第12話 うどん屋の百合姉妹
いぶきさんのうどん屋は、買い出しに商店街へ向かう道路から小さな脇道へ入ったところにあった(看板もあったけど、<ツルッツルのもっちもち!>としか書いてなかったのですっかりスルーしていた)。
小さな木がぽつんぽつんと点在する草原、そこに佇む赤茶けた瓦とクリーム色の建物。
二階のベランダには洗濯物が干してある。
わたしと同じ、お店とお家が一緒になってるんだ。
砂利敷の広い駐車場には二台の軽トラが停まっていた。
店の入口に掛けられている白い暖簾には豪快な文字で『うどん』とある。
「いま帰ったで!」
勢いよく戸を開いた途端、いぶきさんの顔面にガコッ! と何かが命中した。
「ひゃっ!?」
「はわわっ!?」
ちいゆと声を上げるわたし。
な、なに!? いぶきさんの顔におたまがめり込んでるよー!
「お姉ぇ! 塩買いに行くだけで、どんだけ時間かかるけん!」
そんな女の子の怒鳴り声がした後、いぶきさんの顔からおたまが引き抜かれた。
「いったー、なんもこんなことせんでいいやろ?」
「ひ、ひとりで客さばくの……ひっく、大変だったんだで……ひっく、ひっく」
さっきまでの怒り声が弱まり、涙声になっていく。
「ぴゃぁぁ、お姉ぇー、お姉ぇー!」
おたまをめり込ませた相手が勢いよくいぶきさんに抱き着いた。
「すみんかった、もう泣かんでええで」
「お姉ぇー、お姉ぇー」
いやいやするよう、いぶきさんのおっぱいなのか筋肉なのかわからない胸に顔をすりつける女の子――ってこの子、もしかして……。
「あれ~、いり子ちゃん!?」
いぶきさんに抱き着いた相手はちいゆの言う通り、おたまでいぶきさんを殴った女の子は、前日わたしの試作ラーメンにキツイダメ出しをしたいり子ちゃんだった。
「ち、ちぃちゃん?」
いぶきさんに抱き着いたままちいゆを見るいり子ちゃんの顔がみるみる赤くなる。
「いり子、この人達知ってたん?」
いぶきさんがそう言うなり、静電気が流れたように体を離した。
「ぴゃわっ!? お姉さんもおる!」
わたしを見て、更に顔が真っ赤になった。
「ちょ、お姉ぇー! どういう事か説明するけん!」
いぶきさんが事の顛末を説明する。
「はぁー!? よそ見してたらちぃちゃんにぶつかったやとー?」
言うなりいり子ちゃんがおたまでポコスカいぶきさんを叩き始めた。
「ちょ、いり子……やめ……ちょ……」
ふたつの手のひらを向け、小さく身を引くいぶきだったが、どこか顔がニヤけて見えた。
「いり子ちゃん、やめなよぅ!」
そんなちいゆの肩に手を置いた。
「お姉ちゃん、止めなくていいの!」
「あれはねー、何て言うか、姉妹のスキンシップというか……ご褒美と言うか……主にいぶきさんの」
最後の方は声が低くなってしまう。
「ほえ?」
ちいゆはわからないようだけど、それでいいと思う。
いぶきさんの鋼のような肉体におたま攻撃は、お医者さんに聴診器当てられたようなものだろう。
いぶきさんのあの目、あれはエクスタシーを感じてる目。
いわゆるM、エム、マゾ、マゾヒスティック。
実際目の当たりにするのは初めて、それにしてもあんなムキムキで怖そうないぶきさんが、ちょっと潤んだ目で受けを楽しんでる姿はちょっとくるものが――。
「お姉ちゃ~ん」
「え? ああ、そうね。わたしが止めるわ」
ちいゆがSじゃなくてよかった、と思いながらご褒美を止めさせる。
「見苦しいとこ見せて、すみんです」
言葉とは裏腹に、いぶきさんの潤んだ目は名残惜しそうだった。
「いい? お姉ぇ! このふたりはあたいの友達とそのお姉さんやけん。それよりお姉ぇ! 早よぅ仕事戻るで、よもよもしとらんでしゃんしゃん入れ!」
「わかった」と嬉しそうに呻いたいぶきさんが長身の体をのそのそ動かして店内に入った。
わたしとちいゆがその後に続く。
「さぁさぁ、ちぃちゃんとお姉さん、あっちのカウンターに座りぃや」
すたすた歩きながら満面の笑みをこちらに向ける。
小麦色の肌に真っ白な歯が映えるなー、っていぶきさんも日焼けの小麦色肌だよね。
姉妹そろって日焼けが趣味なのかな?
「雰囲気いいね~、お姉ちゃん」
ちいゆの声に、壁や天井に目をやる。
木材をふんだんに使われた古民家風な店内は、外観から想像するより広かった。 入って左右に二座のテーブル席が二つずつ、正面奥にはカウンター六席。
テーブル席でうどんをすする客の側を通り、誰も座ってないカウンター席に腰を下ろす。
カウンターの向こうでは、いぶきさんがうどんを湯に投入する姿があった。
あれ? 他のお客さんに配膳終わってるからこっちの分かな? まだオーダーしてないんだけど。
「あれれ、メニューがないよう」
きょろきょろするちいゆに「うちはぶっかけメニューしかないんや!」と、いり子ちゃんが白い歯を見せる。
「二丁あがり!」
「はいな、お姉ぇ!」
水道でしめたうどんを丼に盛り、その上に黒い液体をひと回しかける。
「お待ちぃ! そのまんまでも美味しいけど、好みで薬味加えてな。おかわりは大歓迎やで」
艶々輝く白に綺麗な角、見るからに美味しそうなうどん!
箸を持った手を併せたちいゆが「美味しそう! いっただきま~す」と言うなり、うどんをすすった。
「うわっ……これ、うまっ! お姉ちゃんこれ凄いよう」
「え? じゃあわたしもいただきまーす」
うどんを口に入れた。
…………ええ!? 何これぇ! 口の中でフワッ、噛んでモチッ、小麦の香りとイリコ出汁が鼻腔を抜けて……すんごく美味いー!
「ホントっ! 凄いね、ちいゆっ!」
「でしょ? あれだよ、吊らなくても死んじゃう美味しさだよ」
「え…………うん、そうだね、うどんで首吊って死んでる場合じゃない美味しさだねー」
それにいり子ちゃんが腕を組むと、得意げに顎を持ち上げた。
「どうなぁ? うまいやろう。これがこの島初の本場讃岐うどんちゅうもんやで」
あっという間にうどんをたいらげたちいゆが丼を置いた。
「うどんはもの凄いけど……」
「あん? 何な、ちいちゃん」
「出汁が、イリコだと思うんだけど、ちょっと渋いようなエグイような感じ」
「な、何ええ加減な事……!」
「今日の出汁はイマイチ言うてたやんか、いり子」
「お、お姉ぇ! 何余計なこと言うとんのや!?」
再びいり子ちゃんがおたまでいぶきさんをポコスカ叩き始めた。
ご褒美なのでほっといても良かったけど、優しいちいゆが肩を揺するので止めに入った。
その後、うどんを食べ終わったわたしは店内を見渡した。
客はわたしとちいゆだけになっていた。
それを見計らったいぶきさんが「ここらで私らも休憩、休憩」と言って、暖簾を入れてきた。
そんないぶきさんと目が合ったらウィンクをされた。
え? と思い後ろを見るが誰もいない。
あれはわたしに向けたもの? 何か意味があるのかな?
ちいゆに目をやるとカウンター越しにいり子ちゃんと談笑していた。
「ちょっと話しんでか?」
いつの間にか、いぶきさんが横に立っていた。
その目が店内の奥にある扉へ動いた。
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