徐湛之3 勲貴の子らと  

徐湛之じょたんしと言えば書道、音楽の達人。

また貴顕の家に生まれたのを活かし、

せっせと貨殖に励んでいた。


自宅の建物や庭園は豪奢であり、

その豪遊ぶりは他の追随を許さない。

なかでも主宰するダンスパーリィの

豪華さはトンデモネーものだった。


えっと、劉興弟りゅうこうてい劉義隆りゅうぎりゅうへの説得は

何だったんでしょうね……。


数千人の門弟を抱えていたが、

そのいずれもが、三呉の富豪の子。

見事に着飾ったイケメンぞろいである。


そんな徐湛之が出かけるともなれば

着飾った一団がぞろぞろ街中を歩くし、

雨でも降ろうものなら、そういった彼らを

みな手配した車に乗せたりする。


姉上に豪華な暮らしダメ絶対と

釘をさされた劉義隆にしてみれば、

当然徐湛之の振る舞いはムカつくわけである。

常々お小言を漏らしていたという。


が、徐湛之、知ったこっちゃねーである。


劉裕りゅうゆうとともに桓玄打倒クーデターを興した、

何無忌かむきと、孟昶もうちょう

これまで一切触れてこなかったが、

この二人の家門はともにそうにあっても

県公に封爵されている。

何無忌の子、何勗かきょく安成あんせい県公。

孟昶の子、孟靈休もうれいきゅう臨汝りんじょ県公。


ともに贅沢の限りを尽くす生活をしており、

徐湛之とは食事、ファッション、乗り物などで

贅沢を競い合う仲だった。


なので京口ではこんなことが言われていた。

「食の安成公、ファッションの臨汝公」

そして徐湛之は、その二人に

どちらでも競るのだ、と。


ちなみに何勗は侍中にまでなったが、

諡がひどい。荒公である。

西晋の王愷(醜公)かよって勢いである。


孟靈休は彈棊が得意だった。

要するにおはじき遊びである。

世説新語で曹丕がやっている。

祕書監にまでなった。

……諡は?




湛之善於尺牘,音辭流暢。貴戚豪家,產業甚厚。室宇園池,貴遊莫及。伎樂之妙,冠絕一時。門生千餘人,皆三吳富人之子,姿質端妍,衣服鮮麗。每出入行遊,塗巷盈滿,泥雨日,悉以後車載之。太祖嫌其侈縱,每以為言。時安成公何勗,无忌之子也,臨汝公孟靈休,昶之子也,並各奢豪,與湛之共以肴膳、器服、車馬相尚。京邑為之語曰:「安成食,臨汝飾。」湛之二事之美,兼於何、孟。勗官至侍中,追諡荒公。靈休善彈棊,官至祕書監。


湛之は尺牘に善く、音辭は流暢たり。貴戚の豪家にして、產業は甚だ厚し。室宇園池の、貴遊せるに及びたる莫し。伎樂の妙は一時に冠絕す。門生千餘人は皆な三吳富人の子にして、姿質端妍、衣服は鮮麗たり。行遊に出入せるの每、塗巷盈滿し、泥雨の日にては悉く以て後車に之を載す。太祖は其の侈縱なるを嫌い、每に以て言を為す。時の安成公の何勗は无忌の子にして、臨汝公の孟靈休は昶の子なるに、並べて各おの奢豪にして、湛之と共に肴膳、器服、車馬を以て相い尚ず。京邑は之が為に語りて曰く:「安成は食、臨汝は飾」と。湛之の二事の美は何、孟を兼ぬ。勗が官は侍中に至り、荒公と追諡さる。靈休は彈棊に善く、官は祕書監に至る。


(宋書71-4_汰侈)




安成県公


豫州汝南郡に安成県があり、荊州に安成郡がある。どっちなんだよって切れそうになるわけだが、臨汝が揚州臨川郡にしかない県なので、まぁたぶん両名とも県公なんでしょう、ということに。ちなみに謝安だとか謝玄といった、晋の時代の郡公は県侯に降格されてます。つまり、何無忌家や孟昶家の家格は「名目上は」そう言った人物の家系より上に位置付けられてるのです。にもかかわらずここで初登場とかいろいろお察しだね!


それにしても何勗、孟靈休、徐湛之の三人を並べると、……クソですね、ボンボン!

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