第232話 瘴魔の刻、後日談


 エルフのおきてにより、僕は世界を旅することが決まった。


 この決定から一週間。僕は未だに自宅謹慎中きんしんちゅうの身だ。

 そのうち世界を旅するというのに、今はまだ自宅から出られない僕だったりする。


 ――そんな中、今日は久々にあの人がやってきてくれた。


「ユグドラシルさんも、なかなか忙しい日々を送っていたそうで」


「そうじゃのう」


 ユグドラシルさんである。ユグドラシルさんが久々に遊びにきてくれた。


 大体二週に一度のペースで遊びにくるユグドラシルさんだが、今回の来訪はそこそこ久々だ。

 やはりエルフ界全土に光化学スモッグ注意報発令なんて事態が起こっていたため、ユグドラシルさんも何かと忙しかったのだろう。


 そんなユグドラシルさんは、現在僕の部屋でフラフープを回している。

 フラフープを回しているユグドラシルさんも結構久々な気がする。僕は今までユグドラシルさんのためにいろいろ作ってきたけれど、なんだかんだユグドラシルさんはフラフープが好きなのか、時々思い出したようにくるくると回しだす。


「まぁ別に、忙しくしていたわけでもないのじゃが」


「あれ? そうなんですか?」


「うむ。一応は何かあったときに備えて教会本部で待機しておったのじゃが……まぁ、何もない。何もせずに終わる」


「そうですか……」


 どうやらユグドラシルさんは、二週間ほど缶詰生活を送っていたらしい。

 有事に備えて、待機させられる神様とは……。


「お主の方は、ずいぶん慌ただしい『瘴魔しょうまとき』をすごしたらしいのう」


「しょうまのとき?」


「そんな名前なのじゃ」


「へー」


 瘴魔の刻か。なんか格好良い名前だな。

 なんだろうね。『瘴気しょうきが濃くなって、魔物が増える刻』とか、そんな感じなのかな?


 ……おや? なんだか急に格好良さを感じなくなってしまったぞ? むしろ安直なネーミングな気がしてきた。


「ところで、その瘴魔の刻ってのは結局なんなんですか? なんであんなふうに瘴気が濃くなるんですか?」


「知らん」


「えぇ……」


 知らんらしい。そうか、まぁ知らんのなら仕方がない……。


「理由はわからんが、五十年に一度瘴気が濃くなって、そのうち元に戻る。もうずっと昔からじゃ」


「ずっと昔から……」


 ユグドラシルさんがそう言うってことは、本当にずいぶん昔から行われていたんだな。

 そして、未だによくわからないイベントらしい……。


 今度天界に行ったとき、ディースさんに聞いてみようか。さすがにディースさんなら知っているだろう。


「とにかく、瘴魔の刻にお主は運悪くワイルドボアと出くわしたわけじゃな?」


「あぁはい、そうなんですよね」


「ワイルドボアか、よく倒せたのう」


「ええまぁなんとか。といってもジェレッド君やレリーナちゃんの助けがありましたし、何より回復薬の――あ」


「ん?」


「実は、ジェレッド君に例の回復薬を使っているところを見せてしまいまして……。それで、ユグドラシルさんに貰った薬だと伝えてしまいました……」


 そうだった。まずこれを謝らなければいけないんだった。ユグドラシルさんごめんなさいリスト案件のやつだ。


「ふむ……。まぁ別に構わん」


「いいんですか?」


「ワイルドボアが相手ではのう。その回復薬でも使わんと倒せんかったじゃろう」


「そうですね……」


 あっさりと許してもらえた。……なんというか、ユグドラシルさんはどんどん僕に甘くなっている気がする。

 いや、だからといって別に厳しくしてほしいわけでもないのだけど……。


「で、お主は世界を旅してくるのか」


「そうなんですよ。なんかそういうことになっちゃったんですよ」


 もうこの際だ。ユグドラシルさんに愚痴ぐちってしまおう。ちょっと甘やかしてもらおう。


「イノシシを倒すと、何故かおかしな特典が付いてくるんですよ。今回のは『十五歳未満でワイルドボアを倒すと、世界旅行の許可がでる』とかなんとか……」


「旅行ではなかったと思うが……。そうじゃのう。そんな決まりがあったのう」


「なんなんですかこれ」


「なんなんですかと言われても……」


 父はこのおきての理由を、ふわっとしか説明できなかった。『たぶん』とか言っていた。

 ユグドラシルさんなら、何か知っているだろうか?


「まぁ昔からの決まりごとじゃな。……昔から、エルフは内向的な者が多くてのう」


「はい? 内向的?」


「引きこもりじゃ」


「引きこもり……」


「基本、森の中に引きこもっておるじゃろ?」


 いやいやユグさん、その言い方はちょっと……。

 ほら、エルフは森を愛する種族だから。森が好きすぎて森にいるだけで、別に引きこもっているわけではないと思うのだけど……。


「『それではいかん、もっと森の外にも目を向けるべきだ』――そう考えた昔のエルフが、この決まりを作ったのじゃ」


「あー、そうなんですか」


「じゃが、何百年も森の中ですごしてきたエルフを突然外に引っ張り出そうとしても、なかなか難儀するじゃろ?」


 なんだか言い方が、本当の引きこもりに対するもののようだ……。


「そんなわけで若いエルフを対象にしたのじゃ。一応は『若いエルフの方が物事を柔軟にとらえることができ、多様な文化や価値観を柔軟に吸収できる』という理由も、あるにはあったらしいが」


「あぁ、一応ちゃんとした理由もあるんですね」


 そうか、そんな理由か。

 ……僕は多様な文化や価値観を、柔軟に吸収してこなければいけないのか。


「とはいえ若いだけではのう。外を旅するのじゃから、ある程度の練度れんどは必要じゃ」


「まぁ、そうですよね」


「そんなわけで、『十五歳未満でワイルドボアを倒したエルフは、森の外を見る旅に出なければならい』という決まりができたのじゃ」


「なるほど……」


 そんな流れでこの掟ができたのか……。なんとなく民俗学の講義を受けているような気分になったけど、流れは理解できた。

 ……なんか以前にも、こんなふうにユグドラシルさんから講義を受けた記憶があるな。


 いやしかし、やっぱりユグドラシルさんはエルフの歴史に詳しいね。

 さすがはエルフの神様だ。ユグドラシルさんのおかげで、また少しエルフ史に詳しくなってしまった。


「よくわかりました、ありがとうございますユグドラシルさん」


「うむ」


「そんな歴史があったんですねぇ。それで今回、僕は世界を見てくることになったわけですか」


「そうじゃなぁ……。まぁ最近では、そこまで引きこもりばかりというわけでもなく、人界や魔界で生活するエルフも数多くいるようじゃが」


「あぁ、確かにそうみたいですね。もしかして、掟の効果が出ているってことなんですかね?」


「そうかもしれんのう」


 なるほどなぁ。人族も魔族もエルフ族も争っているわけでもないし、交流が盛んなのはきっといいことだよね。


「それで、アレクはいつ頃出発するのじゃ?」


「出発ですか? まぁ二十歳までに行ってこいと言われているので……」


 あんまり決めていない。とりあえず、あと二回はチートルーレットを回してから出発したいところだけど……。


「二十歳の誕生日、その前日まで引き延ばそうかなって」


「前日まで……?」


 やっぱりできるだけ引き伸ばしたいよね。さっきユグドラシルさんも、『外を旅するのに練度は必要』だと言っていた。

 だけど正直なところ、僕の練度はあんまり高くない。とりあえず六年あったら、もうちょっと練度が付くだろう。


 この際ぎりぎりまで引き伸ばしてやろうかと思っているのだけど、さすがに途中でなんか言われるかな……?


「ふむ……わしも行こうか?」


「はい?」


「お主の旅に、わしも付き添おうか?」


「えっと……」


 なんというか、ユグドラシルさんがどんどん僕に甘くなっている……。

 やっぱり気のせいじゃなかった。実際に甘々になっている。大変な過保護になってしまっている……。


「いえ、僕としては大変ありがたいですが……大丈夫なんですか? そこそこ長い期間、エルフ界の外に滞在すると思いますが……」


「うむ。おそらく大丈夫じゃとは思うが……あんまり大丈夫ではないかもしれん」


「どっちでしょうか……?」


「教会やらなんやらが、かなり慌てそうじゃ……」


「……じゃあ、やっぱり止めときましょう」


「そうか、すまんのう……」


「……いえ、お気持ちだけで十分です。ありがとうございます」


 ……とりあえず、僕としてももうちょっと頑張ろうか。

 いろいろ頑張ろう。過保護なユグドラシルさんに心配をかけないように、頑張っていこう。





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