五 妖精の国(神官視点)



 虹色の光に包まれたと思った次の瞬間には、もう深い森の只中にいた。


 神官ははじめにマントの中に潜り込んで抱きついている吟遊詩人の無事を確かめ、すぐ近くをぶんぶん音を立てて飛んでいる妖精に注意を払いながら、周囲を慎重に見回した。


 巨木の森と称して差し支えない大きな大きな木ばかりの森に、色とりどりの服を着たフェアリが飛び回っていた。彼らは木の洞からひょこっと顔を出し、蜂のそれによく似た翅を広げると軽やかに飛び立って、熟れた果物を採ったり小鳥を追いかけたり、木の枝にぶら下がって遊んだりと皆楽しげにしている。木々の間には子供のような可愛らしい笑い声と、蜂の群れが飛んでいるような賑やかな羽音が響いていた。


「君達の巣はね、もう用意してあるよ! 少し低めの穴にしといたし、ちゃんと梯子もかけてあるから安心してね」


 明るい声で妖精が笑いかけてきたので、微笑み返して「お気遣いありがとうございます」と言う。すると彼が「君、優しい声をしてるね。少し歌ってみてよ」と言うので、大地の女神の被造物であるフェアリに合わせて地の女神の讃歌を一曲歌ってみた。すると彼は途端に笑顔になって、両腕を広げて空中でくるくる回る踊りを踊り出した。森は暖かく豊かで、妖精達は皆にこにこしている。ひとまず、命の危険は無さそうに見えた。


「ねえ、妖精さん。僕達、すぐに帰らなくちゃ」

 その時、吟遊詩人が神官のマントの中から顔を出して弱々しい声で言った。ともすれば危険な物言いに少し身構えたが、しかしフェアリは去ろうとする少年に機嫌を損ねることもなく、楽しそうに言った。


「なんで? せっかく来たのに」

「向こうにもう一人いたシダルも、僕の『お気に入り』なんだ。大事にしてるのに、ひとりぼっちにしちゃった」

 妖精の言葉選びを上手く真似しながら吟遊詩人が悲しげに言うと、妖精の方も絆されたのか気の毒そうな困り顔になった。


「そうなんだ……でも、すぐには戻れないね。一度足を踏み入れてしまったから、今出るとくしゃくしゃの生えかけになるよ? だからね、もう少しだけ遊んで行くといい! 大丈夫、お気に入りの子はちゃんと後で迎えに行ってあげればいいんだから」

「生えかけって何? もう少しってどのくらい?」

「ほら、まずは巣に案内するよ! あんな寒いところで震えててかわいそうだったもの。暖かいところで甘いものを食べて、ゆっくり休まなくちゃ! 早く早く! せっかく僕がお花を詰めた可愛いクッションを集めたんだから!」


 手招きしながら飛んで行く妖精の後をついて、吟遊詩人の手を引きながら歩いた。彼は「今はそんな場合じゃ」と泣きそうな顔で呟いているが、妖精の目的もわからない今は、優れた魔法の使い手である彼らにあまり逆らわない方が良い。


 蔓草で作られた華奢な梯子をおそるおそる登った先の「巣」は、大変居心地良さそうに整えられた木の洞だった。丁寧に藁が敷かれた床には色とりどりのクッションが並べられ、部屋のあちこちに淡い緑の光を放つ綺麗な石が飾られている。先が尖った形の結晶なので、どうやら魔石ではなさそうだ。


「あっ! 今エルフの巣に似てるなって思ったでしょ? 全然違うよ! 彼らは花で僕らは宝石、彼らは鳥で僕らは虫。つまり僕らは巣の中に猫を山ほど入れたりなんかしないし、ただたくさんけばけばを敷き詰めるんじゃなくて、ちゃんと布を織ってクッションを作るんだから! 一緒にしてもらっちゃ困るよ!」

「いえ、私達はエルフの住まいを見たことがありませんから……とても可愛らしくて素敵なお家ですね」


 感じた通りに褒めると、フェアリはにこにこしていた顔を更に嬉しそうに輝かせてくるりと宙返りした。


「でしょう? どうやら緑の子が来るらしいって聞いたから、緑の石を集めたんだ」

「緑の子?」

「目の色だよ。だから僕の巣のはピンク」


 薄紅色の瞳をキラキラさせてフェアリが笑い、そして吟遊詩人に向かって「ねえ、君の名前は? 僕はね、ルプフィル!」と言った。


「……ルシナル」

 吟遊詩人がぼそっと言うと、ルプフィルは「ルシナルかあ……じゃあ妖精名は、ル、ルシュ……ルシュピルかな!」と言う。


「フィアレの名前が必要なら、フィルルって呼んで。この人はミルル」

「あ、やっぱり持ってるじゃない! もう、最初っからそっちを教えてよ! まあいいや! フィルルとミルルだね、覚えたよ! じゃあこの巣で少し休んでおいで。後でまた様子を見に来るからね、フィルル!」


 目が回りそうな忙しなさでルプフィルはそう言うと、あっという間に背を向けて巣穴から飛び立った。ホッと息をつくと、まだ警戒している様子の吟遊詩人をクッションの上に座らせ、金色の巻毛を丁寧に撫でてやる。


「……マリオンの愛称も、ミルルなんだ。あの子、なんで妖精語じゃなくてヴェルトルート語で喋ってるんだろう」

 怒った顔のまま大人しく撫でられている吟遊詩人が、唸るように話す。


「どこまでが事実でどこからが伝説かわかりませんが、フェアリは一言聞いただけで地上のどんな言葉でも話すことができると言われていますからね。こちらの言葉が話せてもさほど不思議ではありません」

「僕を妖精と間違えたみたいだけど、背丈も違えば翅も無いのに、どうしてそんな勘違いをしたんだろう」


「勘違いじゃないよ!」

 笑みを含んだ高い声にぎょっとなって振り向くと、ルプフィルが穴の縁から楽しそうに顔を覗かせていた。


「やあフィルル、様子を見に来たよ! 調子はどう?」

「どうって、見に来るの早くない? ついさっき飛んでったばかりじゃない」

「そうかな? でもこの巣穴に君がいると思うとわくわくしちゃって、待ちきれないよ?」

「あ、そう……でも、僕は妖精じゃないよ」

 吟遊詩人が素っ気なく言うと、ルプフィルは不思議そうに首を傾げた。


「でも、妖精混じりでしょう? 妖精の血を持つものは妖精の国に来ると妖精になるから、今は違ってもすぐに妖精になるよ! あと五日もすれば翅も生え揃うし……あっ、いま何回『妖精』って言ったでしょう!」

「はあ? ええと……五回? いや君、何言ってるの?」

 わけがわからない顔で吟遊詩人が目を丸くした。すると妖精は楽しそうに笑ってくるくると踊るように空中で回る。


「正解はね、数えてなかったからわかんないや! えっとね、翅がきちんと乾くまでは気持ちがトゲトゲしてしまうから、今は僕がお世話係なんだ。他の子はみんな君と遊びたいのを我慢してる。何せ背中を突き破って生えてくるからね、相当痛いらしい。でも大丈夫! ほんの数日のことだし、クッションは薔薇のも菫のもタンポポのもあるし、食べ物は僕が運んであげるからね!」


 ルプフィルは嬉しそうに笑うと、突然「あっ、ハチドリがいる! ちょっと見てくるね!」と言ってどこかへ飛び去った。それを見送って、静かに顔を見合わせる。


「フィルルは、妖精になるのですか?」

 神官がそう言うと、吟遊詩人は「え、やだよ。流石にあの妖精さんの勘違いでしょ」と少し青くなって言った。


「……ともかく、フェアリ達が友好的なようで良かったです。彼の話を聞く限り少なくともあと五日は帰していただけなさそうですから、今は彼らの感情をあまり揺すらないよう穏やかに過ごしましょう。可愛らしいですが、フェアリは命の女神がエルフに似せてお造りになったと言われています。命に関わるような魔法が自在に使えてもおかしくありませんから」

 そう言って神官は吟遊詩人の頭を仕上げにもうひと撫でし、再び楽しそうに笑いながら戻ってきたルプフィルに手を振った。


「ミルル! それはなんの合図? 人間のやつ?」

「ええ。離れたところにいるお友達と一緒に笑い合いたいときの合図ですよ」

「それいいね! 僕も使おう」

「ルプフィルは、蜂鳥と出会えたのですか?」

「うん! 特別青いやつだったよ! 翅が生えたらフィルルにも見せてあげる!」

「おやおや、あなたは優しい子ですね」

「そうだよ!」


 それからしばらく、神官はすっかり不機嫌になってクッションの山から動かない吟遊詩人の代わりに、元気な妖精と子供相手のような会話を続けた。


 やはり、似ている──


 流石に吟遊詩人はここまで無邪気な幼子のようではないが、しかし麦穂色の金髪、宝石のように輝く色鮮やかな瞳、小柄な身体に幼い顔立ち、そして類稀な語学の才──背中の翅にさえ目を瞑れば、どう見てもルシナルの弟にしか見えなかった。


 翅が生えるというのは、おそらく事実だ──


 幼気な容姿をしているが、伝承通りならば妖精というのは総じて賢い生き物だ。人里で育ったルーウェンがぼんやりなのは置いておくとして、野生のフェアリが自らの種族に深く関わることで、そこまで大きな勘違いはしない筈だった。


 しかし様子を見ている限り、吟遊詩人はきっとすぐにはその事実を受け入れられないだろう。しかしフェアリの予告した「生え揃う」時までに、猶予は数日しかない。それまでにどうやって彼の心を前に向かせるか、神官はルプフィルと他愛もない会話をしながらもずっとそればかり考えていた。


 余命を告げられた患者とはまた違うが、心情としては近しいものがある。人としての生が終わってしまうという恐怖は、医師が何を言ったところで簡単に拭えるものではない。勇者なら、勇者ならどうするだろうか。ああ、ここにシダルがいたならば──


 夕暮れ時になると、ルプフィルも含めた妖精達は一斉に巣穴へ戻って行った。


 神官達は穴の中に用意されていた果物やパン、干し肉を食べて、幾つも並んでいるへんてこな形のポットのひとつで温かいお茶を淹れた。そして甘い香りのお茶を飲みながら花が詰められているというクッションの香りを一つひとつ比べてみたり、飾られている宝石を藁の上に並べてみたりして過ごす。綺麗で可愛らしいものを触っていると吟遊詩人も気が紛れたようで、食事の前よりも表情が柔らかくなって、そして──


 そして彼は何かを覚悟するように唾を飲むと、そっと神官の手を握った。


「どうしました?」

 尋ねると、妖精のような少年が糸のように細い声で言った。


「ねえ……さっきから、背中の上の方がずきずき痛いんだ。どうなってるか、見てくれない?」


 泣き出しそうな声に、神官は内心で「せめてあと一日欲しかった」と思いつつ、出来る限りいつも通り穏やかに微笑んだ。


「おやまあ、そういうことはもっと早くおっしゃい。何にしろ、まずは痛みをやわらげましょうね」





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