張敷1  母を思う    

張敷ちょうふ、字は景胤けいいん

郡の人で、張邵ちょうしょうの息子だ。

生れてすぐに母と死に別れた。


張敷が幼い頃に

母がどこにいるかを尋ねた時、

初めて家族はその死を語ったと言う。

張敷、わずか数才でありながら、

その顔に強く思慕の色を示すのだった。


成長して十歳を越えた頃に、

母の遺品を求めてきた。

手に入れたもののうち、

絵の描かれている扇子を一つ手にし、

ほかのものはすべて処分してしまった。


ただしその扇子は袋にしまい、

大切に箪笥の中に保管した。

母への思いが募った時には

それを取り出し、さめざめと泣く。

また、父の姉妹と会うたび、

やはりさめざめと泣いたという。


その性分は端正のひとこと、

その声音もまた素晴らしく、

更に老荘をよく修め、自ら論も著す。


劉裕りゆうゆうは彼と出会うとすぐに気に入り、

劉義符りゅうぎふの幹部として取り立て、

その名目でちょくちょく張敷と会った。


劉裕が即位すると、祕書郎となった。


宮殿に宿直していた時、

傅亮ふりょうが同じく宿直していた。

張敷が学問好きと聞いたので

会ってみようと思い、訪問。

しかし張敷、眠ったまま

起きようとしない。


ガチ寝なのか、寝たふりなのか。

ともあれ傅亮は話すのを諦め、退散した。




張敷字景胤,吳郡人,吳興太守邵子也。生而母沒。年數歲,問母所在,家人告以死生之分,敷雖童蒙,便有思慕之色。年十許歲,求母遺物,而散施已盡,唯得一畫扇,乃緘錄之,每至感思,輒開笥流涕。見從母,常悲感哽咽。性整貴,風韻甚高,好讀玄書,兼屬文論。少有盛名。高祖見而愛之,以為世子中軍參軍,數見接引。永初初,遷祕書郎。嘗在省直,中書令傅亮貴宿權要,聞其好學,過候之,敷臥不即起,亮怪而去。


張敷は字を景胤、吳郡の人、吳興太守の邵が子なり。生れて母は沒す。年數歲にして母が所在を問わば、家人は死生の分を以て告ぐ。敷は童蒙なると雖ど、便ち思慕の色を有す。年十許りの歲にして、母が遺物を求めど、散施せること已に盡くし、唯だ一なる畫扇のみを得る,乃ち之を緘錄し、感思の至る每、輒ち笥を開き流涕す。從母に見ゆるに、常に悲感哽咽す。性は整貴にして、風韻甚だ高く、玄書を好みて讀み、兼ねて文論を屬す。少きに盛名を有す。高祖は見ゆるに之を愛し、以て世子中軍參軍と為し、數しば接引せらる。永初の初、祕書郎に遷る。嘗て省直に在り、中書令の傅亮は權要に貴宿したれば、其の學を好めるを聞き、過りて之に候せど、敷は臥し即ち起きず、亮は怪しみて去る。


(宋書62-6_徳行)




張邵自身、劉裕よりはやや年下だと思うんですが、ここの話を見てると、息子は劉義符よりもやや上なのかも知れないですね。生没年の明記がないので確定はしづらいんですが。


しかし、驚きですよ。劉裕成り上がり伝説を固めるための武辺者を除けば、劉宋第二世代のトップバッターが王謝のどちらでもなく、張氏。ぶっちゃけ張邵からして「なんでそんな高いとこにいるんだ?」って不思議な感じですし、談合の気配はどうしても感じざるを得ません。宋書をもうちょい追うと何かがわかるかもしれませんが、まあひとまずは疑惑にニヤニヤするだけにしときます。

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