三 星の道と地下遺跡



 おそるおそる、暗闇に散りばめられた星明かりを辿って夜の森へ分け入った。最初は皆で固まっていたが、次第に魔法使いを先頭にしてのんびりと散歩をするように歩き始める。大した理由はない。ただ一歩進む度に足元から小さな銀色の幻の花を咲かせているエルフが、この星空を引き下ろしたような光景に映えて非常に美しいのだ。


「何だろうね、これ……」

 吟遊詩人の密やかな囁きに、賢者が丸い金属の板に小さな魔石が嵌められた奇妙な道具を手にして小さく言った。


「この光自体は魔力光……それも確証はないが、どうやら光の魔力であるようだ」

「少し黄色っぽい色で、祝福のない素の魔力の色に似てるけど」

「然り。これはその『本物』と考えれば良いだろう。全ての生命は生まれながらにして創造神の魔力に似せた力を与えられていると、神典にはあるな」

「なあ……これってあれに似てないか? 『天使の道』……」


 おずおずと言った勇者の言葉に賢者が意表を突かれた顔をして、腕を組むと「なるほどな」と呟いた。吟遊詩人がそんな二人を交互に見て首を傾げる。


「何それ?」

「『白の娘と天使の道』という童話に登場する創造神の奇跡だ。白髪に生まれたが故に親に捨てられた心根の美しい少女が一人森を彷徨っていると、光の御使いの示す『天使の道』に導かれる。その先で狩りに出ていた心優しい王子と出会い、見初められた少女は妃となって幸せに暮らしたという話だ」

「えっ、じゃあここを進んでいくと王子様がいるってこと……?」

「そう思うか?」


 賢者が馬鹿にした顔でそう聞き返した。暗闇に薄っすらと瞳を緑色に光らせている少年がふてくされた顔で首を横に振ると、意地悪な学者は「童話の描写は全くの架空ではなく、光の神の啓示はこのようにして与えられるのではないかという話だ」と静かに言った。


 それから少し歩いたものの、これは目的地まで遠そうだと判断して一度野営地まで戻ることになった。光が消える前にと急いで天幕を畳んで荷物を背負い、今度は馬に乗って勇者を先頭に進む。


「ねえ……花が咲いてる……」


 先程歩いた場所まで追いつき、そこから更に……どのくらいだろうか? 月が少し高く昇るくらいの時間が過ぎた頃に、吟遊詩人が少し恐れるような声でそっと言った。


「こんな雪の中にですか?」

 馬の上で寒そうに丸まっている神官が不思議そうにすると、吟遊詩人が弱々しく頷いた。

「うん、もう少し先にたくさん……ねえ、魔法使い?」

「白い花だね」


 誰にも原理のわからない謎の能力で花や果物の場所を察知できるらしい花の妖精が、ゆったりと頷いた。季節外れの花の影に少し怯えているようだった金の子犬が、のんびりしたその声に少し安心したように息をつく。


 果たして、本当に雪の中に真っ白な花が咲き乱れている場所があった。大きな岩からカーテンのように垂れ下がって伸びた葉のない蔓に、小指の爪の先ほどの小さな花がこれでもかというほどどっさり咲いているのだ。星の道はどうやらそこに続いていたようで、勇者達が馬を降りてその不思議な光景を見つめると、ふっと星空が雲に隠されるように光が消えた。周囲の明かりが魔法使いが纏っている星と足元の花だけになるが、一面の雪が幽かな月明かりを反射しているらしく、そう暗くは感じない。


 レタが嬉しそうに歩みを速めて近寄ると、早速花を千切って食べた。それに続いて花が主食の有角馬達が次々に後に続き、皆が食事を始めたのを見た鹿のルシュが少し迷うように足踏みすると、近くの木からべりっと樹皮を剥がして食べた。


「……ん?」

 その時、馬達が揺らす蔓の音が少し不自然に聞こえた勇者は、歩み寄って花のカーテンをがさっと捲った。するとそこにはぽっかりと大きな穴が開いていて、しかもこれは──


「おい、なんかここ通路があるぞ……洞窟じゃない」

「本当だ、随分古そうな雰囲気ですね。遺跡でしょうか……」


 吟遊詩人が不安そうに魔法使いへ身を寄せ、本来は常に仲間とひっついている生き物らしいエルフが嬉しそうに長い巻き毛を撫でた。皆が賢者を振り返って彼の意見を待ったが、しかし見かけによらず好奇心の塊のような男は、花の下から現れた謎の通路を覗き込むことに夢中で、仲間の視線など一切気づいていない様子だった。


 馬達を森に残して踏み込んだ内部は石の壁に囲まれた通路だったが、その壁に使われている石はまるでその辺りから拾ってきた岩を縦に薄く削いだような、平らなのに不揃いな形の板ばかりだった。通路の壁や天井自体も四角くなく、まるで自然の洞窟を再現したかのような曲線を描いている。


 ほう、と賢者が満足げなため息をついて遺跡の通路を見渡し、壁の石の継ぎ目や描かれた模様に目を走らせる。その気持ちもなんとなくわかった。何かの遺跡らしいこの通路は、不思議なことに四角く整った石がひとつもないのにちっとも原始的でなく、むしろ同じ形の石を並べるよりも丁寧で難しい仕事をしているように見える。滑らかに削られた壁にはほとんど隙間なく綺麗な花の模様が彫り込まれていて、そんな通路が迷路のように入り組みながら下へ下へと続いているのだ。


「これ、あれだろ……色の違う石を踏むと大きな石が転がってきたり、壁の穴から矢が飛んできたり、トゲの生えた穴に落ちたりするやつ」

「……は?」

 宝探しものの冒険譚でよく見るような地下遺跡に少しわくわくした勇者がそう言うと、鼻で笑う音が混じった冷酷極まりない声が返ってきた。


 うん、魔王という呼称はもうこいつのものにして、夢の中の北の果てにいたあの人には聖王の名を贈ろう──


「そんなに馬鹿にしなくてもいいだろ」

「これは失敬、そなたがあまりにも……いや、なんでもない」

「楽しそうだな、お前……」


 いつもは冷めた顔をしているくせに、未知の場所を探検する時と仲間に意地悪をしている時だけはいい笑顔をする賢者を、疲れた目でじっと見る。こいつの態度の悪さにはそろそろガツンと言っても良いような気がするのだが、しかしはじめはちっとも心を許してくれなかった彼がこんな風に寛いで笑うようになってきたのを見ると、どうにも怒る気になれないのだ。


「かくも美しい造形の遺跡に、そのような低俗な罠などあるものか。勇者よ、この光景を見て分からぬか、エルフの手によるものだ。それも終末の世に滅びた森の民、フルフターニア・エルフのものである可能性が高い……この地はかつて、エルフの森であった場所なのだ」

「いや、わかんねえよ……」


 とりあえずそう返したが、言われてみれば不思議な情緒がある場所だった。下へと降りる階段は優雅に曲がっていたし、一体どういう仕組みなのか、妖精が壁のくぼみのひとつに魔法の明かりを入れると、まるで木漏れ日のように光がキラキラ揺れたりした。


「フルフターニアって、なんか聞き覚えあるな……」


 勇者が首を捻ると、神官が少し笑って答えを教えてくれた。

「『シダル』がフルフターニア語ですよ。彼らの存在は出どころのわからない伝説でしか知られていなくて……あなたが解読したと言っていた文書は、彼らの存在を裏付けるようなものがあったのですか?」


 神官が優しい顔で尋ねたが、賢者はすっかり壁の花柄を眺めながら考え事に耽っていて話を聞いていなかった。しかし神官はそれを不満そうにすることもなく、むしろ微笑ましそうに眺めて楽しそうにしている。


「綺麗だね……」

 魔法使いが呟くのに、吟遊詩人がうっとりして頷いた。勇者よりも仲間達の方がこの遺跡を気に入ったらしく、段々と言葉少なになりながらゆっくり通路を進んだ。





 いつもと違ってあまり喋らず、繊細な遺跡の雰囲気を楽しもうと静かに歩いていたので、その角を曲がって暗闇の奥を魔法の灯りで照らした時、そいつはまだ眠っていた。しかしその巨体に驚いた勇者が大きく息を呑んで背後の壁にぶち当たった音で──どうやら居心地の良い穴ぐらですやすや眠っていたらしい巨大な蛇が目を開けると、ゆっくりと鎌首をもたげた。


「うわ、起きちゃった……」

「かわいいね……ここに棲んでいるのだね」

「静かに下がりなさい。冬眠中の大蛇は捕食行動を取らぬ。怯えさせなければ危険はない」


 魔獣……じゃない。そう、目が赤くないから魔獣じゃない、魔獣じゃない、魔蛇じゃない。ただの大蛇、大蛇……大きな、蛇──


 勇者はなぜか、自分でもよくわからないままに頭の中でそう繰り返していた。よろめくように一歩後ずさる。冷静になろうとしている自分が遠くに感じられたが、すうっと血の気が引く感じがしてからは思考が纏まらない。ただ身の毛がよだつような恐怖感に襲われて、震えながらもう一歩後ずさった。僅かに開いた大蛇の口から、鋭い牙から、目が離せない。


「勇者、どうしたの」

「様子がおかしいですね」


 黒い蛇、大蛇……違う、俺はもうあの時の俺じゃない、大丈夫、大丈夫だ──


「落ち着きなさい。ここは逃げるぞ、勇者」


──『落ち着いて、逃げなさい』


 体が動かない。仲間の声が遠い。そう思っていると、勇者の視界を遮るように目の前に背の高い人影が見えた。


──『助けを呼んでくるんだ、できるな?』


「勇者、勇者。ほら、下がってください……彼はどうしたのでしょう、賢者」

「その分析は後だ。私がここで見ている間に、まずは勇者を落ち着かせなさい」

 瞬きも忘れて、賢者の背中に見入った。



  鎌首をもたげる巨大な黒蛇

  立ち塞がる淡い灰色のマント

  後ろで束ねた長い黒髪

  灰色から赤に塗り変わった顕現陣の盾



 その時血の気が引いていた頭に、爆発的に血がのぼった。大きな波のように混乱が押し寄せ、喉から振り絞るように感情が迸る。


「──嫌だ! ダメだ父さん! ダメだ……!」


 悲鳴のような声で叫んで賢者に取り縋ろうとした勇者を、背後から魔法使いが羽交い締めにした。





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