顔延之5 生に事わざらば
五君詠を読み、何が言いたいかを察した。
相変わらず俺スゲー、お前らクソ、
というわけである。両名、さらに激怒。
うーんこの。
このころすでに
降りていたのだが、劉義康は顔延之を、
さらに遠いところに移したがった。
見かねた
「アレを下手に
小さな地方の長官にしてみろ。
そこで碌でもないことを考えかねん。
却って自分を正当化し、
周りを巻き込み始めるぞ。
ある者からの進言があった。
アレは都の近くで
蟄居させておくべきです、と。
そうすれば下手に扇動なども
なせますまい、と。
遠くに出す者には、
代わりを立てるのが良い。
それでなお
不遜な態度を改めないのであれば、
改めて東方に追放とすればよい。
なおも改めなければ、その時は
法に照らさねばならんのだろうよ。
このことは劉湛、
コンセンサスが取れている」
ということで、顔延之が
本来飛ばされるはずの地には、
えっ……。
ちなみに顔氏と車氏は、
代々仲が良くなかったそうである。
なんでそんな人が代理に……?
そんなこんなで、
七年間の蟄居命令を食らった顔延之。
その時の生活は極貧そのもの、
という感じであったが、
そこには支援者もいた。
初期の
劉裕躍進の立役者の息子ということで、
すでに確かな基盤を持っていた彼は、
下手に中央にかかわろうとはせず、
また事業らしい事業も起こさず、
恬淡と生活をしていた。
そういったふるまいが顔延之にとって
非常に好ましいものであったためか、
顔延之は王球のことを慕っていた。
王球もまた顔延之の才能を愛していた。
そのため、顔延之の困窮には
手を差し伸べていたわけである。
やがて晋のラストエンペラー、
その葬儀のために官員が求められた。
ここで
顔延之を兼侍中として任用しようとした。
任用辞令の記された札が、
顔延之のもとに届けられる。
この時顔延之は酔っており、
札を見るなり、ぱぁん!
と、地面にたたきつける!
「この顔延之、生者にも仕えられん!
どうして死者に仕えられようかよ!」
湛及義康以其辭旨不遜,大怒。時延之已拜,欲黜為遠郡,太祖與義康詔曰:「降延之為小邦不政,有謂其在都邑,豈動物情,罪過彰著,亦士庶共悉,直欲選代,令思愆里閭。猶復不悛,當驅往東土。乃志難恕,自可隨事錄治。殷、劉意咸無異也。」乃以光祿勳車仲遠代之。延之與仲遠世素不協,屏居里巷,不豫人間者七載。中書令王球名公子,遺務事外,延之慕焉,球亦愛其材,情好甚款。延之居常罄匱,球輒贍之。晉恭思皇后葬,應須百官,湛之取義熙元年除身,以延之兼侍中。邑吏送札,延之醉,投札於地曰:「顏延之未能事生,焉能事死!」
湛及び義康は其の辭旨の不遜なるを以て大いに怒る。時に延之は已に拜せど、黜し遠郡為らしめんと欲す。太祖は義康に詔を與えて曰く:「延之を降じ小邦為らしむは政ならず。有るもの謂えらく、其の都邑に在せるは、豈に物情を動かし、罪過を彰著し、亦た士庶を共に悉くせんか。直だ代を選びて里閭を思愆せしめんと令さんと欲す。猶お復た悛ぜざらば、當に東土に驅往すべし。乃ち志の恕さる難しかば、自ら錄治に隨事せん。殷、劉が意も咸な異無きなり」と。乃ち光祿勳の車仲遠を以て之に代う。延之と仲遠は世よ素より不協にして、里巷に屏居し、人間に豫らざるは七載なり。中書令の王球は名公が子にして、事外に遺務し、延之は慕いたれば、球も亦た其の材を愛し、情好せること甚款たり。延之は常に罄匱に居し、球は輒ち之を贍ず。晉の恭思皇后の葬ぜらるに、應に百官を須むらば、湛之は義熙元年の除身を取りて、延之を以て兼侍中とす。邑吏の札を送ぜるに、延之は醉わば、札を地に投じて曰く:「顏延之、未だ能く生に事わざらば、焉んぞ能く死に事えんか!」と。
(宋書72-5_任誕)
湛之取義熙元年除身
ここの記述、だいたいは劉湛の任用として取り扱おうとしているみたいです。うーん、どうなんだろうなぁ。まぁぶっちゃけどっちでも構わないんですけど、個人的には徐湛之のほうが筋目が大きい気がするんですよね。劉湛とか恨みいつまでも引きずりそうだし。まぁこの仮説の弱いところはここまで徐湛之が全く出てきてないのにもかかわらず姓が省略されてるってことなんですが。
にしても顔延之さんはどこまでも世説新語の世界の住人だな。王徽之かよ。
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