二 魔剣と聖剣 前編
「おお、やはりメル殿ではないか! 久方ぶりだな、まさか本当にこの街へいらしたとは。ノラとここまで出向いた甲斐があった」
「……そうか。伴は」
「はは、無粋なことを言う。このような余暇まで『視察』にするつもりはない。見えぬところには幾人か控えておるだろうが、まあ見えぬのだから好きにしている」
どうやら知り合いなのか、渋い顔で応対を始めた仲間を見上げた勇者が小さく「……メル?」と呟くと、賢者が面倒そうな顔でちらりと振り返った。
「こやつはシダル。そして左からロサラス、ルーウェン、ルシナル。私はレフルスと」
胸元に手を当てて軽く礼を取りながら仲間達を紹介すると、今度はさらりと優雅に勇者の方へ向き直って手のひらで丁寧に、兄妹なのか互いによく似た金髪の二人を指す。彼の仕草がやたら上品なのはいつものことだが、こうして見ると狩人の自分よりも背後に佇んでいる見知らぬ貴族風の人物の方が雰囲気が近い気がして、勇者はちょっぴり寂しくなった。
「シダル、彼はアレクシル殿下。『真上の国』フォーレスの王太子で、高名な魔術師でもあらせられる。隣はアトラーシア第一王女殿下──」
そこまで聞いたところで神官と吟遊詩人がさっと片膝をついたので勇者も彼らを真似ようとしたが、その時王女の方が──童話の王子様とお姫様のようだと思っていたら本当に王族だった──さっと手を差し伸べてそれを押しとどめるような様子を見せたので、半端な中腰のままぎくりと静止した。そんな勇者にアトラナントカ姫がにっこりと微笑みかけ、賢者が蔑んだ目で見下ろしてくる。いつもの意地悪な視線にほっとして、じわりと心があたたかくなった。
「どうぞ、お立ちになって。本日はお忍びですから、礼は結構です。
「おう。よろしく、レノーラにアレク」
王族のお忍びなんて本当にあるのだなと少し気分が盛り上がるのを感じながら立ち上がると、背後で神官が小さく「……あ」と呟き、賢者がニヤリと楽しげにしたので、勇者は何か間違えたのかと慌てて中腰に戻った。戸惑っていると、神官がそっと耳打ちしてくる。
「勇者……お忍びであっても、もう少し丁寧に……それに呼び捨てはちょっと。アレク様、とお呼びしませんと」
「えっ……あ、失礼しました。アレク……様? と、レノーラ様」
やってしまったと身を竦ませながら謝り、おそるおそる賢者の顔色を
「ノラの言に従っただけだ、謝ることはない。むしろそうして気安く名を呼んでくれる者は貴重だからな、嬉しく思う。己の身分を重いとは思わないが、こうして市井に紛れただの男に身をやつしている時くらいは、私とて生まれに関わらぬ親しい付き合いというものをしてみたいのだ」
そう言って随分仕立ての良い上着の裾を伸ばしてみせる王子は、正直に言うと内側から輝くような気品のせいで全く「ただの男」には見えなかったが、しかし勇者はそんな彼の気質を好ましいと思った。歳も近そうな青年に目を合わせてニッと笑うと碧い目が僅かに驚いたように開かれ、勇者の真似をするように歯を見せて少しだけ粗野に笑ってみせる。育ちは随分違ったが、友達になれそうな予感がした。
「ところで、本題に入りたいのだが……レフルスよ。シダルが『そう』なのだろう?」
しかしそんなアレクが爽やかな笑顔をさらに爽やかにして何やら賢者に自分のことを問いかけ始めたので、勇者は首を捻った。尋ねられた賢者は意味がわかっているらしく、無言で軽く頷いた。いかにもおざなりですという態度を見て、吟遊詩人が「ねえ賢者、王子様なんだから、ねえ、もう少しちゃんとしてよ……」とあわあわしている。
と、その時嬉しげに何度も頷いたアレクが突然歩み寄ってきて己の両手をがっしりと握ったので、勇者はぱちぱちと目を瞬かせた。
「そうかそうか! やはり貴殿であったかシダル、いや勇者殿! 私は神殿の達しを受けた日から、貴殿に会いたくて連日王都を探し歩いていたのだ。この後に時間はあるか? ぜひ話を──」
「お兄様、お声が少々」
声を大きくした兄の肩にそっと触れながら妹姫が小声で注意すると、王子が小さく息を吸って上品に口元を指先で押さえる。
「おっと失敬。貴殿が勇者であることは内密なのだった。そうか、密命を帯びて旅をしているのだな……そんな話を、是非聞きたい。館内に部屋を用意させるので、茶の時間を共にしてはもらえないだろうか?」
「いや、神殿の達しって……指名手配とか、そういうのじゃ」
「だからこそ、こうして目立たぬようこっそりと探していたのではないか。捕まったら困るのだろう? 貴殿には神に与えられし使命がある故に」
なんだか親近感を覚える感じにアレクが目を輝かせ、勇者の手を掴んだまま身を乗り出す。出会ったばかりだが、この男ともう少し話をしていたいと思わせる顔だった。
「それなら、喜んで。俺もアレクと話がしてみたいと思っていました」
「ふふ、そうか! それは嬉しいな。貴殿の目を見れば、それがおべっかでないとすぐにわかる。今日は良き日だ、シダルのような者に出会えたのだから」
「なんか……アレク様って、勇者とちょっと似てない? なんていうか、楽しそうなところが」
背後から吟遊詩人の声がすると、アレクの親しげでありながら裏側の見えない微笑みに少しはにかんだような、素の喜びの色が混じる。
にこにことしたアレクに促されて博物館の階段を上り始めると、王子はさっと手を出して隣を歩く妹の手を取った。
「手を繋いで歩くなんて、仲がいいですね。俺には兄弟がいないから、羨ましいです」
そう言うと、アレクは不思議そうな顔をして微笑んだ。
「階段で女性をエスコートするのは当然のことだが……妹のことは愛しているからな、そのように見えているならば嬉しく思う」
「勇者……上流階級の女の人は足首までのドレスで歩きにくいから、男の人が支えてあげるんだよ。仲良しで手を繋いでるんじゃなくて、マナーの一つ」
「あ、そうなのか」
吟遊詩人の指摘に勇者が少し顔を赤くすると、レノーラ姫が悪戯っぽい笑顔になって兄の手をくいと引いた。
「あら、私はお兄様と幼子のように手を繋いで街を歩いても構いませんのよ。とっても楽しそうですわ」
「そうだな、今度試してみようか」
二人が楽しそうにしているので、偉い人の前で変なことを言ってしまったという羞恥心はすぐに引いていった。建物に入ると王子がさっと従業員らしき初老の男性に声をかけ、長い廊下を歩いて奥の方の部屋に案内される。あちこちに植物の標本や化石や何かが飾られているのをきょろきょろ見ながら、隣を歩く王子と城下町の景色について話した。知り合った彼らは二人とも優しげな雰囲気で、彼らが一言話す度に魔法のように周囲が笑顔になる。恐縮しているようだった神官や吟遊詩人も少しずつ打ち解けて、緊張していた空気も緩んできていた。
長いテーブルの周りに椅子がいくつも並べられている豪奢な食堂のような部屋に入ると、大きなワゴンを押した女性が入ってきて、あっという間に軽食や菓子といったものが真っ白な磁器の皿に乗せられてずらりと並べられる。何やら貴族のお茶会といった様子で次々に準備されてゆく食卓を勇者は圧倒されながら見つめていたが、ふと皆の視線が一箇所に集まっていることに気づいて顔を上げた。
「ルーウェン殿……どうぞ椅子にかけて、楽にするといい」
王子が優しくかける声に温度のない視線を返した魔法使いが、勧められた椅子をちらりと見下ろして、そして興味なさげに窓の外へ目を遣る。どうも様子がおかしい。
「妖精の方は甘いものがお好きと伺っております、こちらにお茶菓子もございますよ」
レノーラ姫も気遣うように言うが、すらっとした立ち姿のエルフはまるで聞こえていないような顔で退屈そうに部屋を見回していた。いつものように耳を動かしもしない、冷たささえ感じる全くの無表情だ。彼の立つ場所にだけ森が呼び寄せられたかのように、穏やかだが慈悲のない自然の気配が漂っている。もうみんな席に着いているのに、魔法使い一人だけがそうやって頑なに王子達を無視していた。優しい彼が一体どうしたのだろうと賢者に目を向けると、豪奢な部屋が妙に似合っている賢者は特に困った様子もなく、当たり前のような顔で妖精を眺めていた。
「よほどの変わり者でない限り、エルフは人と会話せぬ。本来ならば彼のような存在がこの場にいるだけでも不思議なことだ。そっとしておきなさい」
「あらまあ、やはりとても妖精らしくていらっしゃるのね。わかりました」
王女は部屋の隅の花瓶に歩み寄って生けられた薔薇に触れている魔法使いを不思議そうに見つめたが、すぐに穏やかに目を細めて頷いた。態度の悪いエルフを少しも責めることなく、人とは違う不思議なところが魅力的だと賢者に向かって優しく告げている。急に言葉が通じなくなったような妖精はとりあえず放っておけばいいらしいと、勇者もほっとした。
「賢者、敬語!」
と、吟遊詩人が焦れったそうに身を乗り出して賢者を小声で叱った。しかし賢者の方は軽く眉を上げて「身分制度など
とはいえ、よくよく観察していると、にこやかにしている高貴な兄妹は賢者の瞳を見つめて心の底から和やかに微笑んでいるわけではなさそうだった。視線を合わせるとほんの一瞬だけ身構えるような光が走り、そしてそれがすぐに優しげな笑みで覆い隠される。
驚くほど巧みなそれを見て、勇者は王族だという彼らが背負っているものの一端を見た気がした。きっと彼らはその上品な笑顔の奥に様々なものを隠しながら生きてきて、そしてこれからも生きてゆかねばならないのだろう。心の底から落ち着いている神官と違って内にはかなり熱いものを抱えていそうなのに、一瞬たりとも穏やかな態度を崩していないし、五人もいる仲間達の名前も賢者が一度さらりと述べただけで当たり前のように呼んでいる。狩人のように命を燃やし続ける激しさはなくとも、それはとても厳しい戦いであるように感じた。
「勇者様方には、私もとてもお会いしたいと思っておりました。神殿との兼ね合い上、実を申しますとお父様には接触を禁じられてしまったのですが……せっかくの機会ですもの、お兄様とこっそり抜け出してきてしまいましたの」
「ノラは民に剣姫と慕われる勇猛な姫でな、剣の腕前は騎士にも劣らぬぞ。少々元気が良すぎるきらいもあるが、貴殿らならば合う話もあるだろう。ぜひ冒険の話を聞かせてやってくれ、もちろん私にも」
アレクの言う通りレノーラ姫は剣を、それもどうやら嗜みの域を超えて扱うようだった。腰掛ける時に剣帯から抜いて背後の棚に置いてあるそれはなかなかの重さがありそうな長剣であったし、何より歩き方が違う。今は膝下までのスカート姿だが、彼女ならば裾の長いドレスを着ていても階段で転んだりしないだろう。賭けてもいい、これは兄のエスコートなど絶対に必要としていない。
そんな女性ならば雰囲気が勇ましかったりお転婆であったりしそうなものだったが、レノーラは兄によく似て大変に品の良い少女だった。王侯貴族というのは皆こうなのだろうか? ただ立っているだけで丁寧な感じがするし、微笑みひとつが恐ろしいくらい社交的で、尚且つ穏やかな中にもどこか逆らえないような圧力を感じる。立ち居振る舞いの美しさだけならば賢者や神官も負けていなかったが、賢者はやはりどこか世捨て人めいていて意識がこちらに向いていない感じがするし、神官の雰囲気は上品というより神聖と称した方が近い。お姫様とはただ美しく着飾って微笑んでいるだけの存在ではないのだと、勇者は感心してひとり頷いた。
故に、勇者は油断していた。この典雅な兄妹は支配階級らしい威厳と責任感に満ちていて、生来の優しさと誠実さがにじみ出る──彼のへんてこな仲間たちとは違う、どこもかしこもまともな人間だと疑っていなかったのだ。
クリームのたっぷり乗った菓子を食べながら皆がにこやかに談笑する、そんな時に突如、紅茶の香りが漂う豪華な部屋の空気を破るように
「ほほう、勇者とな! ならば
そう。だからこんな風に王女の剣がいきなり大声で喋り出した時、勇者はいつもよりも強い衝撃を受けて、しばらく目を点にしたまま元に戻ることができなかった。
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