと指を振って手も触れずに砂糖の袋から砂のような結晶を取り出し、並んで歩いているアリに「一粒ずつね」と言いながら配っていたが──まあ手渡しているというより蟻の方が受け取りに来ているとはいえ──普通は、彼ほどでなくとも強い魔力を持っているとそんな細かいことはできないそうだ。


 手で触れない方が緻密な仕事ができるというのも変な話だが、まあ魔法使いが変なのは今に始まったことではない。森の生き物らしく感覚派なので、理屈っぽい神官に教わるよりは相性が良さそうだと思っていたが──しかしその考えは誤りだったかもしれないと、勇者は今そう思っていた。





 勇者は今、花の妖精と二人で宿から神域と反対方向へ向かい、ウルの街を出たところの森の木の枝に乗せられて、なぜか「幹に寄りかかって……うとうとするんだよ」と指示されていた。わけがわからない。わからないが、教師役に張り切っている魔法使いに従わないのも可哀想なので、とりあえず言われた通り木の上で目を閉じてみる。太い枝なので多少うたた寝したところで落ちはしないだろうが、だからといって、わざわざ木の上で寝るのは小鳥と兎とエルフだけだ。改めて思う。わけがわからない。


「さあ、目を閉じて……体の中の空色を感じて。今は見えないけれど、その色は君の中に、確かにそこにある……夕焼けの色だったのが、真昼の空の色になった。太陽が一番輝いていて、色鮮やかで、雲ひとつない爽やかな真夏の空色だ。それが、針葉樹の中を流れている」


 隣に座った妖精がぺたりと勇者に寄りかかり、「あったかい……」と呟いた。気持ち良さそうだが、こっちはすごくぞわぞわする。夢見るような声に少し眠くなっていたのがすっかり覚醒した。


 神託の後からずっと、体が火照るような感覚が続いていた。内炎体質なので体温を測っても毎日高熱なのだが、それでも少し熱を出しているのではないかというのが神官の見立てだった。休むように言われたが、丸一日寝ても変わらなかったので今日は訓練に出てきたのだ。勇者が思うに、この微熱は魔力そのものの温度が上がったせいで、新しくなった力を馴染ませれば治まる可能性があったからだ。


「アールュエン、真夏の空を青いまま涼しくするには、どうしたら良いかわかる?」

「……冬にする」

 妙な愛称だが、本名の方で呼ばれたことを少しくすぐったく思いながら答えた。


「そうだよ。夏の青空を冬の青空にすればいい。そして君が願えば、また冬は夏になる。それはとても自然なことだ。そうやって力を扱うんだよ」


 うん、さっぱりわからんな。


 わからんが、綺麗な単語だけ寄せ集めたような言葉遣いは聞いていて心地良いので、まあ良しとした。しかし一応試してはみようかと、手のひらに小さな炎を出して、じっと見つめながら夏の炎天と冬の寒空を交互に思い浮かべてみる。


「……あまり、変わらないね」

「そうだな……」

「そんなに夏が好きなの?」

「いや、別に……」


 困っている勇者を魔法使いがじっと見ている。白い部分の少ない不思議な瞳が木漏れ日にきらりと光って、優しいのにどこかそら恐ろしいような妖精らしさが顔を覗かせた。見慣れてくると可愛らしい奴なのだが、たまにこういう表情をしているところを見ると、よくこいつと賢者は種族が違っても互いに恋をしていられるなと思う。むしろ彼のそういう部分に心揺さぶられているように見える賢者は、やっぱり人間じゃないのかもしれない。


「……針葉樹。君の望む力を手に入れるには、魔王のことと、神殿のことは別に考えなければならないよ」


 その時、黙って勇者を観察していた魔法使いが、寄りかかっていた体を起こすとおもむろに口を開いた。何のことだろうと、青い瞳を覗き込む。同じ青でも、派手な色をした勇者の目とは全く印象の違う目だ。真冬の凍った湖色が、新しく授かった炎を抑えきれていない勇者の精神をひんやりと落ち着かせる。


「魔王はきっと、君が救うに値する善良な存在だろう……でもね、あのソロという人間やオークという人間の成れの果ては、群れに仇なす存在だ。生まれた時は善良な生き物だったかもしれないけれど、僕から見れば、もうどうしようもないほど心が汚れて、取り返しがつかない。道に迷ってしまっていただけのフルーンやファーロとは違う。あれに同情していたら、その隙にきっと愛するものを害される。あれは排除すべき存在だ」


 彼のことが時々幼子のように見えるのは、きっと勇者の思い違いな部分もあるのだろう。人間は猫や鳥のような森の生き物を可愛らしいと言うが、彼らにとってのそいつは成熟した立派な狩人だったりするはずだ。まあこのエルフは神官によしよしと愛でられて嬉しそうにしているので、一概に大人扱いすべきとも言えないが、それでも仲間達の中で一番無慈悲なのは、実は一番大人しそうに見える彼なのかもしれない。


「針葉樹……誠実なあまり、博愛に溺れてはならないよ。いくら君が強くなっても、この世の生きとし生けるもの全てを救うことはできない。本当に大切なものを守りたければ、愛するものに世界一幸せになって欲しければ、敵を排除するんだ。針葉樹、君は神官のような聖職者じゃなく、僕と同じ森の生き物だ。神の使いとしてじゃなく、自分の力で生きている。だから、一匹の芋虫を助ければ一羽の小鳥が飢えるのだと、小鳥が虫を食べるのが当たり前のことなのだと、君はそう言えるはずだ」


 優しいことにしか魔法を使えない花の妖精のくせに、狩人の勇者がハッとするほど強い目をして魔法使いが言う。

「……敵を焼く神域の炎が僕らを焼かないのは、神の炎がそういう性質を持っているからじゃないかと、君は賢者に尋ねていたね」


 頷く。なんとなく、声を出すのはためらわれた。

「それは違うよ、針葉樹。賢者は炎を変幻自在な変化の力に例えたけれど、戦うことと守ることはね、やはり表裏一体な一面もあるんだ」


 先を促すために、もうひとつ頷く。

「全てを魔力の性質に任せようとしていないかい、針葉樹。何を守り、何を排除するか、君が決めなければならないよ。放った魔力が走るままでなく、淀みだけを燃やして愛する仲間の体は守るのだと、強く心に決めて魔法を使うんだ。自分で決めないと、力は応えてくれない……針葉樹シダール、君は僕のことが大事?」

「勿論だ」

「それなら、決めるんだ。炎の力で淀みだけを燃やし、僕の体は傷つけない。自然の炎にはできないけれど、不器用で無駄の多い僕の魔力でもできないけれど、空色になった君の炎ならきっとそれができる。ひとつの炎で、戦うことと守ることを、同時にやってごらん。必ずできるから、勇者シダル、自分を信じて」


 そう言った魔法使いの背中から、何の心構えをする暇もなく、何かパチンと弾けるような魔力の気配がした。その瞬間に美しい氷色の瞳が苦しげに眇められ、そしてすうっと、その色を暗くした。


「おい、お前……まさか浄化の術を解いたのか!?」

 慌てふためいた勇者がゆらりと枝から落ちそうになった魔法使いの両肩を掴むと、彼は膝を抱えて丸くなり、耳を倒すと悲しそうにしくしく泣いた。何を話しかけても全然喋らない。だが症状は、どう見ても淀瘴だ。


 抱えて神官のところまで走ろうかと思ったが、しかし彼は勇者一人に浄化させるために敢えてここで術を解いたのだと考えて踏みとどまる。だが、火傷させるかもと思うと踏み切れない。


 どうしよう──


 必ずできるからと言われても、勇者はまだそこまで自分を信じ切れなかった。漠然と「全部守る」なんて言うことはできても、いざ守りたい仲間を前にすると、傷つけるのが恐ろしくて動けない。今まで感じていたのは全部、虚構の自信だった。シダルはまだまだひとりでは何もできない弱虫で、今も魔法使いが傷ついているのに、身動きが取れない。


 どうしよう──


 迷っている自分が嫌でたまらなかったが、どうしても決められなかった。とりあえず宿まで連れ帰って神官の指示を仰ごうかと考え、そんなことではダメだと浮かせた腰を落ち着け直す。どうする、シダル? 早く決めないと。どうする、どうする──


「シダル」


 ハッと声に振り返ると、隣の枝にハイロがいた。


「シダル、魔法というのは魔術と違い、強く願えばその通りになる理不尽で奇跡的な力です。守れるかどうかではなく、守るのです。そういうの、お得意でしょう」


「……ハイロ」

 愛する人の言葉と、自分を信じている瞳の色を見て、決心がついた。泣いている魔法使いの両手を包むように握り、彼の精神を蝕む淀みを、人間の憎しみを、目を閉じてじっと探る。愛する仲間に向けられる負の感情を焼き尽くし、仲間は決して傷つけない。


 気配を探り始めてしまえば意外なことに、それは実に簡単であるような気がした。むしろなぜ今まではそれができなかったのか、わからないくらい……そうだ、これは勇者の体内で起きていることと同じなのだ。勇者の体が特別燃えない素材でないならば、彼が火傷を負わないのは、自分で自分の身を守っているからだ。自分のことは無意識にだって守れるのに、命より大事な仲間のことを守れないはずがない。


「ごめんな、かなりぞわぞわすると思うけど」

 そう言ってから、魔力を流し込んだ。燃え盛る浄化の炎は以前までと違って、深く青みがかった金色をしている。


 シダルがラサと違って聖剣で突き刺さなくても生き物を浄化できるのは、そこに炎の力が混ざっているからだ。内側に吸い寄せるばかりの渦の性質と異なり、炎は周囲に燃え広がることができる。そうやって魔力の炎を体の中まで延焼させて、彼は魔獣の体を消し去り、ソロの脚を燃やした。


 そして彼は新しく、強い強い炎の力を手に入れた。より変化の力が強く、渦の浄化の力を広げる性質はそのままに、燃やし崩すはずの火の魔力を守りの力に変えられる。昨日はできなかったが、勇者が意識すれば、そう心に決めれば、炎は応えてくれた。


 吟遊詩人から「魔力が青くなった」と聞いて、神官は一瞬、勇者が火持ちから水持ちに変わったのだと思ったらしい。神官の魔力を貰って浄化した魔法使いが、少しも傷つかなかったから。魔王をそうして浄化するために、神が愛し子を譲ったと。しかし勇者は、それではダメだと思った。彼が火持ちでなかったら、きっと彼は仲間のことを守りきれない。あんまり戦わない彼の変な仲間達と一緒に旅するには、やはりシダルが一番勇猛果敢でないといけないと思うのだ。


 そんな彼の我儘を、火の女神は聞き届けてくれた。不可能を可能にする力を授けてくれた。シダルは今そう確信していた。だって現に今──


 ぱちりと魔法使いが目を開けて、ふにゃっと笑うと優しい声で「針葉樹……少しも熱くないよ」と囁いた。どっと安堵して無謀な友を抱きしめると、ハイロが「体内に渦の魔力が残っているうちに、急いで宿へお戻りなさい。このままでは同じことの繰り返しです」と凛々しい声で言う。


「わかった。ハイロ……お前も来い。賢者の焼いたタルトがまだちょっと残ってる。あれはお前も食っとくべきだ」

「レフルスの……タルト?」


 ハイロがきょとんと首を傾げたのが可愛かったが、今はそれよりも魔法使いだ。横抱きに抱え上げながら「部屋の場所は覚えてるだろ? 後で必ず来いよ!」と告げ、宿まで全力疾走しようと力を溜める。


 新しく得た力を使って走ると、自分でもぎょっとするくらいの速度が出た。しかしあまりにも「急がねば」と考えすぎたらしく、宿に着いた頃には脚が真っ赤に腫れ上がっていて、筋繊維がズタズタだと神官にひどく怒られた。


 無茶をした魔法使いの方は、目を灰色にした賢者がいつになく乱暴に腕を引いて別室へ連行していった。絶対怒られるに決まっているのに、魔法使いは手を繋がれたと嬉しそうにしていた。





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