第339話 左ハムストリング肉離れ、全治八週間


「痛ってぇ!」


 足が! 太ももが!


「マスター!」


「キー!」


 突然の激痛に耐えきれず、僕は地面へ転がってしまう。

 そんな僕を心配するナナさんとヘズラト君の声が、ダンジョン内に響いた。


「うぅ……」


「マスター! 大丈夫ですか!?」


「う、うん。それより敵を」


「は、はい、お任せください。――『丸のこ』『丸のこ』」


 ヘズラト君に騎乗状態のナナさんが、立て続けに『丸のこ』を二つ放った。


 わりと緊迫した状況だと思うのだけど……そんな場面で『丸のこ』を連呼するのは、なんだか微妙に緊張感が削がれるね。


「とりあえず無事に倒したようですが……」


「ありがとうナナさん。さすが『丸のこ』だ」


 というわけでナナさんの『丸のこ』が、二体の『キラーアント』をざっくりと葬ってくれた。


 キラーアント――『世界樹様の迷宮』5-3エリアに配置されているモンスターだ。

 名前からわかるように、大きなアリ型のモンスターである。


 そして当然ながら、ダンジョンのモンスターである以上、不殺モンスターに設定されている。

 つまり正式名称は、『不殺キラーアント』。不殺なのにキラーアント。ちょっと面白い。


「それよりマスター、大丈夫ですか? 何があったのですか?」


「あ、うん。なんだか急に足が痛んで……」


「足ですか?」


「左の太もも。いきなり立っていられないくらいの痛みが走って……。バチッて音が聞こえたような気もする……」


 床に座り込んでしまっている僕のところへ、ナナさんとヘズラト君が来てくれた。

 正直自分でも何が起こったのかわからないのだけど、簡単に状況を説明してみた。


「キラーアントに向かって、駆け出そうとした瞬間ですよね?」


「あぁ、もしかしてナナさん見てた? うん。そのときだね」


 今日の僕は剣を使っている。剣を装備している剣アレクだ。

 そんな僕が世界樹の剣を手に、キラーアントへ挑もうと足に力を込めた瞬間、太ももがバチッとなったのだ。


「それはおそらく……肉離れじゃないですか?」


「肉離れ?」


 肉離れとな? 肉離れ……。ふむ。肉離れか。

 いや、でも――


「僕エルフだよ?」


「はい? え? ……えっと、エルフだって肉離れはするでしょう?」


「そうなの?」


 まぁそうか。それはそうなのかな……。

 だけど、なんとなく釈然としない。なんだか少し腑に落ちない。


「ねぇナナさん。僕は――異世界転生者なんだ」


「え? あ、はい、そうですけど」


「女神様の力で、ファンタジーな世界に転生したエルフなんだ」


「はぁ……」


「そんな異世界転生エルフである僕が、肉離れなんてありえるの?」


 どうなんだろう? そんなことってある? あるいは、もしもそんな事態が起こるとしても、この場面じゃないはずだ。

 こんななんでもない場面で、唐突に肉離れを起こしてすっ転ぶとか、僕には理解できない。納得ができない。


「……さっきから何を言っているのですかマスター?」


「前世で見たラノベやアニメの異世界転生者は、そんなことなかった。なんでもない場面でなんの脈絡もなく無駄に肉離れとか、僕は見たことがない」


「ラノベやアニメじゃなくて現実なのですから、そういうことも普通にあり得るでしょうよ……」


「現実……」


「現実なのですから、なんでもない場面で唐突に肉離れにもなりますし、大事な場面で唐突に呪文を噛んだりもしますよ」


「そういうものか。現実は厳しいなぁ……」


 というか呪文を噛んだときのこととか、あんまり触れてほしくないんだけど。


「とにかくですね、マスターは戦闘時にキラーアントを叩き切らんとして――おや?」


「ん?」


「『キラーアント』を『切らんと』したのですよ。ちょっと韻を踏んでますね?」


「…………」


 まぁ確かに踏んでいるような気もするけど……。というより、ただのダジャレでは?


「さておき、マスターがキラーアントを切らんと動いた瞬間に、おそらく太ももの裏――ハムストリングの肉離れを起こしたのだと思われます。そんな動きをしていました」


「そんな動き?」


「左手でももを押さえて、何歩か片足でケンケンしてから、地面にころんとなりました」


 そんな動きをしてたんだ……。ケンケン後、ころんと……。


「サッカーとかでよく見る動きです。典型的な肉離れの症状です」


「それは別に『症状』とは言わない気がする」


「いわゆる――ミートグッバイです」


「ミートグッバイ……」


 ……まぁ僕もスポーツ中継とかを見ていたときは、そんなことを言っていたけどね。

 それっぽい動きをした選手を見たら、『うわ、たぶんハムやった。ミートグッバイだ』みたいなことを言っていた気がする。


 だがしかし、いざ自分がやっちゃったとなると、グッバイでもなんでもないな。何がどうグッドなのか。


「というわけで、左ハムストリング肉離れ、全治八週間です」


「……八週間なの?」


「知りません。ただ、肉離れって大体そんなものじゃないですか?」


 適当だなぁナナさん……。

 けどまぁ、実際それくらい掛かるのかな? 大体一ヶ月から二ヶ月くらい戦線離脱しちゃうイメージだ。


「そう考えると、結構な大怪我をしたね僕は……」


「転生してから今までで、一番の大怪我ではないですか?」


「あー、そうかも」


 まさかこんな形で一番の大怪我とは……。

 一応は戦闘中の怪我とも言えそうだけど、一人で勝手にハムっただけだしなぁ……。


「とはいえ、僕は八週間も掛けて悠長に治すつもりはないよ。サクッと回復してしまおう」


 幸いにして、この世界には回復薬や回復魔法がある。

 全治八週間だろうが全治八ヶ月だろうが、コンマ八秒もかからずに治せてしまうのだ。


「さて、それじゃあ薬草だか回復薬だかを…………おや?」


「どうしました?」


「……ないね」


 自分のマジックバッグをあさってみたが、そういった物が見当たらない。


 ふむ。今日のマジックバッグは、しばらく使っていた旅用の物ではなく、ちょっとしたお出かけ用のマジックバッグなのだ。

 久しぶりに持ち出したバッグに、薬を入れておくのを忘れてしまったらしい。


 旅の間はジスレアさんがすぐに魔法で治してくれていたので、僕の中で回復薬の存在感が薄れてしまっていた。そのせいだろうか。


「まいったな。一応ルーレット産の回復薬はあるけど……」


「まぁ大怪我ですし、それを飲んでもいいのでは?」


「うーん。でもなぁ、さすがにちょっともったいない気がする……」


 どうしたものか。回復薬が使えないとなると……。


 もうこの際――足を引きずりながらジスレア診療所まで行ってみようか?

 普段はささくれ程度で治療をお願いしている僕が、全治八週間の大怪我で現れたとしたら、ジスレアさんもかなり心配してくれて、手厚い看護をしてくれるんじゃないだろうか?


 ……結局はやっぱり問診もせずに、あっさり一瞬で治してくれそうな気もするけど。


「キー」


「ん? あぁ、わけてくれるの?」


 僕が悩んでいると、横からヘズラト君が話しかけてきた。

 どうやらヘズラト君が薬をわけてくれるそうだ。


 ――ちなみにだが、今まで話していた異世界転生やら前世の記憶やらチートルーレットやらの事情を、ヘズラト君には全部話してある。

 なるべく隠すようにしている僕の秘密ではあるが、ヘズラト君になら話してしまってもいいだろうって、そんな判断。


「ありがとうヘズラト君。それじゃあ薬を――あ、ちょっと待って」


「キー?」


「ほら、あれ見て」


 薬を貰おうとしたところで、僕はあるものを発見した。

 僕が指差した先には――


「救助ゴーレムですか?」


「彼にわけてもらおう」


 近くで救助ゴーレムが、のっしのっしと歩いているのが見えた。

 ちょうどいい。頭の薬草をわけてもらおう。


「……わけてくれますかね?」


「どう見たって今の僕とか要救助者でしょ。お願いしたら、なんとかなるんじゃない? とりあえず呼んでみよう」


 僕が手を振りながら「おーい」と呼びかけると、ゴーレム君はこちらへ向かってのっしのっしと歩いてきてくれた。

 ……というか、今までこんなふうに呼んだことはなかったのだけど、呼んだら普通に来てくれるんだな。


 目の前まで来てくれたゴーレム君に、僕は事情を説明する。


「実はね、見ての通り怪我をしちゃったんだ。できたら頭の薬草をわけてくれないかな」


「…………」


「頼むよ」


「…………」


 お願いして、しばらく待っていると――――ゴーレム君は首を横に振った。


 ……どうやらダメらしい。

 ダメなのか、大怪我なのに……。しかも僕とか、このダンジョンのマスターだというのに、それでもダメなのか……。





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