四 贈り物と凍った湖(ハイロ視点)



「なあ賢者、金槌持ってないか?」

「無い」

「そうか……」


 勇者が聖剣の鞘とオリハルコンの結晶を手にして困った顔をしていた。そのまま疲れたように後ろに座っている一角獣のレタに寄りかかろうとして、肩にガブリと咬みつかれている。それを見て少し笑いそうになってから、ハイロはハッとして己の気の緩みを引き締めた。


「いてっ! お前さあ、確かに俺が悪かったけど、そんな強く咬まなくてもいいだろ……」

「……隣に来る? ふわふわだよ」

「いいのか?」


 勇者が嬉しそうにルシュの方へ行こうとしたのが気に入らなかったのか、レタが再び首を伸ばして勇者の腕に咬みつき、そして「何だよお前……焼き餅か? 可愛いな」と頭を撫でられている。勇者も吟遊詩人も、甘えてくるルラの鬣を何時間も撫でてしまうハイロを見て甘やかしすぎだと笑っていたが、彼らだって全く躾などしていないではないか。


「オリハルコンは金槌では割れぬぞ」

「え? 剣はこんなに折れやすいのに?」

「鍛造の過程でそうなるようです。折れにくさを捨てて鋭さを増しているのだと言われていますが、なぜ歴代の聖剣鍛冶がそこまで斬れ味に傾かせて打つのかは……」


 ハイロが口を挟むと、勇者は何かに思い当たったような顔をして、そして優しい顔で苦笑した。

「ああ、それは……いや、今のお前にはまだ言わない方がいいかな。もうちょっと心が健康になったら教えてやるよ」


 何を隠しているのだろうか。勇者一人ならば口を割らせるのは簡単だったが、彼の隣に賢者がいる今はそれも危険だ。今は諦めるしかないかと考えていると、勇者がハイロから視線を外して手元の結晶に目を落とした。


「でもこの大きさじゃ入らねえもんな……剣の上に乗せて一晩寝かせるとか色々やってみたけどさ、全然くっつかないし……あ、縫い目を解いて無理やり入れるとか」


 少年のように唇を尖らせた彼がふてくされたように言って、そしてすぐにパッと顔を輝かせた。元々考えが顔に出てしまう人ではあったが、妖精の国に来ておよそひと月、この油断の塊のような男は近くにハイロがいることにもすっかり慣れたらしく、まるで家族か何かのように寛いだ表情を見せるようになっていた。招かれざる客は訪れぬ場所だからと異端審問官の彼女に見張りも付けず眠るし、夜中に目を覚ました時にハイロが蔦の隙間から神殿へ伝令鳥を出していても、寝ぼけ眼でにっこりして「あんまり夜更かしするなよ」と何事もなかったようにまた眠るのだ。


「火の山へ向かってみてはいかがですか」

 ぽろりと口が滑ってから、自分が何を言ってしまったか気づいた。ああ、しまった。聖剣を破損した勇者に助言をしてどうする。エルフト神よ、私に罰をお与えください──


「火の山?」

 彼女の失言に勇者が不思議そうにすると、賢者が諦めたように小さくため息をつくのが見えた。どうやらハイロと別れてから同様の助言をするつもりだったらしく、少しだけ気持ちが軽くなる。


「水銅晶、即ちオリハルコンは聖剣が失われた時にのみ偶発的に採掘され、そして鍛冶妖精ドワーフの中からそれを打つことができる鍛冶師が現れる。彼らの国であるゴドナ火山に向かうのが妥当だろう。そもそも鞘に入れるのが正しい修復方法ならば、鞘に入る大きさのものが与えられるのではないかね?」

「ああ、確かに……硬さが違うんなら、そのままひっつけると部分的に軟らかくなるか」

「その可能性は大きいな」


 そうして彼らと鍛冶やドワーフについての話を続けている間に、夕食の時間になった。今日は「気の祝祭」と呼ばれる日、冬と夜の神エルフトの加護に感謝する祝いの日だ。ロサラスがそのことを忘れているはずがなかったが、しかしそのわりには肉が少なく野菜ばかりの質素な献立である。祝い事は思いきり楽しむ性質に見えるのに意外だなと思っていたが、しかしその後すぐにそれはハイロの思い違いであったことが判明した。


 どうやら今日の夕食は、冬生まれの賢者と早春生まれの魔法使いの誕生祝いも兼ねているらしい。つまり、肉が食べられないエルフの口に合う食事を用意していたようだ。いつの間にかフェアリの言語を習得し始めている吟遊詩人が何か言ったらしく、食事を終えるとノームのうちの何人かが小刻みに震えながら恐々と賢者に芋を差し出し、礼の言葉と共に丸く磨いた魔石を渡されて目をまん丸くしている。


「おめでとう。シラ、マーリアル」

 勇者がニヤッと笑って贈り物の包みを差し出した。出てきたのは艶やかに磨き上げられた揃いの木の腕輪で、丸く磨かれた純白の石が嵌め込まれている。

「こないだルシュの角が抜けたろ? それを磨いて嵌めたんだ」

「美しいな……感謝する」


 何かを贈られることに慣れない様子で賢者が言って、そして少しだけ視線を緩ませると細い腕輪を手首に通した。魔法使いの方はどうやら感極まってしまったらしく、自分の腕輪と賢者の腕輪を交互に見つめ「お、お揃い……」と呟いたきり声が出なくなったようだ。ずりずりと勇者のところまでにじり寄り、無言のまま肩に頭をこすりつけた。


 そして震える兎のようになってしまった妖精へ、どうやら彼の想い人らしい学者が、懐から取り出した小さな包みを眉を寄せながらぽいと渡した。震える手で取り落としそうになりながら広げられた包み紙の中身は、煙水晶のブローチ、かと思いきや、よく見ると魔石に賢者の魔力が充填してあるもののようだ。


「気の魔力の色が好きだと言っていただろう」

 ぼそりと呟いた賢者の言葉を聞いた恋するエルフは、無言で贈り物を抱きしめると賢者にすり寄って肩に頬を押しつけ、そして足元の藁の下から雪のように真っ白な糸の束を取り出した。


「何か編もうとしたけれど……上手にできなかったよ」

 掠れた声で妖精が囁くと、賢者は「どこから出しているのだ」と呟きながらそれを受け取ってふっと微笑んだ。

「充分だ。髪紐か何か、私が編もう」


 異端の彼らが、どうしてこんなに綺麗な目をしているのだろう──


 皆へ平等に分け与えることこそが善き人の在り方であると教えられてきたのに、特別に選んだ贈り物を手渡し受け取る彼らの表情がなんだかとても美しいものに見えて、ハイロは理由もわからないまま涙が出そうになった。醜い我欲と教えられてきたものがこんなに優しく、そして羨ましく思えるなど……本当に、自分は異端に染まってしまったのだろうか。


「では次は私から」

「あ、ちょっと待ってくれ……なあハイロ、お前の誕生日っていつだ? なんとなく冬生まれっぽく見えるんだが」

 立ち上がりかけた神官を引き止めて勇者がそう言うので、ハイロは少し迷った末に正直に答えた。

「私ですか? 来月の半ばですが……」

「ほらやっぱりな! 賢者と魔法使いの真ん中くらいだ。ならさ……ええと、その、これ……あの、包んでないけど」


 顔を赤くした勇者がごそごそと荷物を漁り、何か紐状のものをハイロの手に乗せた。

「……これは」

「……お前に、誕生祝い」


 艶のある淡い灰色の紐に、磨いた金色の石が吊るされている首飾りだった。

「……黄玉トパーズですね。紐も……とても美しいです。この銀細工の石留めのような編み方は初めて見ました」

「お前の瞳の色に似てるから……おじさん、ええと、竜商人のとこで仕入れといたんだ。同じ石はいくつかあったんだが、これだけ特別淡くて綺麗な色してて……紐は魔法使いにミミズクの羽から紡いでもらった。アサの民芸というか、村の伝統の組紐なんだ」

「ありがとうございます、大切にいたします」


 そう言って首飾りを首に掛けると、勇者は空色と炎色が複雑に混ざり合ったような目をして、それをじっと見つめた。そこにあるのは歓喜と……もしや、情熱なのだろうか? 燻っているのは怒りや警戒の炎ではなく、もしかして、愛の──


 そう考えるとなぜだか、わけもわからず急激に胸が苦しくなって、ハイロはさっとローブの袖で口元を覆った。みるみる顔が紅潮し、放っておくと涙ぐんでしまいそうな気がして目を細める。背中から魔力を強く吸われる感触がして、気の術が感情の揺れを抑えようと頭を廻り始めた。が、催眠と同様風持ちには効きが甘く、なかなか動揺が引いてくれない。


「おお、ハイロちゃんが赤くなった……可愛いなあ」

 吟遊詩人の楽しそうな声が聞こえた。それがますます恥ずかしくて縮こまっていると、勇者が少し体の位置をずらしてハイロを皆の視線から隠す。畳んで置かれていたマントを広げて肩に羽織らせ、水の入った椀を渡してくれる。


「ごめんな、驚かせたな」

 穏やかに微笑んでいる勇者は少し頬を赤くしていたが、既にその瞳から燃えるような色は消えていた。それに安堵すると同時にほんの少し残念な気もして、目を閉じると静かな深呼吸で雑念を払う。水を一口飲むと、祝福紋の助けもあってすっと落ち着いた。


「……では、そろそろ私からの贈り物を。もちろん、ハイロにも」

 神官が立ち上がって静かに呼吸を整え、そしてふっと自分の手のひらに息を吹きかけると、そこに美しい氷の薔薇が咲いた。そうっと渡されたそれはハイロの体温ですぐに溶け始めてしまったが、その儚さが何より美しく、崩れる様もずっとずっと見守っていたいように思える。


「じゃあ、そのお花を見ながら聴いて。僕からの贈り物は神官と一緒に歌詞を考えた、冬から春へ向かう祈りの歌だよ」

 そして吟遊詩人が静かに囁いて、膝の上のノームを優しくどかすとリュートを構えた。



  今日のこの日がとても愛おしい

  大切な友と食卓を共に

  静かに雪が降り積もるなか

  その祝福に感謝を捧げよう

  雪が溶け花が咲くまで

  ずっとずっとこの平和が続きますように

  花が実をつけてまた美しい冬が来るまで

  ずっとずっとこの愛が続きますように



 そう、思い出した。祈りとは、本来こういうものだった──


 美しい音色を聴きながら、ハイロは静かに目元を押さえた。祈りとは罪を悔い罰を願うものではなく、恵みを喜び、祝福に感謝し、共に祈る皆を幸せにするようなものだった。


 驚いたように身じろぎした勇者が、そっと頭を撫でてくれる。こんなにあたたかくて優しい温もり、今の神殿には欠片も存在しない。子供達は皆悲しそうな顔をして、愛に飢えて、ほんの少し触れられただけで喜んで涙を流す。それが何か決定的に間違っていることなのだと、ハイロはこの時初めて確信した。


 神殿ではなく、神に仕えよう。神が選んだ剣の仲間達の味方になろうと、初めてそう思った。





 そんな夜を過ごした次の日の早朝は、勇者が昨日の昼間に見つけたという湖へ連れ立って向かうことになった。この一ヶ月、こういうことがある度に当然のようにハイロも誘われ、その度に彼らと一緒に行きたくなる自分を律し、行動を別にしてきたが──しかし今朝のハイロはもう、彼らの仲間のように振る舞うことをためらわなかった。素直に頷いたハイロを見て神官が安堵したように微笑み、勇者がちらりと振り返って目を合わせると真っ赤になって正面に向き直った。


「ほら、見えてきたぞ」

 勇者が指差した瞬間、魔法使いがそちらへ向かって駆け出していった。真っ白な景色の中を髪をなびかせて軽やかに走ってゆくエルフの向こうに、凍りついた広い湖が見える。


「あ……ほんとに魔法使いの瞳の色だ」

 吟遊詩人がうっとりした声で言った。確かにそう言われてみればそうかもしれない。薄っすらと青く見える厚い氷の表面が白く曇っていないのは、ここが妖精の国だからだろうか。宝石で作ったように透き通っている凍った湖面の中央に、魔法使いが背を向けて立っている。


 エルフの纏うあえかな星と、特別冷え込んだ朝に舞う微小な氷の結晶とが混ざり合って、湖全体が魔法使いを中心にキラキラと幻想的な光を発しているように見えた。雪雲の合間から美しい光の柱が降りて、まるで舞台の主役を照らし出すように淡い金色の髪を輝かせている。


「美しいですね……」

「お前の瞳の方が、いや、なんでもない」


 わかりやすく恥じらう勇者を見てハイロはなんだかあたたかいようなくすぐったいような気持ちになりながらも、少しだけ困ってしまった。ハイロに受け取りきれないほどの温もりと希望を与えてくれる、一番幸せになってほしいこの人は、神に仕える自分を恋情でもって好いているという。どうしたら彼を傷つけずに済むだろうかと考えたが、物心ついてすぐに神殿に入った彼女はその答えを持ち合わせていなかった。


 そして彼女が「今度ガレに相談してみよう」と思った、その時のことだった。背中の祝福紋が突然火傷しそうなほどに熱を持って、ハイロは悲鳴を呑み込むと地面に崩れ落ちながら、両腕できつく己の体を抱いた。





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