杜坦   晩渡北人京兆杜氏

杜坦とたん京兆けいちょう杜陵とりょう県の人だ。

わかりやすく言うと、あの杜預どよ

平呉に大功あった、杜預の玄孫である。

曾祖父の杜耽としん八王はちおう永嘉えいかを嫌い、

前涼ぜんりょうに避難。

苻堅ふけんが前涼を滅ぼしたので、

父や祖父は長安に戻ることがかなった。


杜坦、歴史にものすごく詳しい。

なので劉裕りゅうゆう長安ちょうあんを落とすと引き入れられ、

劉裕の長安撤収に同行した。


劉義隆りゅうぎりゅうが即位すると厚遇を受け、

後軍將軍、龍驤將軍、青冀二州刺史、

劉鑠りゅうれき(劉義隆の四男)の副官を歴任。


ところで中原氏族のうち、

長江ちょうこうを渡るのが遅かった者たちは

「蛮族の息がかかった奴ら」

とばかりに扱われ、仮に才能があっても

栄達ルートからは外されていた。

杜坦、そのことに嘆息していた。


ある時劉義隆と歴史談義をする中で、

劉義隆が言う。


「前漢の金日磾きんじつてい

 かれの忠孝は豊かで、深い。

 漢朝の士人で、

 かれに及ぶものはいなかっただろう。


 そのような偉人が見当たらんことが

 残念でならんな!」


杜坦は答える。


「なるほど、ごもっともでございますな!

 ただ、かれが今この国にいたとしても、

 ただの馬匹で終わり、

 取り立てられなぞせんでしょう!」


おおっと、ずいぶん喧嘩腰である。

あぁん? 劉義隆、顔つきを険しくする。


「おい待て、なんでそこまで

 うちを薄情者扱いしてんだ?」


迫る劉義隆に、杜坦も負けない。


「ならば申し上げましょうか。

 臣はもともと中華の高族。

 確かに曾祖父は永嘉の乱により

 涼州に逃れましたが、

 先祖以来の伝統は継承しております。

 旧来の貴き血を

 失ったわけではございません。


 にもかかわらず、

 ただこの地に来るのが遅かったからと、

 まるで蛮族の召使い扱い、

 栄達から遠ざけられております。


 この国では、臣のような顕族でさえ、

 後発であれば割を食うのです。


 そこを行くと、金日磾は胡人。

 馬飼いの身の上でしかないにも拘らず、

 大抜擢を受け、貴顕入りをしました。


 これだけの度量、

 果たして我が国は持っておりましょうか?


 確かに、この国にも賢才を抜擢する、

 というシステムはございます。

 が、これがいかほど機能しておるのか?


 臣には、疑わしく思えてならぬのです」


劉義隆、むぐっと黙り込んだ。





杜坦,京兆杜陵人也。高祖預,晉征南將軍。曾祖耽,避難河西,因仕張氏。苻堅平凉州,父祖始還關中。坦頗涉史傳。高祖征長安,席卷隨從南還。太祖元嘉中,任遇甚厚,歷後軍將軍,龍驤將軍,青、冀二州刺史,南平王鑠右將軍司馬。晚渡北人,朝廷常以傖荒遇之,雖復人才可施,每為清塗所隔,坦以此慨然。嘗與太祖言及史籍,上曰:「金日磾忠孝淳深,漢朝莫及,恨今世無復如此輩人。」坦曰:「日磾之美,誠如聖詔。假使生乎今世,養馬不暇,豈辦見知。」上變色曰:「卿何量朝廷之薄也。」坦曰:「請以臣言之。臣本中華高族,亡曾祖晉氏喪亂,播遷涼土,世葉相承,不殞其舊。直以南度不早,便以荒傖賜隔。日磾胡人,身為牧圉,便超入內侍,齒列名賢。聖朝雖復拔才,臣恐未必能也。」上默然。


杜坦、京兆の杜陵の人なり。高祖は預、晉の征南將軍。曾祖は耽、河西に避難し、因りて張氏に仕う。苻堅の凉州を平らぐに、父祖は始めて關中に還ず。坦は頗る史傳を涉る。高祖の長安を征し席卷せるに、南還に隨從す。太祖の元嘉中、任遇さること甚だ厚く、後軍將軍、龍驤將軍、青冀二州刺史、南平王鑠の右將軍司馬を歷す。晚渡北人を朝廷は常に傖荒なるを以て之を遇し、復た人才に施したるべかると雖ど、每に清塗とは隔てらる所と為り、坦は此を以て慨然とす。嘗て太祖と史籍を言及せるに、上は曰く:「金日磾が忠孝は淳深にして、漢朝に及びたる莫かれば、今世に復た此くの如き輩人無きを恨まん」と。坦は曰く:「日磾の美、誠に聖詔が如きなれど、假に今世にて生かしむらば、馬を養うに暇なく、豈に見知を辦ぜんか?」と。上は色を變じて曰く:「卿は何ぞにて朝廷の薄を量らんや?」と。坦は曰く:「以て臣に之を言ぜるを請う。臣は本は中華の高族、亡き曾祖は晉氏の喪亂にて涼土に播遷し、世葉を相い承け、其の舊きを殞ぜず。直だ南度の早からざるを以て、便ち以て荒傖として賜より隔てらる。日磾は胡人にして、身は牧圉為れど、便ち內侍に超え入り、名賢に齒列す。聖朝に復た才を拔せると雖ど、臣は未だ必ずしも能わざらんと恐るるなり」と。上は默然とす。


(宋書65-5_直剛)



金日磾

武帝期のひと。匈奴出身でありながら武帝に忠誠を尽くし、息子に漢帝室への狼藉があれば容赦なく息子を殺し、軍高官への抜擢を受ければ「匈奴を高官に据えれば漢室が匈奴に舐められますぞ」と辞退している。


劉義隆的には「北魏の奴らも金日磾みてーに帰順してくんねーかな」的ボヤキだったんじゃなかろうかと思う。けど杜坦には、それが「晩渡北人は生意気だ」的に聞こえた、みたいな印象がある。で、話がどんどんコンプレックスの方面にずれていく。


劉義隆の「黙然」ってこれ、「あっ駄目だ会話にならねえ」的アレだったんじゃなかろーか。いや確かによそでは永嘉直後に南下してきた貴族たち、いわゆる百六掾の子孫以外の人間を貴族に序列出来ないでいた、みたいな描写もあるわけだから、痛いところはつかれてると思うけど。


ただ議論の筋に沿ってない正論って、ただムカつくだけなんだよなぁ。「そこは認める、だが俺の話したいところはそこじゃない」みたいな。度し難いね人間。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る