三 小人の巣
流石に月の塔よりは小さいものの、雲に届きそうな巨木の──こういうものも
後ろから入ってきた馬達が皆ノームの集落に入り切ると、じっと目を丸くして様子を窺っていた芋の妖精達が巣から出て集まってきた。なぜか皆、壁際に山積みにしてある小さな芋をひとつずつ手に取ってからこちらにやってくる。
「いも……」
「……ん? ああ」
足元から小さな声が聞こえたので、しゃがみ込んで視線を近づける。茶色いぼさぼさの髪をぼさぼさの小さな三つ編みに編んだノームが、勇者におずおずと芋を差し出していた。ありがとう、と言おうとして通じないかと考え、とりあえず「いも」と言ってみる。
「……いも!」
途端に十数人のノームにワッと囲まれて、一斉に芋を差し出された。両手を椀型にして差し出すと、あっという間に山積みになる。
「すごい、その、芋をくれるな……」
「うん、一冬分くらいもらっちゃったね……」
流石にそこまではないだろうと思って弱々しい声の方を向くと、吟遊詩人が数百個の芋に埋もれていた。苦しそうにしているので腕を引っ張って掘り起こしてやる。ごろごろと転がった芋がそこらじゅうを散らかした。見れば、両腕に抱えきれないほどの芋を抱えたノーム達が、何往復もして彼の元へと芋を運んでいるようだ。どの芋もまだ乾いた土がついたままだったので、マントもローブもすっかり薄汚れてしまっている。
「なんでお前、そんなに小人に好かれるんだ?」
「わかんないよ……神官……」
「はいはい、綺麗にしましょうね」
悲しげに浄化の術をかけてもらっている吟遊詩人をひとしきり笑い、皆が芋の妖精達に群がられているなか、賢者だけが恐々と遠巻きにされているのを笑うと、勇者はふと思い立って腰の革袋から木彫りの狐を一匹取り出した。そっと藁の上に置いてやると、わっと小人達が集まって来てそれを眺め、ぽかんと口を開けながらそっとこちらを見上げてくる。重々しく頷いてやると、一斉に「いも……!」と言いながら優しい手つきで狐の頭を撫で回し始めた。
「その狐は……?」
背後から涼やかな美しい声が聞こえて振り返ると、広げたマントの上に芋を山積みにしたハイロが不思議そうに狐に群がるノーム達を見ていた。
「ああ、趣味で彫ってるんだ。お前もいるか?」
半分冗談で尋ねたが、ハイロはなんだかタルトを食べたくて我慢している時の神官のような顔をして、聞こえないくらいの小さな声で「……宜しいのですか」と囁いた。
「ああ、勿論……彫るのは好きだがあんまり増えると困るから、もらってくれると嬉しい」
小躍りしないように気をつけながら、慌てて革袋を引っかき回して一番出来の良い狐を探す。
ああ、もっと丁寧に作ってれば良かった──
勇者は渡した狐の後脚に少しだけ形の甘いところを見つけてしまって悔やんだが、どうやらハイロはさほど気にしなかったらしい。手のひらに乗せたそれをそうっと目の高さまで持ち上げると、黒く塗られた狐の瞳を見つめ、吐息だけで「……可愛い」と囁いて人差し指でそっと狐の頭を撫でた。
ずるい、可愛すぎる……こいつは俺を一体どうしたいんだ?
この、身を焼くような恋心のせいだろうか。やっていることは小人達や魔法使いと似たようなものなのに、その何百倍にも愛らしく見える。いい加減冷静にならねばと思うのに、このところ人形のような顔からきちんと生きている人間の表情を見せるようになってきたハイロから目が離せなくて、自分でもどうして良いのかわからない。
ふと、母に惚れたから村に残ることを決めたのだと話していた父の笑顔を思い出す。もし父さんが生きていたら、こんな時どうやって正気を取り戻せば良いのか教えてくれたろうか。彼の仲間はみな色恋に疎い者ばかりで、そういう意味ではちっとも頼りにならない──
勇者が物思いに耽っているうちにどうやら芋の贈り物はひと段落したらしく、ふと気づくと仲間達が壁際に荷物を寄せ始めていた。ちょっとした広間くらいの大きさがある洞の中に小人が四、五十人ほど棲んでいるようだったが、小さい生き物なのでそれほど場所は使わないらしく、馬も含めた勇者達一行が寝転んでも彼らを邪魔しないだけの広さがあった。
時刻は既に夕暮れだったが、妖精の国は少し日が沈むのが遅いのか、まだ真っ暗になる様子はなかった。辺りを散策がてら外で焚き火をしてシチューを作ろうと、穴から頭を出して外を覗く。途端にキリッと冷えた空気が顔に当たって、ひとつくしゃみが出た。
「そんなに高さはないが、馬達は転移じゃないと厳しいかな……」
勇者が言うと、彼を押しのけるようにして隣からにゅっと首を突き出したレタが鼻を鳴らした。美しい声で軽く嘶くと、ほとんど垂直に近いような木の幹の急斜面を軽やかに下ってゆく。その後を有角馬達が何のためらいもなく続き、ルシュがぴょんと飛び降りた。そして最後尾のルラが霧のような尻尾を優雅に降ると、なんと空中を駆け下りるようにしてアルザの元へと走った。
「え、黒霊馬って、飛べるのか?」
「上れませんが、下るだけならば空を踏むようにして駆けますね。魔力を消費するのであまり長距離は走れませんが」
「すごいな……」
「ええ、美しい生き物です」
ハイロがそう微笑んで、ひょいと木の上から飛び降りた。エルフのような降り方に肝が冷えたが、風持ちだからなのか、地表近くになるとふんわりと速度を落として危なげなく着地する。まるで舞い降りる妖精のようだとうっとりと見惚れかけ、いやいやしっかりしなければと表情を引きしめ直した。
「賢者もあれできるのか?」
尋ねると、首を振られた。
「高度な魔法ゆえ、私には不可能だ。魔力量もだが、体表まで到達している経路が少なすぎる」
「……そういえば、肌に経路が少ない体質って本当に似てたんだな、俺達」
勇者が少し嬉しくなりながら言うと、賢者は笑っているような困っているような微妙な顔をして頷いた。
「そなたの父はアルク家の人間らしく豊富な魔力と緻密な経路を持っていたが、我々があまりそのあたりに恵まれなかったのは祖母の隔世遺伝であろうな。極度に経路が少ない特殊体質で、神殿から研究のために医者が訪ねて来るほどだった」
「お祖母さんか……」
「五年前に亡くなったが」
「うん」
賢者の祖母と自分の祖母が同一人物なのだと考えると、改めて不思議な感じがした。とはいえあまり兄弟のように馴れ馴れしくしてもこの人嫌いは煩がってしまうので、馴れ合いはそれくらいにして木の幹を滑り降りる。
外の世界も、先程までの森と同じように白く染まった冬だった。しかしこちらの方が雪の積もり方が深くなく、雪自体もさらさらとしていて、握っても球が作れない感じだ。仲間達に投げつけて遊ぶことはできないが、寝そべってもマントが濡れなさそうな手触りは悪くない。
「ここ、どこなんだろうな……」
見上げた空の色は別にどこもおかしくない、灰色の雪雲色だ。木があって、雪が積もっていて、緩やかに風が吹いていて、どこからか静かな鳥の声がする。背後の巨木にさえ目を瞑れば、それだけの普通の森だ。しかし言葉にはできないが……何か、違和感を感じる気がした。木々の気配というか、風の匂いというか、そういう直感でしか感じ取れないような何かが確かに「違う」と感じるのだ。しかしそれは決して不快ではなく、なんだかひっそりと静かで、周囲の風景が特別綺麗に見えてくるような不思議な感覚なのである。
「おそらくはこの大樹を媒介として造られている、『妖精の国』の中だ。地理的にはエシェン上のどこでもなく、どこにでも繋がっている。現実と空想のあわいにあり、招かれた者しか立ち入れぬ……勇者よ、よく見ておきなさい。フェアリでなくノームであることに不安は感じるが……妖精の国ほどに美しい光景は、この世ではエルフの森以外で見られないと言われている」
「へえ……あ、兎」
視界の端をよぎった影を射抜く。頭を一撃、このくらい強い弓矢だと獲物を苦しませずに仕留められるので良い。
「……呪布巻いてるからなのもあるけど、弓を引くどころか矢筒から矢を取った動作すらほとんど見えなかったよ……」
吟遊詩人が狩りを覚え始めたばかりの子供のようなことを言うので、思わず笑って頭を撫でた。こいつは時々、驚くほど素直で可愛らしいことを言う。
「野生動物は俺達の都合に合わせて現れてくれるわけじゃない。見える速度で構えてたんじゃ逃げられるだろ」
「いや……ていうか今勇者が仕留めたの、ウサギじゃないよね?」
「は? 兎だろ、どう見ても。耳長いし、葉っぱ食うし」
「あのね勇者……ウサギっていうのはさ、残像しか見えないような速度で木の枝から枝に飛び移ったりしないんだよ?」
少年が優しく諭すような顔を作って馬鹿にしてくるが、勇者だって地上の森にいる肉の柔らかい野兎がそんな動きをしないことくらい知っている。例えば一口にネズミと言ってもいろんな色や大きさの奴がいるように、兎は兎でもあいつは種類が違うのだ。
「それはお前が弱い方の兎しか見たことないだけだろ。こっち来て見てみろよ、ちゃんと兎だから」
「頭に矢が刺さってて怖いからやだ。ていうかそれさ、魔獣より肉が硬いって言ってたやつじゃないの? そんなの食べらんないよ……」
冬籠りの場所を確保できて安心したからだろうか、急に吟遊詩人がわがままになって甘えてくる。愛い奴めと思いながらも兄代わりとして少し厳しく言っておかねばと、勇者は口元を引き締めた。
「こら、あんまり好き嫌い言うな。俺達は動物達の命をもらって自分の命を繋いでるんだ。そりゃとろけるような柔らかい肉じゃないが、獲った獲物を食わないなんて神様に怒られるぞ」
「ならば狩らなければ良かろう。そなたと違って我々には食せる硬さにも限度があるぞ、勇者よ」
「ええ?」
勇者が面倒な奴らめと思って顔をしかめていると、いつの間にかすぐ近くにいた魔法使いがふわっと首を傾げた。
「一応、煮込んでみようか……普通に煮るのではなくて、とても熱くすれば、すぐに柔らかくなるかもしれない」
「……ふむ、盾を使ってみるか」と賢者が言う。
何のことかと思ったが「盾を使って熱くする」という料理法は、実際に見ても何のことやら全くわからなかった。
まず鍋の中に肉と水、塩や香草を入れてぐつぐつ言わせる。そこに賢者がいつもと少し違う紋様の魔法陣の盾でぴったり蓋をして、焚き火に薪を足す。すると鍋から湯気が立たなくなって──
「爆発するんじゃないか?」
「しない程度に加熱すると、蒸気圧によって内部の沸点が上昇する。即ち、通常の煮湯よりも更に高い温度で煮込んでいることになる」
「だから何だよ」
「長時間煮込まずとも芯まで強く火が通る」
「ああ?」
何がしたいのかわからなかったが、賢者が楽しそうなので放っておくことにした。その場を離れてぶらぶらと焚き火の光が届く範囲を歩き、馬達がちゃんと冬の花を見つけて食べているのに頷き、晩飯が終わったら鍋に水を持ってきてやるからと話しかけた。
そうやって時間を潰していると、変な遊びをしていたわりにはいつもとそう変わらない時間で夕食が出来上がった。椀によそわれたシチューは魔獣の肉を使っている時と違ってごろごろと具が大きく、齧りつくと驚くほど柔らかくて、口の中ではらはらと崩れるように消えていった。
「あー、かなり噛まないと噛み切れない感じだけどさ、元が魔獣の肉より硬いんなら凄いよ、これ。臭みが少なくて味は美味しいし、僕は好きだよ」
顎の弱い吟遊詩人も気に入ったようだ。匂いに誘われて小人達がわらわらと集まってきたので、勇者が暇潰しに彫っているせいで大量にある木の匙に一杯ずつ掬って持たせてやる。すると彼らは大変に魔法使いのシチュー、特にほくほくになって表面が少しとろけた芋を気に入ったようで、幸せそうに目をキラキラさせておかわりをねだった。鍋をかき混ぜた時に芋だけがやたら多くて小さく切られていると思っていたが、どうやら魔法使いはこれを見越して今夜の食事を作っていたらしい。
「そう言えば賢者、捌くところを見に行ってたみたいだけど、あれって本当にウサギだった?」
思い出したように吟遊詩人が尋ねた。賢者は食べ終わって浄化したばかりの食器を膝の上に置いて、少し難しい顔をする。
「……いや、確かに兎に近しい姿をしていたが、額に角があった。あのような動物は私の知る限り、どの文献にも記載がない。そしてこの場に同種のものがいる事を考えると……アサに棲息するものは周辺に点在する時空の歪みを抜け、異界から現れた生物である可能性がある」
それを聞いた少年が飲んでいたお茶を噴き出して「い、異界の生物」と笑い転げ、静かに座っていたハイロが「私は今、何を食べてしまったのでしょう……美味しかったです」と小声で呟き、そして勇者が「ああ、忘れてた!」と腰の革袋を漁った。
「角で思い出した。魔法使い、これやるよ」
真珠色で少し透き通った短い角を渡してやると、魔法使いはなぜかちょっと耳を倒して怖がっている顔をしながら「……ありがとう、綺麗だね」と受け取った。すると妖精の顔をちらりと見た吟遊詩人が胸に手を当てて深呼吸を繰り返し、必死で笑いを抑えながら言う。
「勇者、妖精さんが好きなのはその辺に落ちてる綺麗な石とか木の実とかでさ……獣を殺してへし折った角はちょっと違うと思うよ」
えっと思って魔法使いの顔を見ると、彼は少し気まずそうにしながら「でも綺麗だから、宝物にするよ……」と囁いていた。物自体は気に入ったものの、どうやら力で奪い取ったと考えると少し怖いらしい。
繊細というか何というか、難しい奴だなと思った。
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