阮万齢  孟昶府三素望  

阮萬齡げんばんれい陳留ちんりゅう尉氏いし県の人だ。

祖父は阮裕げんゆう。左光祿大夫。

父は阮寧げんねい、黃門侍郎。


阮萬齡は若い頃から名を知られていた。

はじめ通直郎となったが、

まもなく孟昶もうちょうの副官に任じられる。

この頃、孟昶の下には

袁豹えんひょう江夷こういと言った人物がおり、

彼らが相次いで副官に就いていた。


誰も彼もがものすげー才覚の持ち主。

なので人々は言っていた。

「孟昶の府には三なる素望有り」と。


阮萬齡の家は會稽かいけいえん県にあった。

隠遁生活希望であった阮萬齡は、

劉裕りゅうゆうの死亡間際くらいのタイミングで

解職を求め、会稽郡に帰郷。


祕書監やら給事中と言った処遇での

召喚を受けたが、断った。


ただその後、

左民尚書に任じられた際には受諾。

さらに太常に至り、湘州しょうしゅう刺史となるのだが、

刺史としてのお仕事は一切しなかった。


なので罷免され東陽とうよう太守となったが、

こちらでも間もなく罷免された。


その後散騎常侍、金紫光祿大夫に。

448 年に死亡、72 歳だった。




阮萬齡,陳留尉氏人也。祖思曠,左光祿大夫。父寧,黃門侍郎。萬齡少知名,自通直郎爲孟昶建威長史。時袁豹、江夷相係爲昶司馬,時人謂昶府有三素望。萬齡家在會稽剡縣,頗有素情,永初末,自侍中解職東歸,徴爲祕書監,加給事中,不就。尋除左民尚書,復起應命,遷太常,出爲湘州刺史,在州無政績。還爲東陽太守,又被免。復爲散騎常侍、金紫光祿大夫。元嘉二十五年卒,時年七十二。


阮萬齡、陳留の尉氏の人なり。祖は思曠、左光祿大夫。父は寧、黃門侍郎。萬齡は少きに名を知られ、通直郎より孟昶が建威長史と爲る。時に袁豹、江夷は相い係りて昶が司馬と爲り、時人は昶が府に三素望有りと謂う。萬齡が家は會稽の剡縣に在り、頗る素情有らば、永初の末、侍中より解職し東歸し、徴じ祕書監爲らんとし、給事中を加えられんとせど、就かず。尋いで左民尚書に除せられ、復た命に應じ起ち、太常に遷り、出でて湘州刺史と爲るも、州に在りて政績無し。還じ東陽太守爲るも、又た免を被る。復た散騎常侍、金紫光祿大夫と爲る。元嘉二十五年に卒す、時に年七十二。


(宋書93-14_棲逸)




陳留阮氏はその後明帝擁立に動いたりもするから、意外と見過ごせないのですよね。そのへんの連なり知ってたら小説の方で阮田夫を劉裕の逆鱗に触れて酷たらしく殺されるチンピラになんざ描かなかったんだがなゲハハハハ!


この人の振る舞いには、ちょっと阮咸げんかんか、向秀しょうしゅうかって匂いがします。ええ竹林七賢の。まあ意識しなかってことなんざ、それこそないとは思うんですがね、片方は宗祖ですし。魏以来の「王朝交代期」に立ち会った竹林七賢の一族は、それぞれ胸中に微妙な思いを抱えてたんでしょうね。

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