羊欣4  新安、心の故郷 

義熙ぎき年間、

つまり劉裕りゅうゆうが高みに登っている時。

羊欣ようきんの弟、羊徽ようきが劉裕に厚遇されていた。

劉裕は鄭鮮之ていせんしに言っている。


「羊徽は本当にすげえ奴だが、

 世の中じゃ兄の羊欣は更にすげえ、

 って言われてるじゃねえか。


 羊欣のことを知らずにいんのが、

 残念で仕方ねえんだ」


あっ羊欣を召し出せ案件ですね。

分かります。


そうして羊欣、はじめは劉藩りゅうはんの副官に、

次いで劉道憐りゅうどうれんの参謀に。

そこから地方に出、新安しんあん太守となった。

四年間の任期では、

その簡素な施政で讃えられた。


任期を終えると劉義慶りゅうぎけい劉義真りゅうぎしん

属官になるよう諮られたが、辞退。


劉義隆りゅうぎりゅうは羊欣の意向を重んじ、

再び新安につける。

はじめと合わせ、計十三年間。

新安の山水にあそぶその生活は、

非常に羊欣の意に適ったそうである。


後に義興ぎこうへの転任が諮られたが、

そこでの暮らしは、

意に沿うものでもなかったようだ。

間もなく「病をこじらせた」と辞職。

故郷に戻った。

中散大夫に任じられた。




義熙中,弟徽被遇於高祖,高祖謂諮議參軍鄭鮮之曰:「羊徽一時美器,世論猶在兄後,恨不識之。」即板欣補右將軍劉藩司馬,轉長史,中軍將軍道憐諮議參軍。出為新安太守。在郡四年,簡惠著稱。除臨川王義慶輔國長史,廬陵王義真車騎諮議參軍,並不就。太祖重之,以為新安太守,前後凡十三年,游玩山水,甚得適性。轉在義興,非其好也。頃之,又稱病篤自免歸。除中散大夫。


義熙中、弟の徽は高祖に遇さるを被り、高祖は諮議參軍の鄭鮮之に謂いて曰く:「羊徽は一時の美器なれど、世論は猶お兄が後に在りとす。恨むらくは之を識らざるを」と。即ち欣を板じ右將軍の劉藩の司馬に補し、長史に轉じ、中軍將軍の道憐の諮議參軍とす。出でて新安太守と為る。郡に在ること四年、簡惠を著くを稱えらる。臨川王の義慶の輔國長史、廬陵王の義真の車騎諮議參軍に除せられんとせるも、並べて就かず。太祖は之を重んじ、以て新安太守と為し、前後の凡そ十三年、山水に游玩し、甚だ適性を得る。轉じ義興に在すも、其の好みに非ざりたるなり。之の頃、又た病の篤きを稱し自ら免じ歸す。中散大夫に除せらる。


(宋書62-4_棲逸)




満を持して引っ張り出された羊欣の再士官初任が劉藩の属官なのが非常に面白いです。同じ劉姓ではあるけれど、彼は劉毅の同門。ただし盧循の逆襲までは劉裕の属官として重く用いられていた気配もあります。ここでの羊欣は劉藩が重要だからひとがどの人物をつけたのか、あるいは牽制のためか。


なんにせよ劉藩は劉毅討伐に先立って殺されています。彼についてはかなり重要な活躍もしたくさいんですが、「反逆者の親族」の活躍なんて、おいそれとは残せないんですよね。それは立場ゆえか、あるいは劉藩自身がはっきりと劉裕との決別を表明したのか。後者のほうがカッコヨぶりが際立つなーとも思うのですが。

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