二 木陰の戦い 前編



「貴方がたをこの根源の地より外へ出すわけにはゆかないのです、勇者殿」


 警戒して身構えた仲間達に向けて、二人のうち濃灰色のマントの方、気の第二審問官ハイロが淡々と感情のない声で言う。


 怖がりな吟遊詩人をさっとマントの中に匿った魔法使いの横をすり抜けて、勇者は短剣に手を掛けながら前へ進み出た。後を追うようにディオノが駆け出してきたが、審問官達の前へ立ち塞がろうとしている彼を手で押しとどめ、「お前は後ろを守ってくれ」と囁く。彼が頷いて下がるのを見届けると、少し時間を稼ぐために口を開いた。


「……その言葉に従う気はないが、そう言えばまたお前達は俺を殺そうとするのか?」

「命を奪うことが本意ではないが、神の意志を妨げるとあれば致し方ない。それが裁きである」

 火の審問官の方が冷たい声を返した。明るい煉瓦色の目をした小柄な男は、声からして火の第二審問官──金の瞳をした男の側近だろう。


「じゃあ、場所を変えないか。こんな人通りのある場所じゃなく、誰も巻き込まない場所に」

「異端者の提案を受け入れ、審判の場を郊外の森へと定める。私についてこられよ。ハイロは伝令を」

「わかりました、ライ」


 ライというらしい男の言葉に頷いたハイロがすっと片手を持ち上げると、小さな顕現陣が立ち上がって指の背に胡桃くるみほどの大きさの小鳥が現れた。灰色の羽に赤い尾をした半透明のそれへ何やら話しかけると、小さな嘴で一声囀った鳥が翼を広げて空へと舞い上がる。


 路地を抜け、背丈よりも長い槍を持った審問官に続いて歩く勇者達は、街なかでいやに目立った。何事かとざわつく人々に最後尾のディオノが、流石は彼も騎士と言うべきか、つい先程まで緊張で震えていたとは思えない落ち着いた笑顔で「神官様がたとそのお客人です、ご心配なく」と言葉をかけている。すると、その声に顔を見合わせた審問官の二人が顔を隠していたフードを脱いで、真っ直ぐ立てて持っていた槍を背のベルトに挟み込んだ。

 周囲の不安そうな視線がふっと緩み、ディオノがほっと胸を撫で下ろす。どうやら彼らが異端者以外に無害だというのは本当のようだった。


「ひとまずこちらは大丈夫だ。そなたは騎士団へ報告に戻ると良い」

「わ、わかりました……応援を呼んできます!」

「あっ、おい!」

 慌てたように素早く敬礼し、引き止める間も無く走り去ってしまったディオノの背を見送り、勇者は年若い騎士に怖がられているのを知りながら声をかけた賢者へ視線を向けた。


「なあ、あいつ……行き先わかってるのか? 森としか聞いてないが、この街って森に囲まれてるよな?」

「……把握しておらぬだろうが、その方が良い。間に入り直接彼らの審判を妨害するようなことがあれば、騎士団までもが異端者の裁きを下される」

「──そうですね。多少の妨害工作には目を瞑ることもできますが、流石に武器を取って審判を遮ればそうせざるを得ないでしょう」


 賢者の言葉に応えるように、灰白色にくすんだ金髪を揺らしているハイロが淡々とそう言った。賢者を警戒しているのか、今日はあの不思議な声の術を使ってこない。


「なぜ今日は術を使わないのかといったお顔ですね。貴方がたは現在我々に敵意を示しておらず、無抵抗で審判の場へ足を運んでくださっています。自他を守る目的以外で精神を操作する術を使ってはならぬと、神典の『ルラ書』に記されておりますでしょう。ご存知ないのですか?」


 そう言ってちらと勇者に目をやったハイロの唇の端が少しからかうように持ち上げられるが、どこか虚ろに霞みがかって見える瞳のせいでちっとも微笑んでいるように見えない。


「……なあ、俺ってそんなにわかりやすいか?」

 振り返って尋ねれば、無情にも仲間達は揃ってこくりと頷く。がっくりして項垂れると、額を青褪めさせていた吟遊詩人が強張った顔で少しだけ微笑んだ。





 三つある街の門のうちのひとつを出て森へ入ると、きらめく「本物の陽光」が分厚い梢で遮られ、ふっと地下世界の薄暗さが戻ってくる。


「……ごめん、全員槍を持ってたね。この間と違って魔力が通ってなかったから見えなかった」


 ずらりと並んだ異端審問官達を見て「中途半端に見えるのも考えものだね」と吟遊詩人が落ち込んだ顔をしたので、勇者は慰めるようにその頭を軽くポンポンと叩いた。この少年が悲しそうにしていると、尻尾の垂れ下がった犬を見ているようで落ち着かない。


「気にするな。槍を持っていようがいまいが、どうせここには来ていたさ。あとで一緒に散歩に行ってやるから、元気出せ」

「うん……散歩?」

「──異端者ロサラスよ、勇者を引き渡せ」


 その時、審問官達に合流したライが静かな声でそう命じた。神官が「いいえ、決して渡しません」と首を振ると、審問官はほんの少しだけ落胆したように眉を寄せて、そして言った。

「ならば、審判を執り行う。神罰によって、世の憂いは払われるであろう」


 前回と同じくよくわからない不気味な宣言をすると、槍をくるりと回して構えた金の瞳の男が進み出てきた。戦う様子を見せたのは一人だったが、しかし残りの四人が手を出さないのは神殿の美学でもなんでもない──寄ってたかって狭苦しく襲いかかるより彼がひとり存分に暴れる方がずっと強いのだと、勇者はもう知っていた。


 鬱蒼とした薄暗い森でもはっきり輝いている金色を見る。色自体は美しいのに、相変わらずガラス玉のように心の宿らない無機質な目だ。

 戦いと守護を本分とする火の神殿。そこで育った人間がただその狂信のままに、他の全てを捨てて心に戦うことだけを、神の意志を守るために戦うことだけを詰め込んだ。今の彼はきっとそんな人間だろうと神殿を知るロサラスが言っていた。


 そんな人間に、どうして勝てようか。


 勇者は目を眇めて彼を睨みながらそう思った。守るべきものがあり、そして失うものがない人間に……少し怪我をしただけで抱きしめて泣いてくれる仲間ができた勇者が、どうやったら勝てるというのだろうか。


 それでもきっと、空っぽの狂信より本物の愛の方が強い。そうでなきゃ、おかしい。


 互いに無言で武器を構え、視線をぶつけ合いながら、勇者はぐっと腹に力を入れて全身に魔力を巡らせる。

 槍使いと戦う時は、何よりもまず懐に入ること。気配からして奴の魔力は俺のおよそ二倍。つまり二秒残すとして……八秒。


 前回と違う勇者の構えを見て少し表情を変えていた審問官だったが、先手を打って飛び出した勇者の剣を受け止める頃には元の冷静な顔に戻っていた。

 一撃目を弾かれ……その勢いのまま胸を突いてくるのを躱せば、そう、一度槍が引かれるはずで──再び突きが繰り出された瞬間に、柄を狙って叩き上げる!

 騎士に剣術を教わったとはいえ、たかが一週間だ。当然未だ技量では及んでいなかったが、しかし前回よりは槍の長さを遠く感じなかった。


 やるなら、今しかない!


 相手がまだ自分の動きに慣れていない隙を狙って、勇者は覚悟を決めると瞬間的に足へ魔力を集中させた。ドンと地面にひび割れを作りながら前へ飛び出す。周囲の景色が全て残像に変わるなか、的確に突き出された槍を必死に体を捻って──よし、避けた!


 間合いを詰められて驚いたように身を引きながら、審問官が瞬時に盾の術を立ち上げる。しかし勇者はそれを無視すると飛び出した勢いのまま、地を滑って術を描いている腕の下ををすり抜けた。そして立ち上がりざまに背後から掴みかかって血の色をしたフードを引き剥ぐと、剥き出しになった首筋に聖剣の剣身を押し当てる。鋭い刃先ではなく、幅広い腹の部分をべったりとだ。


 審問官が息を呑んでもがくのを内炎魔法で押さえつけ、残りの四人が慌てた様子で駆け寄ってくる方向へ、口を開けて魔力で吼えた。脅すだけの効果しかないが、一瞬怯むだけでも二秒は稼げる。


「七、六、五──」


 事前に説明などしていなかったにも関わらず、時計を構えた賢者が鐘のように通る声で数えてくれる。いったい彼にはどれだけ物事の先が見えているのか……見当もつかないくらい頭の良い男だ。


 しかし、きっかり五つ数えたところでバンと大きな音がして、勇者は全身に強い衝撃を受けて背中から地面へ投げ出された。どうやら何かの術で弾き飛ばされたらしい。すかさず起き上がって剣を構え直す。審問官が訝しげな顔をして喉に手を当てていた。


「勇者、吸えてないよ! 気を抜かないで!」

 賢者に指示を飛ばされた吟遊詩人が叫ぶ言葉に唇を噛みながらも、再び襲いかかってきた槍を躱す。理由はわからないが、どうやら聖剣で審問官の魔力を吸い取って弱らせる計画は失敗したようだった。


 槍と剣がぶつかる度に、大きな火花が散って空中に赤く光る顕現陣が浮かび上がる。歯を食いしばりながらなんとか間合いを近づけて一際強く振り下ろすと、ついに審問官が突きの構えを崩し、金色の槍を横向きにかざして防御の姿勢をとった。


 ビィンと、弓の弦を鳴らす音をずっと硬質にしたような奇妙な音を響かせて、浮かび上がった顕現陣に激しく聖剣が叩き付けられた。盾と内炎魔法の併用で持ち堪えた審問官の足元に、土埃を上げて小さな窪みができる。少しずつ優勢になってきたと勇者が心の中で拳を握ったその時、しかし彼は振り下ろした剣を見て鋭く息を呑んだ。ギリギリと押し込んでいた力を弱めた瞬間、目の前の顕現陣が急激に光を増したのに気づいて背後に跳び退き、距離を取る。大きな顕現陣を補強するように槍をかざした審問官が金色の目をぐっと眇めると、蔦模様のような陣の紋様がするすると動いて、術の内容が書き換わっていくのが見えた。


「下がれ! 炎が来るぞ!」

 賢者の鋭い声が飛んだが、しかしそれを聞いた勇者は反対に剣を構え直すと再び審問官の方へ走り込んだ。

「勇者! 何をしている!」


 大きな火柱が陣から吹き出して、勇者の全身を包む。刹那、勢いをつけて踏んだ地面に水色の顕現陣が出現し、激しい水柱が吹き上がった。少し驚いたが水色ならば神官の術だ。そのまま左腕を顔の下にかざして水滴を避けると、もうもうと立ち昇る蒸気に染まった視界に目を細め、剣を握った右腕で大きく赤い方の陣を切り払う。

 鋭い風が吹き荒れ、炎が散ってゆく。舞い上がる火の粉の向こうで槍を構え直した審問官が、一切の火傷を負っていない勇者を見て目を見開いた。


 内炎体質が発現したその時から、火傷を負わない体になっていた。蝋燭の火を揉み消しても、焚き火に腕を突っ込んでも、少しの熱さを感じるだけで肌が燃えるようなことはない。それをわかっていたからこそこうして術に突っ込んだのだが、機転を利かせた神官のおかげで服や靴も燃やさずに済んだようだ。


 金色の瞳と空色の瞳が、しばし見つめあった。目を見れば、互いに相手の戦い方を把握してきたのがはっきりとわかる。

 踏み込んだのは、二人全く同時だった。が、しかし勇者は今までと違って全力で剣を打ち込むことができなくなっていた。


 聖剣に、ヒビが──


 先程強く盾の術に叩きつけた時だ。透き通ったオリハルコンの剣身に細い亀裂が、しかし細いながらも深く入っていた。


 おそらく、もう一度全力で叩き込めば折れる。


 魔王を倒すための剣がこんなところで折れればまずいことはなんとなくわかったが、しかし今そんなことを考える余裕はなかった。突き込まれる槍を躱し、弾き、逸らしているうちに、槍の穂先に燃えている炎が段々とその温度を上げていることに気づいたのだ。鋭く突く度、審問官がぐっと槍を握り直すような動作をする。その度に、炎の熱と魔力の気配が高まってゆく。


 赤かった炎がオレンジ色になり、黄色になり──そして脂汗を流した審問官が、力を入れすぎて噛み切ったのか唇の端から血を流した瞬間、白い炎がジュッと音を立てて濡れた服の袖を燃やし、肌を焼きながら勇者の腕を掠めた。

 熱さに呻き声を上げながら距離を取ると、すかさず神官の祈りの声と共に焼けた腕がばしゃりと水で冷やされ、それが段々と凍るように温度を下げて──そして、なぜかふっと途切れる。


「神官……!」

 苦しげな吟遊詩人の声に驚いて振り返ると、そこには頭から血を流して魔法使いに抱えられている少年と、火の審問官の一人に締め上げられるように首に腕を回され、喉元に短剣を突きつけられた神官がいた。


「……剣を捨てよ」


 審問官がぞっとするほど淡々と告げながら短剣を揺らすと、神官が一瞬痛みを耐えるように目を瞑り、薄っすらと皮膚が切れて血が滲むのが見えた。


 シダルの仲間が、傷つけられるのが見えた。


 頭の奥がカッと熱に覆い尽くされる感覚がした瞬間、全身を巡る魔力が熱く燃え上がり、目の前が真っ赤に染まった。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る