第四章 砂漠

一 黒い街へ



 そして勇者達が馬達のいない旅にようやく少し慣れてきた、数日前からだろうか。森の地面が少し白っぽいというか砂っぽいというか、あまり見たことのない感じになってきていた。生えている木も──まあ特に変わった形をしていたりはしないが、土が変われば植物も変わるのか、いつの間にか見慣れたのとは違う種類のものばかりになっている。草の類も全体的に黒っぽく乾いていて、瑞々しくて柔らかい花や苔は見当たらない。これがどんどん酷くなってゆくのなら、確かにレタ達にとっては過酷な環境かもしれなかった。


「うーん、黒いなあ……流石に魔狼の群れを倒した直後よりはマシだけど、魔熊一頭分くらいの濃さはあるね」


 食後の干し葡萄を食べながら、森の向こうを透かし見て吟遊詩人が言った。どうやら遠くに見えてきた街はかなり淀みが濃いらしく、魔法使いを入れるには少し心配なのだという。


「ラタ・マレ、根源語で言うところの『砂の海』はおよそ三千六百年前の大規模な魔導戦争によって砂漠化した土地だ。その後も十数年ごとに紛争が起き、八年前にも隣国ガラバとの小競り合いで魔導砲が使用されたという。マタンは人間の住む土地ではほぼ最北に近い。北へ行くほど戦争や紛争は多いものだが……勇者が存在する時代ともなれば、争いの只中でないだけ運が良い」


「つまり争いの絶えない地だから、憎しみとか恨みとかそういうものが渦巻いてるってわけか」

 勇者が苦い顔で言うと、賢者は静かに頷いた。

「左様。そしてその土地を汚した憎しみによって再び争いが起こる悪循環が発生している」

「魔導砲って何だ?」

「ファントースム号に付いていたろう。炎の球や光線を打ち出し、街や森を焼き払う兵器だ」

 財布の中身を見慣れない穴の開いた硬貨に入れ替えながら、賢者が平坦な声で言う。書架の国を出る時に両替がなんとかと言って宿の支配人とやり取りしていたが、どうやら砂漠の国で使える金を手に入れていたらしい。


 しかし恋の話と同じくらい武器や争いの話が嫌いな賢者が丁寧に話してくれるのは、これから街を訪れるに当たってその知識が必要だと考えているからだろう。何か今までとは違う土地の気配に、勇者は穴開き硬貨を触ってみたいと思うのをやめて賢者の話へ耳を傾けた。


「──故に、マタンの民は魔導に対して強い忌避感を持っている。時計も含め、魔導具は服の内側か荷物に隠しなさい。魔術師と間違われぬよう、魔法使いと神官はローブも脱ぐように。通貨単位は『アト』、一応貨幣は分配するが、個人の財布は基本的に使わないものと考えておきなさい。買い物を含めた街での行動は全て私が付き添う。通訳するので、そなたらはヴェルトルート語で話すように。命の危険がない限り、魔術も古語も使うな」

「顕現陣や魔法はどうですか」

 神官が口を挟むと、賢者は少し考えて首を振った。

「魔法や顕現祈けんげんきは攻撃性が高くなければ許容される可能性があるが、陣を使うのはやめておきなさい。彼らはスティラ・アネス教徒ではない。見慣れぬ顕現陣を目にして、魔法陣と近しいものだと判断されるやもしれぬ」


「ハイロは大丈夫かな……」

 心配になって呟くと、賢者は意外なことにはっきりと頷いた。

「彼女がサタ・マタ、つまりマタン語を話せることは先日確認した。文化を理解していたところで治安が良いとは言えぬが、異端審問官であれば実力的にひとりでも問題なかろう。しかし何かあれば私かシダルへ伝令を飛ばすよう言ってある」

「そっか……伝令鳥も魔術だけど、それはいいのか?」

「ルーウェンは陣なしで鳥を出すだろう。ハイロも基本は心で祈って力を扱う、いわゆる『魔法使い型』だと話していた」

 賢者が問題ないと頷き、魔法使いが少し緊張した空気を変えようとしたのか、ふわっと虚空から銀色のやたら大きいミミズクを呼び出した。膝に乗せて腹の前で抱きかかえ、頭を優しく撫でながら勇者に向かって「……シュシュだよ」と言ってくる。


「もしかして、そいつの名前か?」

「うん」

「伝令鳥に名前付ける人って勇者以外にもいたんだ……」

 吟遊詩人が呆れ顔になったが、魔法使いはそれを気にする様子もなくゆったりと頷いた。

「賢者のは、ウール」

「えっ……賢者?」

「……こやつが勝手に呼んでいる名だ」

「あ、そうだよね。良かった……」


 吟遊詩人が胸を撫で下ろして見せると、魔法使いが少し拗ねた顔をして「僕が付けたけれど、この間……賢者もお膝で撫でながら呼んでいたよ」と呟いた。えっと思って視線を向けると、知らんぷりをして荷物の中に魔道具の類を押し込んでいる賢者が勇者と一瞬目を合わせ、耳を真っ赤にして視線をうろつかせた。それを見て「賢者……?」と吟遊詩人が目を丸くする。


「知らぬ」

「……そっか。ええと、じゃあ僕も名前付けようかな」


 少し気まずくなったらしい吟遊詩人が「イフラ=アーヴァ」と唱えて手のひらの上に小さな魔法陣を立ち上げ、鳩ほどの小さなミミズクを呼び出した。彼が魔術を使うところを初めて見た勇者が驚いて口を開けると、少年はふふっと自慢げに笑って緑色の鳥を勇者の膝に乗せる。


「僕もね、伝令術だけは魔術が使えるんだよ。鷲族だと『耳』の子がいるからあんまり必要ないんだけど、一応ね。後はちょっとだけ内炎魔法と、この目のやつは……何だっけな、一度思い出したんだけど。体質に関わる……」

「……遺伝形質魔法」賢者がぼそっと呟く。まだ耳が赤い。

「そう、それ! 遺伝形質魔法『アオグ』だね。使えるのはそのくらいかな」

「歌に込めるやつもあるだろ」

「あ、そうだった」


 それから吟遊詩人の出した緑のミミズクに勇者が「ワーラクルルワーラ」という名前を付けて瞬時に却下された頃になると、賢者も少し落ち着いてきたのかじっと腕を組んで、魔法使いを街に連れてゆく方法について考えを巡らせ始めた。

「移動しつつ、継続して淀みを排除する浄化術……基点を体のどこかに定めれば」

「じゃあ、ラクルにする」

「愛称か。いいんじゃないか?」

「愛称じゃなくて、本名がラクル! ワーラクルルワーラは絶対に嫌!」

「なんでだよ……かわいいだろ、エルフ語みたいで」

「全然違うし、全然可愛くないよ!」

「少し静かにしなさい」

 騒いでいると、空中にあれこれ描いて考え込んでいた賢者が煩そうな顔をして言った。お前が恥ずかしそうにしてるから話題を変えてやったのにとふたりで不貞腐れると、神官がふふっと笑って顔を背ける。


「どう思う」

 賢者が描いた顕現陣を示すと、向かいに座っていた神官が笑いを引っ込めながら立ち上がって賢者の後ろに移動し、紋様を覗き込んで首を傾げた。

「理論上は可能に見えますね……ですが、少しいじってもいいですか?」

「無論だ」

 賢者が頷くと、神官が指を出して影色の陣にいくつか水色の線を描き足す。

「このへんは理屈じゃないんですけどね……このお花のあたりにこう、二つくらい蕾を足してあげると……ほら、お花の妖精さんには少し相性が良くなると思います」


「……何ゆえ?」

 眉を上げた賢者が、心底不思議そうに言った。

「ううんとね、オーヴァス様がそう仰っている感じがするといいますか……葉時代にはよく言われたのですが、私の顕現陣の描き方ってちょっと変みたいなんです。でも、なぜかどれもきちんと発現するんですよね」

「後日で良い、その『ちょっと変』な顕現陣を全て描き取らせなさい」

「いいですよ。紙に纏めておきましょうか」


 気になる現象を新たに発見した賢者は大変生き生きした表情で頷くと──傍目には無表情かもしれないが──神官の描いた花の蕾をじっくりと観察し、練習なのか隣に全く同じ顕現陣をもう一つ描いた。

「よし……魔法使い、背中を出しなさい」

「はずかしいよ」

 命令された魔法使いがふいっとそっぽを向いて我儘を言った。しかし前回は彼の希望を受け入れて腕に魔法陣を描いてやった賢者も、今度は妥協できないようだった。


「面積が必要だ。我慢しなさい、すぐ終わらせる」

「どうしても、はずかしいよ……」

 打って変わって不安げな顔になった妖精が、細かく震えながらローブの前を搔き合わせる。自身も着替えを見られるのを嫌がる賢者は気持ちがわかるのか気の毒そうな顔をしたが、しかしきっぱりと首を振った。

「そなたを守るためだ」

 パッと頬を赤くした魔法使いが、耳を下げて俯くと小さな声で「……うん」と呟いた。シュシュをぎゅっと抱きしめて、ほうとときめきを逃がすようにため息をつく。どうやら決着がついたようだ。


 それからもう数分くらい恥ずかしがった後には、哀れなくらいに耳を震わせながら魔法使いがもぞもぞローブとチュニックを脱いでやたら白い背中を晒すのを──賢者が特に困る様子もなく、いつも通りの顔で見下ろしていた。もしもハイロがこんな風に甘えながら泣いているような顔で恥じらっていたら、勇者はもうくらくらしてどうしようもなくなってしまう気がするが、賢者は何というかそういう……気恥ずかしいような感じにはならないのだろうか?


 いや、でも賢者だからな……。


 そういえば、こいつは情緒が死んでいるのだったと苦笑いした。彼の中で恋愛感情というものがどんな風に消化されているのかわからないが、やはりなんとなく、肉欲とかそういうものとは一切無縁なように見える。恋を知れば少しは男らしい色気が出てくるかと思えた雰囲気も、相変わらず静かで無機質なままだ。隠すのが上手いのもあるかもしれないが、しかしそういう気質だからこそ人ならざるものと偏愛めいた不健全な関係になるのではなく、歌声を聴いて恋に落ち、ふいに抱きしめたくなって戸惑うような清らかな愛を育めるのかもしれない。


 さて、すぐ終わらせると賢者が言ったのは本当だったらしく、彼が手を当てた瞬間にはもう妖精の背に影色の緻密な顕現陣が描かれていた。絵柄としてはロサラスやハイロの背に刻まれていた祝福紋と似たようなものだと思うが、何が違うのか、とても恐ろしいものに思えたそれと違って優しい感じの蔓草模様に見える。最初は影色だった陣が銀色になり、ぼうっと淡い水色に変わって、浄化されるのを感じたのか魔法使いが耳を立てて不思議そうに目をぱちぱちする。


「実験的な術だ、気分が悪くなるようなことがあればすぐに言いなさい」

「うん……今はとても、すっとして心地良いよ」

「そうか」


 魔法使いが服を着直しながら少し微笑んで、賢者が淡々と頷く。妖精の問題がひとまず解決して簡単に身なりを整えると、一行は段々と木々がまばらになってきた森を抜けた。砂埃の混ざった暖かい風が吹いて目を細め、顔を上げた先に淀みで黒ずんだ砂の街が見えた。





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