第一章 雪の下の遺跡

一 地上の冬



 舞うように降り始めた雪が辺りを白く染め上げるまで、ほんの数時間だった。木の葉の上にほんの少しふわふわと乗っているだけだったそれが次第に地面に落ちても溶けなくなり、昼を過ぎて夕方になる頃には薪を拾うどころか全てが雪の下で、ざりざりと足でどかしてもどこもかしこもびっしょり湿って、火を起こす場所が見つからない。


「夕飯にスープは無理かなあ……」

「よ、よくそんなこと、か、か、考えてる余裕あるね。さ、寒い……ねえ、寒いんだけど、もしかして地上の冬って、ず、ずっとこんな感じなの? ねえ、僕もう寒くて、口が、回らなくて」


 ついさっきまで勇者と一緒に大はしゃぎで雪を触ったり丸めて投げたりして遊んでいた吟遊詩人が、マントをしっかりかき合わせてガタガタ震えていた。唇が紫色になっていて、足元も少し覚束ない。


「おい、大丈夫か? ちょっと……とりあえず来い」


 冬用に買い揃えた厚手のマントにも少し雪が積もっていたので、勇者はそれを丁寧に払ってから吟遊詩人を子供のように片腕で抱き上げ、ばさりと自分のマントの中に入れ込んだ。


「ゆ、勇者はなんでそんなに、へ、平気そうなの? こ、こんなに寒いのに──えっ? ちょっと勇者、ここすごくあったかい……」


 吟遊詩人の顔が幸せそうに緩んだ。彼はもぞもぞと羽飾りのついた帽子を脱ぐと腕を伸ばして魔法使いの頭にひょいと乗せ、かなり無理やり体を丸めると頭の上まですっぽり勇者のマントの中に入り込んだ。中からくぐもった声で「なんでこんなにあったかいの……もしかして、熱ある?」と言っているのが聞こえる。


「いや、別に熱はないと思うが……おい、流石に頭は出しとけよ、マントが引きつって邪魔だ。あと俺の脚が寒い」

「やだ」

「火持ちは体温が高い。こやつの平熱は、おおよそ我々の高熱と同程度かそれ以上、常人ならば死に至る程度の熱を常に孕んでいる」


 賢者の言葉に「死に至る高熱……?」と勇者がたじろいでいると、吟遊詩人が納得したように頷いた。


「うん……服の上からでも、ちょっと熱めのお風呂のお湯くらいはあったかい……こないだ勇者が本の夢を見てる時も手が熱いと思ったけど、寝込んでて熱があるのかと思ってた。違ったんだね」

「自分ではよくわからんが……なあ、今夜の野営はどうする? この辺に洞窟とかあるか?」

「さっきから探してたけど、どこにもないよ……」


 目隠しを外している少年がマントの中から悲しげに言い、そして皆が揃って賢者の方を見た。

「……木の下でなければどこでも構わぬ。天幕を張りなさい」

「こんな寒いとこにか? 雪でびしょびしょだぞ?」

「ああ」


 少しずつ、足首が埋まるあたりまで深くなってきた雪をぎゅっと音を立てて踏みしめながら、少し開けた場所を見つけて荷物を下ろした。できれば積もった雪をどかしたいが、範囲が広くて足で引きずるにも限界がある。そう思った勇者は腕を組んで少し考え、そして背中から聖剣を抜くと火の方の魔力を流し込みながら地面に突き立てた。浄化ではなく熱が広がってゆく想像をしながらぐっと力を込めると、辺りの地面の雪が一斉に溶けて水たまりになる。


「あっ……べちゃべちゃになった……」

 やってしまってから「そりゃそうか」と思った。なんとも言えない情けない気持ちで周囲を見渡すと、目が合った神官が苦笑しながら「ちょっと待ってくださいね、やってみますから」と言って馬を降りた。


 皆雪に紛れるよう淡い灰色や白のマントを着ていたが、神官には特別白が似合っていると勇者は思った。簡素な旅装なのになぜかとても聖職者らしく見える彼は優しく目を閉じ、すうっと息を吸いながら両手で水を掬うような動作をする。すると勇者の作った雪解け水がそれに合わせて吸い上げられるように浮かび上がり、大きく澄んだ水の球体になってうるうると光りながら手の上に集まるではないか。水の抜けた地面はすっかり乾いた色をしていて、真夏の森の地面よりもさらさらとした様子になっている。


「勇者、お鍋を出してくださいな。綺麗な水なので、少し温めて馬達の飲み水にしましょう。雪を舐めると体温が下がって危険ですからね」


 美しい術を使ったばかりの神官は目を開けると、全くいつも通りの声で朗らかに言った。まあ折角の神秘的な雰囲気はぶち壊しだが、こんな風に余裕があってちっとも気取らないところが彼の格好良さなのだと勇者は考えていた、吟遊詩人を一度地面に下ろし、少しわくわくしながら鍋を取り出して差し出す。すると彼は手の中の水の玉を鍋の上までそっと持ってきて──くしゅんと小さなくしゃみをし、その拍子に冷え切った大きな水の塊をざばりと勇者の腕と腹にぶちまけた。


「あ、ごめんなさい!」

「……おう、大丈夫だ」


 流石に震えながらその場で手早く着替え、鼻をすすりながら天幕を張る。賢者の指示で「一番軽くて嵩張らないものを」と注文して買ったので、骨組みは木ではなく薄い金属の筒を金具で繋ぎ合わせて長く伸ばすものだ。いかにも高性能な感じで組み立ても面白いのだが、しかし如何せん布の方がペラペラで、どう見ても夏用にしか見えない。


「なあ……これじゃ流石に寒いだろ。下も薄っぺらい布一枚だし、中で火も焚けないし……みんなでくっついて寝るのか?」


 それを聞いた魔法使いがぱあっと顔を輝かせて周囲を星と花で一杯にし、期待の眼差してじっと賢者を見つめた。が、きららかな花の妖精が恋い慕っている冥界の番人のような男はその視線を冷たい目でちらりと見ただけで首を振り、一言「魔術で中を暖める」と言って完成した天幕の中に入ってゆく。魔法使いが残念そうにほんの少し耳をくたりと寝かせて、そして何を思いついたのか、よく似合っていた吟遊詩人の帽子をさっと取ると反対の手で神官のフードを脱がせ、代わりに手にしたそれをすぽっと被せた。華やかな白と橙の羽飾りが全く似合っていない聖職者を眺めてうんとひとつ頷くと、今度は素早く吟遊詩人を背後から捕まえて抱き寄せ、ふたり一緒に勇者のマントの中に潜り込んでくる。


 勇者が腹に妖精達をへばりつかせたま入り口の布をぺらりと捲って中を覗き込むと、絵筆のようなものを握った賢者が何やら瓶に入った透明な液体を使って、天幕の布全体に広がる大きな魔法陣を描いていた。さらさらと慣れた様子で筆を進める様子はなんだか絵描きのようで、学者然とした容姿の彼がそんな風にしているのに違和感を感じる。


 あっという間に透明な線で天幕全体を埋め尽くした彼は、仕上げに硬貨のような形をした平たい魔石を取り出すと、天幕の布の四隅にそれを手早く縫いつけた。石に針を突き刺したように見えて驚いたが、よくよく見るといつの間にそんな細かな細工をしていたのか、始めから首飾りの石のように小さな穴を開けてあったらしい。道具を片付けた賢者が一つひとつその石に触れて魔力を流すと、そこからすうっと淡い黒が上がって白い天幕全体に魔法陣を浮かび上がらせ、そしてそれがぼうっと赤い色に変わって──少しずつ、中の空気を暖め始めるのがわかる。


「うわ、何だこれ……あっ、ほら妖精ども、入れ入れ! あったかいぞ!」

「ほんとだ……凄いね」

「少し狭いから、くっついて寝ようね……」


 マントの中から金髪のふたりがもぞもぞ出てきて天幕の中に入り、勇者と神官が後を追った。そうしている間にもどんどん空気に熱が溜まり、まるで暖炉に火を入れたようにほかほかと暖かくなる。


「馬達は流石に入らないかな……あいつらはどうやってあっためる?」

 勇者が尋ねると、賢者は少し肩を竦めて言った。

「花鹿はわからぬが、有角馬と一角獣はこの程度の寒さならば問題ない」


 それを聞いた勇者が一応外の馬達に尋ねると、唯一話を理解したらしい一角獣のレタがズボッと鼻先を天幕の中に突っ込んだ。しかしすぐに頭を引っ込め、興味なさげに鼻を鳴らすと雪の中にゆったり座っている恋人の有角馬、月毛のミュウの元に戻ってゆく。それを見ていた甘えん坊のクルムが彼の真似をするように天幕の中を覗き込むが、やはり魅力は感じないのか少し匂いを嗅いだだけで雪の中を駆けていった。


 どうやら馬達に暖は必要なさそうだと勇者が少しほっとしながら中に戻ると、背中にズンと何かが当たって振り返った。見ると純白の角に淡い緑の毛並みをした美しい牡鹿がのっそりと天幕の中に入ってくるところで、彼は中の人間が端に寄って場所を開けるや否やすぐにそこに寝そべって、気持ちよさそうにとろりと目を閉じた。


「ルシュ……」

 魔法使いが嬉しそうに昼寝好きの鹿に擦り寄って座り、こてんと寄り掛かって柔らかい腹のあたりを枕にした。少し目を開けたルシュが首を巡らせてエルフの髪を舐めてやり、子鹿のように愛でられた妖精が幸せそうに鹿の首を撫でる。


「そいつ、もしかして寒さが苦手なのか?」

 それだったらこれから連れ回すのはかわいそうだと思いながら魔法使いに尋ねると、彼は少し鹿の様子を見て首を傾げ「雪は雪でとても好きだけれど、このくらい暖かい方がお腹を出して眠れるようだね」と言った。賢者が少し嫌そうな顔をした。


 そんな風にして初めての冬の夜営は、焚き火なしで十分暖かい不思議な夜になった。真っ白になった森は雪が音を吸うのか、しんと静まり返ったなかに魔法陣のぼんやりした明かりと、妖精が纏っている小さな星が光っている。勇者は不寝番をしながらひとりぼんやりそれを眺めて深く満足した。苛酷な使命を知らされても、この仲間達は少しも自らの運命を嘆かず、こうして天幕の中へ入ってきたでかい鹿に場所を譲り、狭そうにぎゅうぎゅう詰めになりながら穏やかに眠っている。


 眩い銀色の朝がきて、きりりと冷えた空気を吸い込むと身が引き締まる感じがした。軽い朝食を済ませると天幕を片付けて馬に乗る。少し雪が深くなっていて馬達は歩けないかと思ったが、なんと火持ちのレタが先頭を進むと、足下の雪がじわりと溶けて道ができるではないか。


「お前、凄いな……」

 勇者がすっかり感心して相棒を褒めると、レタは馬鹿にした感じで耳を動かしながら勇者をちらりと振り返り──そしてさっと立ち止まると、少し先の地面を凝視した。長い薔薇色の角を突き出して警戒し、落ち着かない様子でトントンと地面を掻く。


「でかいな……魔獣じゃなさそうだが」

 勇者が呟いた時のことだった。雪の積もった地面がミシミシと音を立てて大きく盛り上がったかと思うと、ぼこりと割れた。勇者はその瞬間に馬から飛び降りて聖剣を抜きつつレタの前に出たが、しかしそこから出てきたものがあまりに見たことの……あるような無いような生き物だったので、思わず目を見張ってまじまじとそれを眺めた。


「うわっ、何だこいつ? でかい……ムカデか?」





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