宗炳1  南陽の隠者   

宗炳そうへい、字は少文しょうぶん南陽なんよう郡湼陽ねいよう県の人だ。

祖父は宗承そうしょう宜都ぎと太守。

父は宗繇之そうようし湘鄕しょうごう令。

また母は同郷の氏出身の人であり、

聡明なうえ学識も厚かったため、

子供たちにガッツリ英才教育を加えた。


間もなく、父親が死亡。

宗炳の慟哭がすさまじかったため、

地元の者たちは「こいつやべぇ」

と称賛した。


それは荊州けいしゅうに基盤を築いた

殷仲堪いんちゅうかん桓玄かんげんにも伝わったようで、

両名は彼を招聘しよう、と試み、

そして共に失敗した。


その後、劉裕りゅうゆう劉毅りゅうきを打倒。

桓玄の時代から十年ちょい飛んでいる。


劉裕、荊州の支配権を獲得したところで、

劉毅の相談役であった申永しんえいに聞く。


「俺はここで何すりゃといいと思う?」


ざっくり!

ざっくり過ぎるよ劉裕さん!


ともあれ、申永は答える。


「まず、軍による威圧をおやめください。

 その上で、与えた威圧の倍のお恵みを。


 この地の有為の才能は、家門に関わらず

 お取り立てください。


 斯様になさればよろしいかと」


なるほど。劉裕さん、納得。

では、この地の才能と言えば?


そう、宗炳さんです!


さっそく劉裕、宗炳を招聘する。

が、フラれた。

アイエエエエ! ソーヘー!?

ソーヘーナンデ!?


宗炳、答える。


「山籠もり三十年ですし……」


あ、なるほど☆

劉裕、納得した。


宗炳、琴や書が巧み。

無論その清談の腕前もすごい。

けど普段はふらりと山中に出かけ、

そのまま数日帰ってこなかったりもする。


征西将軍《りゅうどうき》の副官であった、王裕之おうゆうし

かれは宗炳とマブだったようで、

一緒に山に入り、そのまま

丸一日帰ってこなかったりもした。


後に長江を下り、尋陽じんよう周辺の山、廬山ろざん入り。

そこで慧遠えおんから仏教の秘儀や

文義についての薫陶を受ける。


これを苦々しく思っていた人がいた。

宗炳の兄、宗臧そうぞうである。

かれはこの頃南平なんへい太守となっており、

廬山に押しかけると、

宗炳の首根っこをひっ捕まえて下山させた。

そして江陵こうりょう三湖さんこに家を建て、

そこでひっそり暮らす。


劉裕、そんな宗炳を改めて招聘。

が、やっぱりフラれる。


その後二人の兄に早々に先立たれてしまい、

生活が行き届かなくなった。

なので宗炳、そこからお仕事に精を出すように。

これがまたすごい勢いで稼いだようなのだ。


おっ、世俗に興味が出たんだね!?

諦めない劉裕、宗炳に食料などを援助。

これによって弟や甥たちは

官途に就いたようなのだが、

宗炳自身は、やっぱり劉裕をフッた。




宗炳字少文,南陽湼陽人也。祖承,宜都太守。父繇之,湘鄕令。母同郡師氏,聰辯有學義,教授諸子。炳居喪過禮,爲鄕閭所稱。刺史殷仲堪、桓玄並辟主簿,舉秀才,不就。髙祖誅劉毅,領荊州,問毅府諮議參軍申永曰:「今日何施而可?」永曰:「除其宿釁,倍其惠澤,貫敍門次,顯擢才能,如此而已。」髙祖納之,辟炳爲主簿,不起,問其故,答曰:「棲丘飲谷,三十餘年。」髙祖善其對。妙善琴書,精於言理,毎游山水,往輒忘歸。征西長史王敬弘毎從之,未嘗不彌日也。乃下入廬山,就釋慧遠考尋文義。兄臧爲南平太守,逼與倶還,乃於江陵三湖立宅,閑居無事。髙祖召爲太尉參軍,不就。二兄蚤卒,孤累甚多,家貧無以相贍,頗營稼穡。髙祖數致餼賚,其後子弟從祿,乃悉不復受。


宗炳は字を少文、南陽の湼陽の人なり。祖は承、宜都太守。父は繇之、湘鄕令。母は同郡の師氏、聰辯にして學義有らば、諸子に教授す。炳は喪に居すに禮に過ぎ、鄕閭に稱わる所と爲る。刺史の殷仲堪、桓玄は並べて主簿に辟し、秀才に舉ぐれど、就かず。髙祖の劉毅を誅し、荊州を領せるに、毅が府諮議參軍の申永に問うて曰く:「今日、何ぞを施さば可ならんか?」と。永は曰く:「其の宿釁を除き、其の惠澤を倍し、門次を貫敍し、才能を顯擢す、此くの如きなるのみ」と。髙祖は之を納め、炳を辟し主簿爲らんとせど起たず。其の故を問わば、答えて曰く:「丘に棲み谷を飲みたるに三十餘年たり」と。髙祖は其の對えを善しとす。琴書に妙善にして、言理に精、毎に山水に游び、往かば輒ち歸すを忘る。征西長史の王敬弘は毎に之に從い、未だ嘗て彌日したらざるなり。乃ち下りて廬山に入り、釋慧遠に就きて文義を考尋す。兄の臧は南平太守爲れば、逼りて與に倶に還じ、乃ち江陵の三湖に宅を立て、閑居し事無し。髙祖は召じ太尉參軍と爲さんとせど、就かず。二兄は蚤きに卒し,孤累の甚はだ多かるに、家は貧にして以て相い贍ぜるも無く、頗る稼穡を營ず。髙祖は數しば餼賚を致し、其の後に子弟は祿に從えど、乃ち悉く復た受けず。


(宋書93-6_棲逸)




宗炳さんへの劉裕のこだわりはいったい何なんだ……「隠者に認められたい」なのかなあ。しかし宗炳には劉裕からの招聘がたびたびとんで、陶淵明とうえんめいには王弘おうこう檀道済だんどうさいだったってのは、どう認識すればいいんだろう。劉裕、個人的には陶淵明が大っ嫌いだったとか?

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