二 牧場 後編



 こちらに駆けてくる生き物があまりに美しくて、勇者は思わず目を奪われた。

 それは馬のような姿をしていて、黒く艶やかな毛並みに黄金そのもののように輝くたてがみ、そして額に深い薔薇色の長い角を持っていた。


 これが一角獣ユニコーンだと、すぐにわかった。


 それは優美ながらも恐るべき速度で地を駆け、そして額を突き出してこちらを串刺しにする構えを見せた。案内人の少年が慌てた様子で客人を庇おうと飛び出してくる。勇者は少年の勇気と牧場の管理者としての責任感に感心しつつ、低い位置にある首根っこをひょいと摘んで脇にどかした。腹に力を入れて全身に内炎魔法を巡らせると、宝石のように透き通った角を折らないように気をつけつつ両手で掴んで受け止める。


 思ったよりもずっと強い衝撃がきた。踏ん張ったかかとが、地を抉りながら人ひとり分ほど後ろに押しやられる。突きを受け止められた真紅の瞳が怒りに燃え上がった。


「おい、なんで怒ってるんだ?」

 問いかけると「お前がそれを言うのか」と言う顔で一角獣が鋭くいなないた。頭を振って勇者の手を振り解くと、もう一度突いてやろうと距離を取る。

 そのとき背後から一声、厳しく叱りつけるような馬の嘶きが聞こえた。距離からして、しっかり者のミュウだろう。


 その声が聞こえた途端、一角獣がハッと顔を上げて攻撃の構えを解き、打って変わって言い訳するような情けない声で鳴いた。進み出たミュウが薔薇色の角に薄緑色の短い角を擦り合わせると、一角獣は心配そうな様子で淡い色の鬣を食んでやり……そしてチラチラと怒りの視線で勇者を見たところでピンときた。


「あー、お前ミュウの恋人なのか。心配すんな、お前の大事なやつを取ったりしないって」

「……彼はミュウを見初めてこの牧場へ通っている、野生の一角獣です。僕らは『レタ』と呼んでいます。た、旅人さんは凄いのですね、彼の攻撃を止めるなんて……」


 どうやら自分を恋敵だと思っているらしい間抜けな馬と視線を交わしていると、視界の端で茶髪の少年が気が抜けたように尻餅をつきながら言った。通訳していた神官がさっとしゃがんで体調を診てやっている。一角獣の突進を止めた勇者を信じられないように見る視線に一瞬ぞくっとしたが、仲間達の顔を見て心を落ち着けた。大丈夫、驚愕と畏怖であって恐怖じゃない。


 ミュウに手を出さなければさほど危険はないということで、仲間達は長い角の獣を気にしながらもそれぞれ相性が良さそうな馬を見繕い始めた。が、勇者はめつけるような目をしたレタに周囲をぐるぐると回られていて身動きが取れない。その様子をミュウが見守っていたが、しばらくすると呆れたように向こうへ行ってしまった。


「……あのさ、彼女が美人で心配になるのはわかるが、俺は人間だぞ? お前だって人間とか鳥の女の子を好きになったりしないだろ、それと一緒だって」

 勇者はなんとかこの邪魔な馬をどかそうと話しかけてみるが、彼は疑うように鼻を鳴らして更に鋭く勇者を睨みつけた。

「ほんとだって……信じてくれよ」


 困り果てていると、向こうの方から吟遊詩人と案内の少年の会話する声が聞こえてくる。

「ねえ……なんか勇者、普通に一角獣と会話してるんだけど、そういうもの?」

「すごいですね! 僕らの誰も、彼と話をしようと思ったことはありませんでした。子供は襲われにくいといっても、一角獣はやっぱり人間にとって天災のように恐ろしいものですから」

 最終的に驚きを憧れに変えたらしい少年の声に、心がほっとあたたまる。


「うーん……すごいっていうか、面白いっていうか──あれ、ミュウちゃん? だめだよ、君の彼氏に怒られちゃう」

 彼らの口からミュウの名が出た途端、レタが恐ろしい速さで振り返った。そして愛しい恋人が親しげに吟遊詩人の金髪を咥えているのを見て、愕然とした様子で角を振るとふらふらと歩み寄っていく。なんだかまずいことになったぞ……と勇者も慌てて後を追った。


「ほら、レタ君が悲しそうにしてるよ。僕らは旅人なんだからさ、恋人と離れ離れになりたくないでしょう?」

 人のことを面白いとかなんとか言っていた割にしっかり馬へ話しかけている吟遊詩人は焦っている様子だったが、反対にミュウの方は落ち着き払って彼の肩を鼻で押し、そして哀れな恋人に向かってきっぱりと嘶いた。たぶん「私はこの子と旅をしてみたいわ」とかそういうことを言っている。


 それを聞いたレタはわなわなと震え、そしてがっくりと項垂れた。とぼとぼ歩いていくと、完全に怯えている吟遊詩人の匂いを念入りにかぐ。とりあえず今すぐ襲いかかるつもりはなさそうだ。


「誤解だよ! 僕は人間の女の子にしか興味ないから!」

 一角獣は必死に首を振って無実を訴える可憐な音楽家を一瞥すると「まあ……これならいいか。臭くないし」という感じでふうと人間のようにため息をつき、そして猛然と顔を上げた。何がしたいのか小走りに一人ずつ剣の仲間達の匂いをかいで回り、最後に勇者のところに戻ってくると、仕方がなさそうに先の尖った角を彼の肩へガリッとこすりつける。


「いてっ!」

 妥協どころかものすごく嫌そうな顔だったが、恋人を愛してやまないこの一角獣は、表情を見る限りどうやら彼女のために勇者を背に乗せることに決めたようだった。


 案内人の少年が興奮した様子で「すごい! 一角獣が大人の男性に親愛行動を見せるなんて」と言い、それを聞いた賢者が「一角獣は……純真無垢な、幼子以外を……嫌うはずなのだがな」と爆笑を我慢しているような顔をする。最近楽しそうにしていることが増えたのは嬉しいが、できれば彼にはもう少し優しい理由で笑ってほしいと思う。あと、たぶんこの一角獣には充分嫌われている。


「なあレタ……お前さ、そんなに嫌そうにするなら俺よりも魔法使いを選べば良かったんじゃ──あれ? 魔法使いは?」

 人間嫌いの一角獣にはエルフの方が良かろうと彼を探したが、魔法使いの姿がどこにも見当たらない。


「おやまあ、いつからいないのでしょう」

 神官が心配そうに辺りを見回すと、吟遊詩人が目隠しを外してきょろきょろし始めた。


「どなたかはぐれたんですか? 案内小屋にいらした時は四人でしたけど」

「え?」

 馬飼いの少年の言葉を難しい顔で賢者が訳し、勇者はその内容に驚いて仲間達を見回した。「牧場に入る前からいなかったか?」と尋ねると、皆が眉をひそめてわからないと首を振る。少年が心配そうな顔になったので「まあ、その辺で遊んでるだけだと思う」と言ってやる。


「あ、いたよ! ……え?」

 そのとき吟遊詩人がほっとしたように声を上げ、次いでぽかんと目を丸くした。

「どうした?」

「いや……え?」


 何が見えたのか尋ねても首を捻るばかりで「とにかく行ってみよう」としか言わない吟遊詩人の後に続き、ひとまず少年に断りを入れて四人で牧場を出る。なぜか隣を歩いているレタにエルフの仲間がいるのだと教えてやると、ミュウ以外の生物に興味はないという感じで鼻を鳴らした。じゃあなんでついてきたんだよ、と内心呆れる。





 果たして自由奔放極まりない妖精は、牧場を出て少し歩いた森の中にいた。ぼんやりと木漏れ日を目で追っているような姿はいつも通りなのだが──


「なあ……魔法使いが乗ってるの、あれ鹿じゃないか?」

「そうだね、僕にも鹿に見えるよ……どこで拾ってきたんだろう」


 彼は……光の具合かほんのり緑っぽく見える、妙に神々しい白銀の動物に跨っていた。枝を広げたような真っ白な角は、残念ながらどう見ても馬ではない。朽ちかけた倒木の上に佇んでいる様子は童話の妖精王といった雰囲気で大変目の保養になるが、しかしあいつはあの生き物に乗って旅をするつもりなのだろうか?


「ていうか……鹿って乗れる動物だっけ?」

 吟遊詩人がぽつりと呟く。

「乗ってるんだから……乗れるんじゃないか?」

「そうかなぁ、かなりぴょんぴょんしてるけど……いや、平気そうだね。あの子にするつもりなのかなあ……」

「鹿の方も、魔法使いを気に入ったみたいだな……」


 無駄に跳ねるような動きで、魔法使いと鹿がこちらにやってきた。どう見ても乗るのに向いていない感じだが、背に跨った魔法使いは特にしがみつきもせずに平気そうにしている。白銀の鹿は美しいエルフに親しくされて嬉しいのか、馬より無表情でわかりづらいが耳の角度がどことなく楽しげに見えた。


「魔法使い、それは馬じゃないぞ?」

 返してきなさいという気持ちを込めて言ったのだが、妖精はその言葉に「鹿だね」と素直に返した。


「名前はね……ルシュにするよ」

「ありゃ、やっぱりその子に決めたんだね……」

 指示を仰ぐように皆が賢者を見たが、しかし彼は珍しくどこか目をキラキラさせて──もちろん実際は光を吸い込んで全く光らないのだが──じっと鹿を見つめていた。


「もしや、花鹿か……人の身でこの幻獣を目にすることができるとは」

「あ、これは頼りにならないね」

「ルシュ……妖精語で『歌』とは、実に相応しい名だ」

「うん……かわいいね、ルシュ」


 好奇心に囚われてしまった学者の肩を叩いてなんとか正気に戻したところ、あれはどうやら普通の鹿ではないらしく、乗り心地は別として人を一人二人乗せるくらいの体力は十分にあるだろうということだった。肝心の勇敢さは未知数だったが、どうやら知り合いらしいレタが「あいつは強いぜ」みたいな感じで首を振ったのでそう伝えると、エルフ以外の仲間達が一斉に彼を「こいつは何を言ってるんだ」というような目で見た。


「それなら……ルシュを連れて行っても良いのではありませんか? もうすっかり仲良しのようですし……」

 自信なさげな声で神官が言う。魔法使いが白銀の毛並みに頰をすりすりとすると、鹿の方も優しくエルフの髪を舐めてやっている。懐いたというよりは子鹿の面倒を見ているような雰囲気だったが、確かにこの短い時間で信頼関係を築いているようだ。下手に引き離すより良いのかもしれない。


 しかし、目立つな……。


 よく見るとぼんやり白く光っているように見える鹿を見て勇者は頭をかいた。賢者の反応を見た感じも完全に伝説の何かといった雰囲気で、間違っても街になど連れて入れない。どうするのだろうか、森に置いておくのか?


「……で、お前も来るんだよな?」

 そして勇者はそう言って隣の一角獣──曇りのない鮮やかな黒い胴体にギラギラ光る黄金の鬣、薔薇を煮詰めたような濃い紅色の角を持つド派手な馬を見た。淡い幻のような鹿と違って、こちらは蜂と毒蛇を混ぜて凝縮したような、目がチカチカする色合いだ。


 レタが唇を捲り上げ、ブルブルと音を立てて息を吐き出す──当然だろ、ミュウが行くと言うなら俺は彼女を守る。お前、そんなこともわからないのか?


「お前じゃなくてシダルって呼んでくれよ」

「いや、だからなんで勇者はレタ君と会話できてるわけ?」

「野生の狩人だからでしょうか……」

「神官、それはちょっと言いすぎじゃないかな……面白いけど」


 牧場に戻って、仲間達が選んだ三頭分の代金を支払う。山積みにされた金貨に慄いていると鞍や馬銜はみといった道具類が運ばれてきた。有角馬達は大人しくそれを受け入れたが、一角獣はあからさまに角を振って威嚇し、鹿はそもそも体型が違うので着けられなかった。初心者で裸馬は無謀だと言われたが、しかしこれだけ怒っていてはどうしようもない。


 まあどうにかなるだろうと、一応持って行くかと言われた鞍を断って、勇者は新たに増えた仲間達と共に牧場を後にしたのだった。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る