鄭鮮之3 親戚の劉毅はクソ

鄭鮮之ていせんしは剛直の人である。

彼の辞書に「おもねる」の文字はない。

従うべきはルールであり、ゆえにこそ

まさしく官憲向きの性格であった。


劉毅りゅうきと言えば、ポスト桓玄かんげん期の権勢者。

これがびっくり、鄭鮮之の甥。

姉、もしくは妹の子なのだそうだ。

となれば劉毅に協力するのが筋だが、

鄭鮮之、この権力をかさに着た甥っ子を

思いっきりヘイトしていた。


なので劉裕りゅうゆうシンパとして活躍。

そのことに劉毅はムカついていたそうだが、

知ったこっちゃねー、である。


それどころか、410 年。

同僚の丘洹きゅうこうに依頼し、劉毅糾弾の

上奏文を提出してもらっている。


羅道盛らどうせいは、本来開封する権限のない

 詔勅文を勝手に紐解き、

 機密事項を盗みました。


 法に照らせば極刑がふさわしいはずの

 この男を、しかし劉毅は庇い、

 おのが侯爵位の権力を盾に、

 その罪を不問としてしまいました。


 確かに劉毅の功績は華々しきもの、

 その職分も大臣クラスです。

 が、だからといってかの者に

 大法に背いたものの生殺与奪権は

 備わっているはずもありません。


 このことは以前にも上奏したはずですが、

 リアクションはありませんでした。

 外鎮として権勢を張る、というのは、

 自分勝手にルールを捻じ曲げる、

 ということなのでしょうか?


 本来であればこの奏上は

 鄭鮮之殿がなすべきなのですが、

 かのお方は劉毅の親族に当たるため、

 糾弾ができません。


 故に代理として、私が劉毅の糾弾を

 求める次第にございます」


ただ、この糾弾は結局握りつぶされた。




性剛直,不阿強貴,明憲直繩,甚得司直之體。外甥劉毅,權重當時,朝野莫不歸附,鮮之盡心高祖,獨不屈意於毅,毅甚恨焉。義熙六年,鮮之使治書侍御史丘洹奏彈毅曰:「上言傳詔羅道盛輒開箋,遂盜發密事,依法棄市,奏報行刑,而毅以道盛身有侯爵,輒復停宥。按毅勳德光重,任居次相,既殺之非己,無緣生之自由。又奏之於先,而弗請於後,閫外出疆,非此之謂。中丞鮮之於毅舅甥,制不相糾,臣請免毅官。」詔無所問。


性は剛直にして強貴に阿らず、明憲直繩、甚だ司直の體を得る。外甥の劉毅の當時に權重く、朝野に歸附せざる莫かれど、鮮之は高祖に心を盡し、獨り意を毅に屈さず、毅は甚だ恨みたる。義熙六年、鮮之は治書侍御史の丘洹をして毅を奏彈せしめて曰く:「上言傳詔、羅道盛は輒ち箋を開き、遂に密事を盜發せば、法に依らば市に棄さるべくも、奏は報ぜられ刑の行わるに、而して毅は道盛が身を侯爵を有せるを以て、輒ち復た停め宥ず。按ずるに毅が勳德は光重、任は相に次せるに居し、既に之を殺すに己に非ずして、生の自由に緣無し。又た先にて之を奏ずるに、後に請いたる弗く、閫外の出疆、此の謂に非ず。中丞は鮮之は毅が舅甥にして相い糾せざるの制なれば、臣は毅が官の免ぜらるを請う」と。詔じ問われたる所無し。


(宋書64-3_直剛)




うわー劉毅のヤロー横紙破りかよ最低じゃねーか!(しろめ)


こういう本では、劉裕の対抗勢力の醜聞だけ取り沙汰されて、劉裕サイドのやつは「不正を許さない正義の勢力!」的にスパイス程度に書かれるもんでしょう。奏上を疑う必要はまったくないと思いますが、ただ「劉毅サイドだけがクソだった」とはそう簡単に断言できません。認識は「宋書がクソだと言っていた」で止めておくべきでしょう。


そして今日も奏上文が微妙によくわかんない。

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