巻93-2 陶淵明

陶潜1  五柳先生伝   

陶潛とうせん、字は淵明えんめい

あるいは淵明が名で、字が元亮げんりょうだ、とも。

尋陽じんよう柴桑さいそう県の人で、

東晋とうしんの立ち上がりを武で大いに支えた、

かの名将、陶侃とうかんを曽祖父に持つ。

祖父は陶茂とうも、父の名は残っていない。


陶潜は若いころから志高く、

『五柳先生伝』文章をものし、

自らの状況を述べている。


そこには、このようにあった。


「先生はどこの人かもわからぬし、

 姓名も不明である。

 その庵の傍に五つの柳があるため、

 五柳先生と名乗っていた。


 その佇まいは物静かで口数も少なく、

 栄光や貨殖は好まなかった。

 好きなものと言えば読書だが、

 それもあまり突き詰める、

 といった感じでもない。

 文意を追い、意に沿う箇所を見つけ、

 うっとりとして、食事も忘れる。

 そんな具合である。


 先生は酒がたいそう好きだったが、

 なにせ貧乏であるため、

 常に手に入れられるわけでもなかった。


 なので古馴染たちは家に酒を用意して、

 五柳先生を招く。

 すると先生はふらっとやって来、

 ガンガン飲んで、飲みまくる。

 なにせ目的は酔っぱらうことである。

 で、酔うとサクッと立ち去る。

 まったく後腐れを残さない。


 小ぢんまりとした自宅の周辺は

 草ぼうぼうとなっており、

 風も日差しもまるで遮れない。


 身に着けるズボンもボロボロ。

 酒を入れるひょうたんが

 空になっていることも多かったが、

 先生はそれにも特に頓着しない。


 自宅にて文章を書けば、

 そこには自らの思いの丈を載せる。


 損得勘定にはまるで関心を示さず、

 いま置かれている状況のまま

 朽ちゆくことをよしとした」


五柳先生伝の序文はこのような内容だ。

人々は、この内容を実録なのだろう、

と話していた。




陶潛字淵明,或云淵明字元亮,尋陽柴桑人也。曾祖侃,晉大司馬。潛少有髙趣,嘗著五柳先生傳以自況,曰:先生不知何許人,不詳姓字,宅邊有五柳樹,因以爲號焉。閑靜少言,不慕榮利。好讀書,不求甚解,毎有會意,欣然忘食。性嗜酒,而家貧不能恒得。親舊知其如此,或置酒招之,造飲輒盡,期在必醉,既醉而退,曾不吝情去留。環堵蕭然,不蔽風日,裋褐穿結,簞瓢屢空,晏如也。嘗著文章自娯,頗示己志,忘懷得失,以此自終。其自序如此,時人謂之實録。


陶潛は字を淵明、或いは淵明が字を元亮と云う。尋陽の柴桑の人なり。曾祖は侃、晉の大司馬。潛は少きに髙趣を有し、嘗て五柳先生傳を以て自らが況を著し、曰く:先生は何許の人とも知れず、姓字は不詳、宅が邊に五柳が樹有らば、因りて以て號と爲したる。閑靜にして言少なく、榮利を慕わず。讀書を好めど甚だの解を求めず、會意を有せる毎、欣然とし食を忘る。性は酒を嗜めど、家は貧しく恒に得るは能わず。親しき舊知は其の此の如きに、或いは酒を置き之を招じ、造りて飲まば輒ち盡くし、期すこと必ず醉うに在り、既に醉わば退り、曾て情を去留に吝しまず。堵の環りは蕭然とし、風日を蔽わず、裋褐穿結し、簞瓢は屢しば空なれど、晏如たるなり。嘗て文章を著し自ら娯しみ、頗る己が志を示し、得失を懷けるを忘れ、此を以て自ら終す。其の自序は此の如くして、時人は之を實録と謂う。


(宋書93-19_文学)





はい、というわけで隠逸伝のド本命。陶淵明伝です。劉凝之りゅうぎょうしと陶淵明までの間にも何人か隠者がいるんですが、なんかもうどうでもよくなってきたのでスキップ。


ここから沈約しんやくはかなりがっつり陶淵明の作品を引用してくれますが、こちらにも岩波文庫の「陶淵明全集」がありますので、全訳でまいります。晋書、南史にも伝があるので、その辺も適宜フォローしていきたい所存。

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