陶潜9  與子儼等疏 下 

「病を得て以来、心身の衰えを

 実感せずにおれん。

 親戚や友人が、わしに薬を

 送ってくれ、そのたび救われているが、

 どうしても死期は迫りつつある。


 お前たちに幼いころから

 貧乏暮らしを強い、

 芝刈りや水くみなど、

 苦労を掛け通しだったのを

 申し訳なく思っている。


 どうにかして免れさせてやりたいと

 思いながらも、それが叶わず、

 なかったことを思えば、

 もはや何が言えようか。


 ただ、お前たちは

 母親が同じではないにせよ、

 先に挙げた子夏しかも言っている。

 四海、みな兄弟、と。

 この言葉を忘れずにいてほしい。


 例えば、鮑叔ほうしゅく管仲かんちゅうだ。

 彼らは親を違えど、ともに商売し、

,更に管仲が取り分を

 多くしていたのにもかかわらず、

 ともに猜疑しあうことがなかった。

 そのうえで一度失敗した管仲は

 鮑叔に推挙されることで、

 最終的にはせい桓公かんこう

 春秋五覇にまで上り詰めさせた。


 また人の帰生きしょうは、

 逃亡生活を送っていた友人の伍舉ごきょ

 しんで再会した時、草を敷いて、

 その再会を喜び合った。

 その後伍舉は、帰生の推挙で

 楚の霊王れいおうを補佐し、

 これを即位させる大功を挙げた。


 他人同士の縁ですらこうなのだ。

 ならば父を同じくするお前たちに

 できぬこともあるまい。


 韓融かんゆうかん末の名士だが、

 公卿の補佐官という立場にあり、

 齢八十にして亡くならんとしたとき、

 兄弟はみな、年老い、歯を失うまで

 ともに暮らしていたという。


 濟北さいほく氾毓はんいくしんの時代の孝行もの。

 七世代に渡って同居し、

 そのことを恨みに思うものも

 いなかったという。


 詩経しきょう小雅しょうがで、こう歌っている。


 髙山仰止 景行行止

  高き地を振り仰ぎつつ、

  光明溢れた道を行け。


 先人の振舞いは、

 まこと従うに足るものである。

 お前たちはこの事をよくわきまえ、

 助け合ってほしい。そうすればわしも、

 これ以上に言うことはない」


 


疾患以來,漸就衰損,親舊不遺,毎以藥石見救,自恐大分將有限也。恨汝輩稚小,家貧無役,柴水之勞,何時可免,念之在心,若何可言。然雖不同生,當思四海皆弟兄之義。鮑叔、敬仲,分財無猜,歸生、伍舉,班荊道舊,遂能以敗爲成,因喪立功,他人尚爾,況共父之人哉。潁川韓元長,漢末名士,身處卿佐,八十而終,兄弟同居,至于沒齒。濟北氾稚春,晉時操行人也,七世同財,家人無怨色。詩云:「髙山仰止,景行行止。」汝其愼哉!吾復何言。


(宋書93-27_文学)




陶淵明の詩には「責子」というのがあり、そこには子の才能のなさを嘆くさまがつらつらと描かれている。そのオチは「悲しすぎるから酒を飲む」で、いやお前そういうとこやぞと思わずにおれないわけだが。


ここでも、贅沢は言わない、兄弟仲良く助け合ってほしい、それだけが望みだ、と語る。劉裕りゅうゆうによる簒奪の前には、もと上司である劉敬宣りゅうけいせん司馬休之しばきゅうしにまつわるドタバタのさなかで殺されたことも耳にしていただろう。栄達すれば、どんなトラブルに巻き込まれるかもわかったものでもない。その思いが、この手紙につながっていたような気もする。


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